『ジェンダーで見るヒットドラマ』を読んで
読書感想文を書くつもりでいた。
ただこの通勤時間内で収まる気がしないので、また後日ゆっくり腰をすえて書こうと思う。
『ジェンダーで見るヒットドラマ 韓国、 アメリカ、 欧州、 日本』
治部れんげ(著)
本を手にとって初めて知ったが、筆者はわたしと同い年。
とたんに親近感がわく。わたしとは違ってバリバリのキャリアウーマンのようだけれど。
ご意見はもっともなことも多く、なるほどなぁと思うことがたくさん。
普段からAmazon Prime Videoのお世話にはなっているが、聞いたことのない海外ドラマもたくさん紹介されていて、観てみたいドラマリストがずらっとできあがった。
日本のドラマは「きのう何食べた?」だけは観たことがある。好きなドラマのひとつだ。半沢直樹は、本は読んだがドラマは観ていない。
…とこの本で述べられていることについては、わたしもゆっくり考えてみようと思っているので、また後日。
「ジェンダー」ときいて思いだすひと
この本では主に、男性社会で女性がどのように生きていくか、ということがとり上げられているのだが、わたしが「ジェンダー」という言葉から思い起こすのは、あるひとりの人のことである。
その人は、いわゆる「ジェンダー」にかんして問題を抱えていた。本人が抱えていたという表現が適切なのか、環境や社会の問題なのか、問題と思わなければ問題でないのか、ことば選びが難しい。
もう10年くらいは連絡をとっていないので、どこにいるのか、生きているのかすら不明だけれど、ときどき思い出すのだ。幸せに生きていてほしいと思うこともあれば、すっかり存在を忘れていることもある。連絡をとらないのは、連絡をとったところでなにを話していいのかわからないし、連絡をする意味がよくわからないから。
最近は男女平等とかそういうことに限らず、LGBTとかLGBTQとかトランスジェンダーとか、そんな言葉がわりと身近なものになってきているように思う。10年前、15年前はもっと、なんというか特殊な人しか使わない言葉だったんだよなぁ…。
わたしのなかではいまだに正解が見いだせない。あの時、こうしていたら、と思うこともあるけれど、自分の人生なのだから選択に責任をもたないと。今日もまた朝方、夢の中でうなされていたときに登場したのが、さっき上で紹介した「あるひとりの人」だった。姿ははっきりしていなかったけど、確実にあの人だった。
最近、夢を見すぎだなぁ。
本の感想については、後日また
ということで今日はこの辺で。