自分もかつて子供だったことを忘れた大人たちへ。
こんにちは。フェミニスト・トーキョーです。
今回は突発的に「書こう」と思った話です。
途中で語られる性教育の話が発端なのですが、本稿で申し上げたい主題はそれではありません。
子供から何かを訊かれたときの、大人からの回答について、
「あなたのその回答は、子供の頃のあなたを納得させられますか?」
というのが主旨です。
自分はまぎれもない大人である、という確信のある方にこそ読んで考えていただければと思って書きましたので、よろしくお願い致します。
思春期にモヤったことありませんでしたか?
話の発端は、思春期の子供をターゲットとした、
「知ろう、話そう、性のモヤモヤ」
というテーマのサイト、「セイシル」の中の一記事でした。
セイシルは、性にまつわる色々な話題、特になかなか大人には聞きづらいし、ネットには不確かとしか思えない情報しか落ちていない、アダルトかつセンシティブな話について、赤裸々に語りつつ情報を提供し、見ている人が質問も行えるというサイトです。
語られている内容は、本当に赤裸々という言葉そのままです。
たとえば「ガマン汁で子供は出来るの?」という質問に対して、泌尿器科の先生が答えていたり…
あるいはデートDVの話だったり…
はたまた、「自慰のやりすぎで頭が悪くなるって本当?」みたいな話にまでも、産婦人科のお医者さんが真面目に答えていたりですとか。
こんな感じで、「大人に真正面から聞ける話じゃないよな…」と子供が思いがちな話題に、大人がガチで真正面から答えているものが多いです。
そして。
その中の一つに、ネット上で物議を醸した
「素股で妊娠ってしますか?」
という話題がありました。
この話題に、セックスワーカーの権利を主張するSWASHという団体の代表である、要友紀子(かなめ ゆきこ)さんという方が回答されています。
内容としては、
という冒頭に始まり、
「そもそも素股とはどんな性行為をいうのか」
について、体位などまで含めて非常に具体的な説明をした上で、
といった感じに、素股とは
「安全に行える状態であれば妊娠を回避できるが、相手に主導権を握られた状態で行なうのは『安全を確保できている』とは言い難い」
とした上で、
こんな風に「主導権を相手に渡したままにしてはならない」という、性行為のみならず、男女の交際においてDV被害などの予防にもなるであろう非常に重要な指摘でお話しを締めています。
が。
これがさまざまな方面から批判を浴びることになりました。
大人のお説教って、正直に信用していましたか?
いわば炎上とも呼べる状態になった本件ですので、ちょっと調べれば色々な話が出てきますから、ここではその騒動の詳細については割愛させていただきます。
私が気になったのは、この話題について、
「素股を避妊方法として紹介している」
と解釈する人がかなりの数いらっしゃる、という点に首をひねったのと、何よりも疑問に思ったのは、
「性的な行為の詳しいやり方を具体的に教えること自体が理解できない」
というものでした。
具体的に教えているのがダメ…?(・ω・`)
と言われましても、実際にはネットに性的な情報などいくらでも流れていますし、それらは小中高生が普通にアクセスできるところにもたくさんありますよね。
そう反論しても、
「中高生に向けたサイトで教えるのが許せない」
と、繰り返されたりもしました。
これはもう、教育がどうとか、性教育がどうとかいう話ではなく、インターネットの使い方の話なのかな、と。
「ここは酷いインターネッツですね」という古くから伝わる言葉があるわけですが、正しく美しいものしか見えないインターネットというのは、残念ながら私はインターネットというものが普及してからこちら、見たことがありません。
美しいものも汚いものも全てごった煮にされて、さまざまな情報が常にそこらじゅうで渦巻いて、自分にとって有益なのか無益なのかも分からないもので溢れているのがインターネットだと思うわけでして。
あるいは、この国の子供は相当な精度をもってペアレンタルコントロールなどを施された環境でのみネットに繋げられる、ということを前提とした話であれば別ですが。
ここではいったん、そうしたフィクションの話ではなく、一般的に利用できるインターネットを前提として話をしようと思います。
前述の「素股で妊娠しますか?」という質問を、そのままGoogleに投げてみた検索結果ページの1~10位について、それらのページが「素股」と「妊娠」の関係についてどのように解説しているか、を調べてみました。
という感じです。
整理しますと、中高生が「素股で妊娠しますか」とググって、検索結果の最初の1ページを見て得られる情報の中で明確な回答が示されているのは4サイトで、その内訳はというと、
妊娠する可能性も、しない可能性もある -1件
妊娠しません -3件
こんな感じになっております。
おわかりいただけますでしょうか。
つまり、中高生が「素股で妊娠しますか」とググった時に、最初の検索結果ページで「する可能性がある」点について真面目に解説しているサイトは、セイシルただ1つだけということです。
というか、
セイシルを除けば、「妊娠しません」と説明しているサイトしか無い。
ということです。
この有り様で、「正しく美しいインターネッツ」を論じる方々がセイシルだけを攻撃する意味が、私には全く分かりません。
厳しい言い方をすれば、検索エンジンくらいまともに使えるようになってから論じて欲しい、と思います。
話を少し巻き戻して。
この件について、私は何人かの批判側の方とツイッター上で意見を交わし、その際に必ず、
「では、あなたが『素股で妊娠ってしますか?』と中高生から質問された時に、どう回答しますか?」
とお聞きしたのですが、残念ながらどなたからも答えらしい答えはほとんどいただけませんでした。
それでも、僅かですがまともにお答えいただいた方からの回答は、まとめると
という主旨のものでした。
仰られていることはもっともな部分もありますし、おそらく元記事を批判している方のほとんどが「そのとおりだ」と賛同するものだと思います。
しかし、私がこれを聞いて思うのは、
「最初の質問をした子供は、はたしてこの回答で納得するのだろうか?」
という疑問です。
今回のこの「素股で妊娠するの?」という質問は、セイシルの公式によると「割と多い質問」だとされています。
私がこの質問そのものを聞いた時に考えたのは、
「これを質問したい子は何故これを聞きたいのか」
というもので、それはざっと述べると、
・セックスに興味はあるが、挿入を伴う性行為には恐怖や不安が多い。
・一方、そこまでではないスキンシップには興味あるいは多少の経験があり、もう少し先の世界へ進んでみたい。
・または、現状すでにパートナーからそうした行為を求められていて、妊娠に対して懸念がある。
・パートナーは「絶対大丈夫だから」と言うが、確たる情報が無いので心配だ。
みたいな感じではないか?、でした。
つまり、既にもう性的行為に関してある程度の具体的なシチュエーションを想定した上で質問している子も少なからずいるのでは?ということです。
その子達に対して、
「万が一にでも女性の身体の中に精子が入ってしまったら妊娠してしまう可能性があるのだから、素股だってダメに決まってます!」
という超ド正論が、はたして聞き入れられるのか?と思うのです。
信用できる大人と、信用できない大人がいませんでしたか?
ちょっと考えてみてください。
子供・大人は関係なく、一般的な話です。
自分が何か疑問に思ったことに対して、自分が今まであまり接したことがない人から回答をもらったとします。
内容も、今まで自分が知らなかった分野への回答です。
それが本当に正しいのか、という判断材料は持ち合わせていない状態です。
この時に、
その回答を信用するかしないか、の基準って何ですか?
……いかがでしょうか?
純真無垢な人間であれば、誰からの回答であっても「へーそうなんだー!」と率直に信じることもあるでしょう。
ですが、大抵の人は、その回答そのものが信じられるか、よりもまずは
「そもそも、その回答をくれた人が、信用できる人間かどうか」
で、判断しているのではないでしょうか。
何故かと言えば、人間は新しい知見を自分の中に取り込む時、自分を納得させる理由が欲しいからだと、私は考えます。
未知の知識は、時として自分の価値観をも左右することがあります。
だから多くの人は、新しい知識を得る時、多少の差はあれどある程度のフィルターをかけて、自分がそのまま取り込んで良いものかどうかを吟味するという作業を無意識に行なっているように思います。
例えば、普段から信頼を置いている上司から、であるとか。
長年連れ添ったパートナーであるとか。
苦しい時にも一緒に居てくれた旧知の友人であるとか。
あの人の言うことならば信じられる、と思えるなら、たとえそれが口に苦い薬であっても飲み込もうと考えることが出来るでしょう。
と、ここまでは、そこそこ賛同してくださる方が多いのではと思っています。
ただ、この考えがですね。
相手が子供だとなると、いきなりバグる人がいるのです。
すなわち、
「子供は大人の言うことを素直に聞いて信用するのが当然」
だと考えている……と言いますか、
「自分(大人)が大真面目に言ったことならば、子供は一字一句それを飲み込み、信用するのが当たり前のことだ」
が前提になっている方々がいるのです。
つまり、自分が言うことが子供に信用されないわけがない、くらいの確信を抱いてしまっている人達です。
それが、本稿のタイトルにもかかってくるのですけれども。
私は、自分自身の子供時代を振り返ってみた時に、もちろん信用できる大人もいましたが、それと同じくらいに信用できない大人もたくさんいました。
何なら「アイツの言うことなんか死んでも聞くものか」くらいに思っていた大人もいました。
それで、前述の「自分は大人だから、子供から信用されて然るべきだという確信を持っている人達」というのは、自分が幼かった頃に、信用できない大人っていなかったのかな?と思ったのです。
と、ここまで言っても伝わっていないと困りますので、率直に言ってしまいますけれども。
いま現在のあなた自身が、子供の目線から見た時に、その「信用できない大人」ではないと、どうして言い切れるのですか?
ということです。
***
話を整理しましょう。
自分の話を信用してもらうためのプロセスは、基本的に、
①その話をする人間が、信用できる人間か?
②その人の話が、信用できると感じられるものか?
という段階を踏むものだと思います。
①を飛ばして②を実現するのは難しいことでしょう。
ですから通常は、まず①の「相手から信頼してもらうにはどうしたらよいか?」を考える必要があります。
つまり、
「大人だから」という理由だけで①が得られるはずだ、という考え自体が、すでに独善的だということです。
ということを踏まえて、では①を得るにはどうしたらよいかと言えば、方法はいくつかあるかと思いますが、今回話題になっていたセイシルが取った方法は、
「自分たちにとって都合の悪い情報も、隠さずに話す」
というものでしょう。
例を幾つか挙げたとおり、セイシルはもともと、大人が子供に対して面と向かっては話しにくいような話題についても、変にオブラートに包んだような表現はせずに、きちんと真正面から答えるという姿勢を取っています。
素股の記事に関して言うならば、冒頭の部分をあらためて引用しますと、
とある通り、
「安全な方法をきちんと守っていれば、効率よく妊娠を回避できる」
という点は、批判派の方々にとっては絶対に教えたくないことの一つでしょう。
これを「素股を避妊法として教えている」などという解釈をして、目くじらを立てていたのがその証明でもあります。
具体的に言うならば、きちんとコンドームを付けて、ローションも使ってコンドームが破けない程度の接触に留意して、
と、記事にあるとおりに、女性の性器から遠ざけた位置での愛撫に努めていれば、「妊娠を効率的に避ける」のは少なくとも嘘の話ではないでしょう。
というか、そこまでやっても「それでも妊娠する!」と騒ぐほうが、さすがに無理な理屈ではないかと思えてしまいます。
これで妊娠するなら、一般的な避妊法でのセックスなど100%妊娠するレベルですよね。
***
他人から信頼を受けがたい大人のやってしまいがちなこととして、
「話す内容、提供する情報を、自分の都合によって選別する」
ことだと思います。
もちろんこれは日常でもよくある話で、誰しも自分に都合の悪いことは話さない、などというのは珍しくもなくやっていることでしょう。
ただし、そこには必ず、
「相手が別のルートで真実を知った時に、信頼を失う可能性がある」
というリスクが存在します。
素股の話で言うならば、
「素股も立派な性行為だ!妊娠するぞ!とにかくやってはダメだ!」
の一点張りで子供に説明していたのに、前述のように「素股と呼ばれる行為にも種類があり、やり方によっては必ずしも大きな妊娠の可能性が存在するわけではない」ということを子供が知ってしまった時に、
「結局、大人は自分たちに都合の悪いことは教えないのか!」
「子供だと思ってバカにして!」
と、一気に信頼を損なうことになりかねません。
加えて言うなら、それを危惧して、セイシルのような記事に向かって
「都合の悪くなるようなことを子供に教えるな!」
と言っているのだとしたら、ナンセンスの一言しかないと思います。
先に検索例を出した通り、子供が簡単に検索して得られる情報の中でも、セイシルは素股に妊娠の可能性があるということを、青少年向けのサイトで、きちんと説明している稀有な情報源なのです。
もし叩くなら、先に「素股なら妊娠しないよ!」としか言っていないサイトの方を片っ端から叩くべきでしょう。
***
そんなことを思いながら、セイシルさんのTwitterを眺めていたら、ちょうど同じような考えの方がいらしたのでご紹介しておきます。
セイシルと要さんは、子供を子供としてではなく、一人の人間として向き合い、彼ら&彼女らから信頼を得るための努力を怠っていないのです。
オトナとして喋れば、コドモは言うことを聞くだろう、などという驕りが見られないのです。
そして、先ほどのプロセスになぞらえるなら、
①相手から信頼をもらうにはどうしたらよいか?
②自分の話を信用してもらうには、どのように話したらよいのか?
という手順を踏まえた上で、さらにその先の、
③必要な情報を伝えた上で、さらにそこに自分が伝えたいことを加えるには、どう言葉を紡げばいいのか?
にまで到達できていると、私は感じました。
もう一度引用しますが、要さんが一番伝えたいことは、記事の最後にあるこの部分だと思います。
この一文は、女性の性的面での自立という点においてはスタンディングオベーションで迎えられるべきとさえ私は思っていますけれども、残念ながら批判派の方でここを評価している人にはお目にかかったことがありません。
本当に、子供の気持ちになって考えていますか?
というわけで、最後に「自分もかつて子供だったことを忘れた大人たちへ」のタイトル回収をしたいと思います。
月並みな話ではありますが。
大人と子供の境い目って、いったい何だと思いますか?
あなたは、何をもって自分自身が大人だと自信を持って言えるのですか?
私は、正直に言えば、その答えを持っていません。
世の中の仕組みをある程度知った時に大人になるのでしょうか?
あるいは、子供を持って親になった時でしょうか?
でも、極端なところでは「アダルトチルドレン」などという心因的な事象すらあるように、知識や立場は大人であることの保証には必ずしもならないと思っています。
とはいえ、立場という意味で言うならば、
「『大人』という立場に立たないといけなくなったから」
ということで、自分を大人であると自覚する人も少なくないでしょう。
その時なのですけれども。
あなたは「大人」というロールを演じることに納得していたとしましょう。
でも、
目の前にいる子供は、「子供」というロールを演じさせられていることを知っていますか?
知っていたとして、その子供は、「子供」というロールを演じさせられることに納得していますか?
私は、自分自身がそんなに聞き分けのよい子供ではなかったので、そんな役目を納得して引き受けている子供がはたしてどれだけいるのか、甚だ疑問です。
それでも、「子供」は「大人」の言うことを聞くものだ、それが当然だ、という考えを捨てない人もいらっしゃるでしょう。
しかし、そうした「立場により指示する側とされる側をきちんと分ける」というロールの強制は、時として家庭内暴力や、教育虐待と呼ばれるものにも繋がる危険性があると私は考えています。
自分は「大人」のつもりでも、子供は「子供」ではなく、何者も演じていない「一人の人間」でありたいと意識しているなら、その演目は成り立たないのです。
そしてそれは、相手が思い通りに演じてくれない時に、焦りや苛立ちを生むことにも成りかねません。
***
セイシルの話題で、色々な方とお話をしていた時に、ふと気づいたことがありました。
特に性教育の話でですが、
「自分が子供の時はこう教わった」
「家庭ではこんな話をしていた」
「親からはこういう風に説明されていた」
といった、ご自分の子供時代の経験談などを積極的に話してくださるのは、ほとんどが容認派の方々なのです。
批判派の方々は、ひたすら「大人としての発言」に終始し、自分が子供の頃どう思っていたか、については、尋ねても話してくださらなかったり、ぼんやりとした答えしか返ってこないことが多い印象でした。
いま一度、自分が思春期の頃に、こういった話題をどう捉えて、どう考えていたか、思い出してみませんか?
その頃の自分に、いまの「大人の自分」の言葉が通じるか、信頼を得られるか、もう一度よく考えてみてはいかがでしょうか。
別に、常に立派な大人を演じる必要なんてないのではと、個人的には思います。
***
先ほど、大人と子供の明確な境い目は分からない、と話しましたが。
強いて言うならば、私がちょっとだけ、自分が大人になったと思った瞬間は、
「ああ、そうか。大人も「大人」を演じているだけで、ただの人間なんだな」
と気づいた時でしたから。
(了)
最後までご精読いただき、誠にありがとうございました。