「フェミニズム」と「フェミニスト」の微妙な関係
こんにちは。フェミニスト・トーキョーです。
SNSを徘徊していると、しばしば見かける意見として、
「フェミニズム自体は理解できるが、フェミニストは理解も信用もできない」
というものがあります。
『フェミニズムは理解できる』については、女性差別や格差といった問題が、世の中に全く存在しないわけではないことを認識しており、それについてどんな主張があるのか知りたい、と考えている人が少なからずいるということの現れでしょう。
一方で、なぜ『フェミニストは信用できない』かの理由は、主張している人であったり、その主張内容であったりとさまざまです。
ただ、「フェミニズム」と「フェミニスト」が、別物として見られているという点に興味をそそられましたので、今回はこちらを掘り下げてみようと思います。
フェミニストとフェミニズムの関係性、です。
フェミニズムは素材、フェミニストは創作料理?
え、関係性って何?
フェミニズムを論じる人がフェミニストであって、それ以上でも以下でもないのでは?
と思う方も多いでしょう。
というか、そう考えるのが自然だと思います。
実際にそれぞれの意味を辞書で調べてみますと…
フェミニズム【feminism】
①女性の社会的、政治的、経済的権利を男性と同等にし、女性の能力や役割の発展を目ざす主張および運動。女権拡張論。女性解放論。
②女性尊重主義。
引用元:weblio辞書:フェミニズム
となっており、対するフェミニストの方は、
フェミニスト【feminist】
①男女同権論者。女性解放論者。女権拡張論者。
②女性を大切に扱う男性(日本のみ。英語で②を表す言葉は「gallant」)
<引用元>weblio辞書:フェミニスト
とありまして、ほぼそのまま「フェミニズムの論者がフェミニスト」という感じですね。
ただ、上記で引用した新語時事用語辞典の辞書には、フェミニストに対する詳しい解説が載っていまして、そこの冒頭にある、
フェミニストとは、「女性解放論(フェミニズム)」に賛同し、男性優位主義を打破するために「具体的な行動」を起こしている人を指す言葉である。
という一文が、割と重要なことではないかと留意しておくことにします。
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ちなみに少々脱線しますが、以前にこちらの話を先行で紹介した際に、「フェミニスト」の説明にある、
②女性を大切に扱う男性(日本のみ。英語で②を表す言葉は「gallant」)
という部分を、いわゆる「フェミ騎士」のこと?と思われた方がいらっしゃったのですが、これはそうではなく、ウーマンリブ運動が日本に入ってきた60~70年代頃、まだ男尊女卑・家父長制の考えが根強かった時代に、きちんと女性をうやまう行動をとれる男性、家庭や家族を大事にする男性を指して、
”君は本当に女性に優しいし、レディーファーストを心掛けているなぁ。フェミニストなんだね”
というような使い方をしていた頃があったのです。
昭和の古い年代の方に尋ねてみると、そういえば確かにそんな呼び方をしていたな、と話してくれるかも知れません。
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さて、話を戻します。
「フェミニズムとは」といえば、上記のとおりの思想およびそこから発展した社会運動として、ある程度の定義付けがなされており、書物や論文も数多く出版され学問として研究されていて、大学などで講義としてフェミニズム論を学んだという方も多いでしょう。
では、「フェミニスト」とは何か?
フェミニズムの理念に基づいて、女性解放に向けた活動をしている人……のはずなのですが。
実際には、「一人一派」とも表現される通りで、細かい部分においてフェミニズムをどう捉えるか、それを具体的にどういった行動に繋げるか、そして、フェミニズムから派生した付随事項についての賛同/不賛同や意見の相違などもフェミニストごとに顕著に出ています。
(この部分は後ほど詳しくご説明します)
また、第4波ともなると、「具体的な行動」にツイッターデモのようなものさえも含まれる、という、良く言えば自由度の高い、悪く言えば少々身勝手な解釈にも思える部分もありますので、
「どういう人ならば『フェミニスト』と呼ぶにふさわしいか」
と定義することは、非常に難しく感じます。
それこそ第1波の頃などは、女性たちも置かれた立場が同じだという人達が集まって、同じ理念のもとに一致団結して戦う、という構図だったと想像できるので、そのグループを指してフェミニストと呼んでも差し支えなかったのではと思います。
ですが、社会構造が複雑化した現代では、フェミニズムを唱える女性の状況も、実際の主張も、あまりに多様になっており、どこからどこまでの考えの人を「フェミニスト」の枠に含めるか、という認定は、安易には出来ないように感じます。
<関連記事>あなた達が”ツイフェミ”と呼ばれる理由
(第1波~第4波についてざっくりと解説してあります)
根底にはそれぞれフェミニズムの考えがあるとしても、そこにさまざまな見解や、あるいはフェミニズムの理屈を用いて何かを語りたい、といった個人的な目的が色々とトッピングのように載せられていくと、時に「ん?それってフェミニズムなの?」と思わされることがあります。
変な喩えですが、フェミニズムを食材として「豆腐」だと考えた時に、
・湯豆腐
・冷やっこ
あたりなら、うん、豆腐料理だね、と分かりやすいですけれど、
・揚出し豆腐
・麻婆豆腐
とかになると、おお、アレンジされてきたな…でもまぁ豆腐だよな、となって、
・炒り豆腐
・豆腐ハンバーグ
くらいになると、ちょっと怪しくなってきて、さらには、
・豆腐ドーナツ
とまで来ると、いやそれどうしても豆腐じゃないとダメか?っていうか、豆腐料理って言えるのか?と言いたくなるものもありますが、いずれも「豆腐を使っているから豆腐料理です」と言われてしまえばそれまで、みたいなところもあります。
いや、やっぱり変な喩えでしたね(汗
つまり何が言いたいのかと言いますと、
「どこかにフェミニズムの理念を持っているのだと本人だけは思っていても、言動、行動からはすぐにそれが認識できない状態の人を、『フェミニスト』と呼ぶことは許容されるのか?」
ということです。
フェミニスト・ア・ラ・モード
前項で触れましたが、フェミニズムには「フェミニズムから派生した付随事項」というものがたくさんあります。
フェミニズムにも諸々の流派の違いがあるわけですが、それらの中でも、今からご説明するような付随事項への見解は異なる、あるいは流派は異なるが付随事項への見解は同じ、などというパターンが普通にあります。
元は同じ素材で出来た料理だけれども、トッピングによって違うものに見えたりする、ということになぞらえて、実際にそのトッピングをいくつか見てみます。
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■婚姻に関する見解
社会が家父長制に支配されていると強く考えるフェミニストは、「一夫一妻」の結婚は、性別による役割を決定づけるものとして、婚姻そのものを否定的に考える人が多いです。
関連するものとしては、事実婚、仕事と家事の両立、昨今よく話題となる選択性夫婦別姓制度の問題などもありますね。
また、夫婦から家族に話題を広げると、出産や育児の話も絡んできます。
出産に関しては、反出生主義なども、フェミニストと併せて標榜する人の多い話題です。
とはいえ、フェミニストの全てが結婚や出産をしていないわけでもなく、これを女性主義の問題としてどう捉えるかについては意見が分かれています。
■性的サービス業に関する見解
いわゆる売春を中心とした性的サービス業に関する見解も、さまざまなパターンがあります。
大まかな論点としては、女性が性的サービスに従事するにあたって、
・サービス自体に違法性があり、女性がそれに巻き込まれること
・女性の同意が得られていない行為が行われること
・経済的、暴力的な圧力によって強制されたものであること
という危険性や懸念を含んでいる、というものです。
反対派としては、これらをベースにして派生する色々な問題を取り上げた上で、性的サービス業の全廃を求める、という意見が主です。
一方、フェミニストの中にも容認派がいまして、
・性的産業を「女性に与えられた特権的な仕事」だと考え、他の商業取引と同様に「売る権利」を持つことで、経済的な基盤を得ることができる。
・活動の具体的な内容や、許可される場所などを公的に定めた上で合法化すれば、犯罪に巻き込まれる可能性を抑えることは可能である。
・性的サービスは女性から男性に施されるものだけではなく、女性が男性を「購入」する場合もあれば、LGBTの人達も含めて多様なサービスが存在するのが実情なのだから、そちらの研究や議論も十分に行なう必要がある。
といった主張が存在します。
どちらも女性の「自由」や「解放」を謳ったものである、のは間違いないのですが、主張の内容は真反対ですので、こちらも平行線ですね。
■「性的対象化」に関する見解
セクシャルな話題が続いて恐縮ですが、あまりに話題に上ることが多い話ですので挙げてみました。
よくツイッターなどでは「性的消費」などと言われていますが、この言葉は語源も定義もあやふやすぎですね。
実はもともとフェミニズムの中にあった考え方として「性的対象化」というものがあり、これを言い換えたものが「性的消費」であろうと推測されています。
「対象化」とは、人間としてではなく「モノ」として扱い、やり取りされることを指しまして、分かりやすいところでは人身売買や奴隷制などが挙げられます。
フェミニズムにおける「性的対象化」は、この「モノ」とされる範囲を、人間そのものだけではなく、創作物や各種メディアにまで広げていて、究極的には女性の女性たる姿を具象する全てのものに対してその意義を問う、というところまで辿り着いてしまっています。
読まれていてお気づきかと思いますが、これは解釈を広げると本当に「何でもあり」状態になってしまい、理論が生まれた当初から激しい議論を巻き起こしております。
もともとの定義は、そこまで極端なものではなかったのですけれどね。
本当は定義のお話なども含めて書こうと思ったのですけれど、この話はあまりにボリュームが大きいので、また別の機会に回します。
ここでは、この「性的対象化」から造られた「性的消費」という言葉や、本来の意味とは異なる使われ方をしている「性的搾取」といったものに対する解釈についても、フェミニストごとに、どこまでを許容するか、どういった点に異議を唱えるかといった解釈は異なる、という話だけに留めておきます。
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といった感じで、フェミニストといっても、それぞれの理論を構成する要素は多種多様であったりします。
つまり、全てのフェミニストがこれらを一様に考えているわけではなく、こういった多くの問題・話題について、
「私はこれとこれを支持する」
「私はこれには賛同できないが、逆にこちらは強く主張したい」
「私はこれについては賛成するが、条件付きとしたい」
といった感じに、フェミニストを名乗る人の中でも、どれを自らのトッピングとして選ぶかは意見が分かれる、ということです。
それでも根底にフェミニズムへの傾倒が元からあるのでしたら、どうということもないのですが、ツイッターで割とよく見かけるのが、
「私は選択性夫婦別姓制度を推しているから、フェミニストだ」
という、トッピングから入るパターンのフェミニストさんですね。
こうなると、ちょっと迷います。
たとえば、例と出した選択性夫婦別姓は、確かに女性の解放に繋がるものの一つとも考えられますが、フェミニズムが根源となって生まれたかというとそうとも言い切れず、また、別姓を必要とする理由・思惑も人によって異なります。
ではフェミニストではないのか?と問われると、女性解放のための意識を持っているのであればOKではないか、と言われれば、否定しきれない部分もあります。
少なくとも自分がフェミニストである理由、フェミニストになった理由を語れるのであれば構わないのでは、というお話も、以前にいたしました。
実際にも、フェミニストを自称される方の意識はこういった例が少なからず見られるので、学術的に「フェミニズム」をどれだけ細かく定義づけていても、「フェミニスト」とはそんなものを一切知らずとも名乗れてしまうのが現状ではないでしょうか。
では、フェミニストが自由に自らをフェミニストだと名乗っている現実があって、それを否定する人間はいないのか?となりますよね。
フェミニストを否定する人は、います。
それは、「他のフェミニスト」です。
フェミニストの敵はフェミニスト?
フェミニズムやフェミニストそのものを純粋に嫌う方々も多いですが、そうした声の主の多くは、フェミニズム全体の否定が軸ですので、
「あなたは正しいフェミニストだ」
「あなたは正しいフェミニストではない」
といった判定をいちいち行なうようなことは、あまりされないようです。
そして、むしろそうした判定をしたがるのは、フェミニスト同士の場合が多いように見受けられます。
先のトッピング例で言うならば、
「結婚しているフェミニストは好きではない」
ですとか、
「性的サービスを容認するフェミニストなど、フェミニストではない」
という、フェミニストが他のフェミニストを否定するような意見が、フェミニスト間でやり取りされることがしばしばあります。
実際に、フェミニズムに関して意見を交わしていた人の中でも、自分ではフェミニストのつもりだったのだが、そうした非難の声に負けてフェミニストを名乗るのをやめてしまった、という方もいました。
「一人一派」と言いながらも、他者の価値観や考えを尊重することが出来ないままフェミニストを自称されている方がいる、ということでしょうか?
***
足並みを揃えるためだ、と言えば聞こえはいいですが、どちらかと言えば、個々が主張する「我がフェミニズム」の正当性を訴えることに必死になりすぎて、無駄にフェミニスト同士の争いを生んでいるように見えます。
そうして、突出した意見の持ち主だけが生き残って、そこでもまた互いに牽制していがみ合い、足並みが揃う前に疲弊しすぎてしまって、付き従う人間も限られてしまうことで、結果的に全体の歩みが遅くなっているのが現状ではないでしょうか?
議論は大事ですが、議論そのものはフェミニズムの最終目的ではないはずです。
ましてや、フェミニスト同士の議論の勝ち負けに、一体どれほどの意味があるのか?です。
フェミニストを名乗ることに何の資格も要らないのだとしても、それぞれの頭に乗っているトッピングは、それはそれで尊重しあいながら、全体を先に進める意識を忘れないことが、フェミニストを名乗る人のせめてもの責務では、と思います。
(了)
最後までご清覧いただき、誠にありがとうございました。
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