「どうして?」「なぜ?」の原因探しで、自分を追い込む
「苦しさから逃れたい」
そりゃ、そうです。健全です
「苦しいのは、嫌だ」
当たり前のキモチです。健全です
「立ち向かって、乗り越えろ!」
と言われても
「いやいや、、、できれば逃げたいです」
すると
「どうして?」「なぜ?」
この苦しさが起こったのだろう?
「わたしの身に、、、」と
原因探しを始めます
「この苦しみの原因はなんだろう?」
「どうしたら?
この苦しみから逃れられるだろう?」
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苦しみの程度は、強弱、大小あれども
心の中のモヤモヤや、
「あー、スッキリしない!」は
重さとして、身体にのしかかり、
「不快感」が常に身体につきまとう
~~~~~~~~~~~~~
そして
パターン①
「苦しみを苦しみと認識しないでおこう」
と、
苦しみを無理やりポジティブに
捉えようとします
でも、無理やりなので
いつか破綻します
むりやりポジティブ思考の罠です
・・・・・・・・・・・
パターン②
「原因・問題探しの永遠の旅がはじまります」
苦しみの原因を特定することに終始します
・思い込み
・信じ込み
・信念
といった類の、こころの
あるいは、潜在意識だったりの
原因探しをして
それらの数々の(どんだけあるんだーの)
問題を解決した先に
苦悩から開放されると思います
「それって、、、結構、ながい道のりぢゃないか、、、」
と、かなり絶望します
原因、問題にフォーカスして
探してるので
たとえば、
白い画用紙の中に、黒いゴミの汚れを探してるようにして
探してるので、全体が見えなくなります
「え?白い画用紙だよね。コレ」と
言われても
「まだまだ、黒いところがあるの」と
白い画用紙のちょっとのシミさえ
気になります
そりゃ、ツライ毎日です
永遠につづく自作自演のドラマです
「課題クリアの先に待ち望む明日がある」
そういった、成長志向の罠です
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問題を特定して解決しようとしても
こころの痛み、苦しさは消えません
原因を特定して
排除して、消そうとしても
実際は、捨てることも、
無かったことにすることもできません
ただ、ただ、
「今の自分がどう感じているか?」
それを知る→ゆるす
だけ
で、しか
エネルギーは動き出しません
・・・
理屈の問題でなく
エネルギーの循環のはなしです
思考でなく、体感のはなしです
・・・
そんな話を
体験にもとずき
嘘なく、素直に
コントロールなく
ただ、シェアしています
「どうして?」「なぜ?」の原因探しで、
自分を追い込んでいる人
「もう、終わりにしましょう」
・・・
ホントは「苦しいまいにち」をムリして
たのしくしてる方
「もう、終わりにしましょう」
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