凹むこと
今日、凹んだ。
本当にどうでもいい、そんなことで凹むか?!ということでびっくりするくらい凹んだ。
時間を誤解して、自分だけピザを食べられなかったという理由だ。もっと細かくいうと、ピザによって、というより、時間を間違えることや、人に心配をかけること、眠気、踊りのあとの疲労など、複合的な要素が合わさって、小田急線の座席にノビてそのまま溶けてなくなりそうなほど凹んだので、私にしては珍しく
「そっか、悲しかったね〜」と本気で寄り添ってみた。
そのやり方は、いつもよりかなりエゴ寄りのやり方で、「シンパシー」に近いやり方だった。普段はそれはやらないけれども、しかし非常に満たされた。
弱っている時、本当に凹んでいる時はこのレベルの「寄り添い」が必要なんだと改めて思う。幻想やエンターテイメント、ゲームに思えないようなレベルの時。そういうときは自分の感じることを、とにかく自分に肯定されることだけでいい。生きている時間を、自分に肯定されることで満たすこと。それだけでいいのだ。
いろいろな段階のいろいろなやり方があるけれど、その日の自分に合ったものを選ぶことは大切。
初歩的なものほど、侮れない。
初心に戻ることは、初心に見えて、つねに深いレベルで理解され直す「新しい何か」だ。
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