幻想だから助けない、のではない
今日「人生は幻想だから大丈夫」という内容でYouTubeを出しながら、そのキャプションに、「能登半島で洪水だからみんな募金してください」という言葉が並んでいて、一見混乱するだろうなと感じる。パッと見、「幻想」という甘っちょろい言葉と「残酷な事実」のようなものが見事にコントラストになっているかのようにも見えるかもしれない。
けれど、「幻想だから大丈夫」は感じる当事者、自分のためだけにある。それぞれは、いろんなところで当事者だ。自分がその時何を感じているかが重要であって、「幻想なんだから気にするな」と人にそれを強要したり、言うためでも、「アクションしない」ためでもない。
自分が自発的に自分の中だけでひっそりと強く思わないと意味がない。だから、能登の洪水をみて、それによって、自分が感じることに対してそう思うべきなのだ。「かわいそう」「つらい」「なんで大変なこんなことが?」それらの自分の中のエゴの意味づけをほどくために「これはこの自分の意識が観察しているからやっと見ることのできる幻想だよ」と自分で言う。それによってこそ、本当にすべき冷静な支援もできる。あたふたしてする支援じゃない。洪水も、人も、地震があったことも、全部自分の中に包括する。私が見ているから、ある。
というわけで、普通の支援とはニュアンスが違う。でも状況を、動かし難い大変なもの、と捉えないからと言って、手を差し伸べないわけでもない。すでに自分の意識でもうそれを観察しているんだし、彼らは幻想といえど、同じチームの自分なのだから。できることをやる
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000209.000009344.html
銀行振込もできて便利だった。