始まったら終わる、終わったら次の始まりに向かう
遅かれ早かれ、始まったものはいつか終わる。
生きているうちは、何かが始まるとき、終わるとき、そのどちらもたくさん見ることになるだろう。
毎日、毎分、毎秒、いろんな場所で何かが始まり、何かが終わっているのだから。
この始まりと終わりを、自分は「お笑い」を楽しむ中で何度も見てきた。
そして今日も。解散の知らせを見て、心の中で広がる感情があったので、
いまこれを書いている。
お笑いライブを初めて見てから10年経つ。
月1ペースで行っていて、いつからか月2、3、4…と増えていった。
特にここ3、4年は月10回以上行く月もあったほど、お笑いライブ大好き人間になった。
お笑いライブというやり直しのきかない生もの。
そこで舞台上に立ってたくさんの人を楽しませている芸人さんが大好きだ。
つらい現実があっても忘れさせてくれる空間。
この10年で何度も救われてきた。
面白いなと思った芸人さんがたくさんいる。
その中で、今も活動している人たちもいる。
解散した人たちもいる。
お笑いの世界から去った人もいる。
当の本人が決めたことは否定しない。
ひとつの終わりだけど、始まりでもあるから、その先の活動を、人生を応援したいと思う。
去った人については、もう声が届かないけれど、それでも心の中で静かに応援しつづけている。思い出すたびに、日々を幸せに過ごしていてほしいと願う。
この3,4年の間でも、解散した人たち、辞めた人たちはたくさんいたけど、何度その知らせを見ても、最後の舞台を見ても、このさみしさには慣れることがない。
特に、頻繁に見ていた人たちほど「ああ、また面白い人たちがいなくなってしまうのか」と思って、喪失感がしばらく残るが、今回もそうなると思う。
もっと見ておけばよかった、などと後悔しているわけではない。
でも、いるのが当たり前だといつからか無意識のうちに思っていたから、本当にさみしくて仕方ない。
「よだれどり」がいなくなることで心に空くであろう穴、キッチリ埋まることは無い。
代わりになる人などいない。
特定の人同士で作られる面白さだ。AさんとBさんが作った面白さと、CさんとDさんが作った面白さは違う。それぞれ面白くても形は違う。
ずっと穴が空いたまま時間が流れていくだろう。
今日解散を発表したよだれどり。
まだ解散するまでに少しだけ時間がある。見れる機会も残っている状態で解散を発表してくれることの有難さよ。
飲食をしながら見れるお笑いライブ、初めてのGETライブ、橋本京明チャンネル…それらを見るきっかけになったのがこのコンビだった。
ラスタ水曜の中で一番面白いと思っていた。
色々と助けていただいたこともあった。救われることもあった。
こうして失われると分かった時にやっと、その存在の有難さに気づく。
知らせを見て、これだけ心の中で広がっていくものがあるということは、それだけ自分の中で大事に思っていたのだろう。
よだれどりがいてくれて本当によかった。
その存在に感謝している。
たくさんの楽しい時間をありがとう。
これからもそれぞれのご活躍をお祈りしています。