「好きなものを好きなように、めでよ!」
「楽器を、木のオブジェとしてインテリアにするの、ありなんじゃないか」
10/17日に降ってきたアイディアだった。
何も偉そうに語るようなアイディアじゃない。
べつにそれは数多といる世の中のインテリア猛者の間では、「あらら、今更気づいたの?」とちゃんちゃらおかしい素人さんの気づきと一蹴されることは承知のうえだ。
それでも私にとっては、何か雷に打たれたような思いがした。
大袈裟に言えば、一つ自由になった思いがした。
それは前に、「好きなハンカチを絵画のように部屋にかけていい。なにも、部屋に飾っていいのは絵画だけじゃない」と気づいた時に似た嬉しさだった。
「好きなものを好きなように愛てよい!!!」
楽器を、インテリアに使っても良い──
うわ〜思いつかなかった〜!!!
「楽器というのは、ばんばんに現役で毎日奏でる人だけが部屋の中に出しっぱなしにしていていい」
という暗黙の思い込みが私の中にはあった。
ヴァイオリン達者なシャーロックホームズが推理に詰まったときにヴァイオリンを弾くように「ちょっくら哲学するか」と言って、おしゃれに手に取って奏でるような場合のみ、許されると。
それができない輩にとって、使わない楽器を部屋に置いておくなど、断捨離の観点から言えば「言語道断」。「使わないものを部屋に出しておく狂気の沙汰」と常に私の常識エゴにぽかすかやられていた。
しかし、どうしても私は弾きもしないのに、フラメンコギターを部屋に置かずにいられなかった。
私が生まれる前から家にある、いったい良いのか悪いのかもわからない品だし(そもそも父はフラメンコなんてやってない)どうせ父のものだから何かでは使ったのだろうけど、一体どんな場面で必要になって今ここにあるのか皆目検討のつかないギター。
しかし弦を弾くと、お腹の奥に小さなお風呂が沸くような温かい音が出る。その小麦色の呑気な温かいフォルムを見ているだけで、気持ちがやわらいだ。
それを、ドラキュラが出てきそうな、内側が青いベルベットの無駄に堅牢なケースにしまって、薄暗い納戸にしまっておく方が罪に思えた。
けれど、言うまでもなく私がシャーロックのヴァイオリン的にギターを嗜めるほど、ギターは上手くなかったし、上手くなろうともしなかった。
「ギター習得落伍者が部屋にギターを置いておく権利なんてない」
でも、待てよ。
そもそも、インテリアの猛者たちは、部屋に何でも置く。
一体何に使うのかわからないスリランカの人形やら、ペルーの祭具やら。まえに、日本のおりん(あの仏具の)を山ほど集めて売っているスイスの古物商の写真を見たことがある。「なんかアジアの鉄のどんぶり」と言った感じで山積みにされていた。
外国の人でも着物を飾っていたりする。着方がわからないということに自意識過剰にクヨクヨして、それを飾るか飾るまいかなんて、彼らは微塵も悩まない。使い方がわからないものでも飾る。だって、
「美は享受すべし!しないほうがおかしい!」
彼らにとってその「使い方わからんけど好きなそれ」は職人の手がかかった美しい木細工であり、銀細工であり、布。「マテリアル」と「クラフトマンシップ」の組み合わせにすぎないだろうな。まてまて。だとしたら、楽器なんて「マテリアル」と「クラフトマンシップ」の組み合わせの最たるもので──、
美しいと思うなら、ごちゃごちゃ言うな
……飾れ!
Amazonのプライムセールが始まっているんだよね。
Amazonでギターを壁にかけるあれを頼んだ。