花束みたいな恋をしたの麦と絹(ネタバレしかない感想)
ガラスの靴に自分の足が入らなかったら、入るように自分の足を削るか、別の入るガラスの靴を探すか
前者が麦で後者が絹
麦
大学卒業後フリーター1年目、麦は1カット1000円のイラストの仕事を3カット1000円で提案された時に、一度はそれを受け入れたが、その後もとの値段に戻すよう申し立てたら、いらすとやを使うのでもういいですと切られた
この経験は麦の人生の方向をある程度決定づけた出来事だと思う
そして安定した収入を得るために就職する
就職した先では、5時には帰れるという話だったが、研修が思いの外忙しくて帰りが8時になり、さらに先輩から入社後から数年は大変だと告げられる。これでは絹との現状維持は叶わない
このとき転職や退職という選択肢もあっただろうが、麦は先の経験や、絹の両親の「人生は責任」という言葉や、家に積まれたビジネス書に書かれていただろう言葉や、その他諸々があったために、自分の身を削り仕事に取り組むことを選択する
「誰でも出来る仕事をしたくない」とトラックを海に捨てたドライバーを強く非難し、その姿勢を後輩に冷やかされた時は頭に血が昇っていたことから、強い決心で仕事をしていることが伺える
社会人としての形に合わせて自分を削った麦は、大人になる人間としてこの上なく立派。しかし問題は、この話が恋の話であること
仕事のために削られた部分は、文化的な趣味を楽しむ余裕と、絹との時間とコミュニケーションだった
麦と絹を結びつけたきっかけである趣味はもう更新されることはなかった。それどころか、今村夏子のピクニックで何も感じないと、パズドラしか出来ないと考え、それを絹に言ってしまった
(性的な)コミュニケーションは頻繁に取りたいと言った絹と、3ヶ月もセックスしなかった
その結果、絹に選ばれることはなかった
絹
絹は、麦との付き合いが始まる前から、自分に合う世界を選ぶ生き方をしている
家庭という枠組みを嫌って朝帰りを繰り返し、麦の同棲の提案に快諾する
社会人という枠組みを放棄しフリーターになる
結局生活のために就職をするが、後に自分に合わないからと転職する(理由が本心かはともかく)
感情を表に出しながらやりたいことしかやりたくないと言う
複数回「浮気」というワードを持ち出したり、アイスクリーム屋の店長とバイトの不倫に注目したり、浮気という概念が強く絹の中にある
など
付き合う当初から日に日に変わりゆく麦は、緩やかに絹の望む形とは逸れていき、やがて麦を選ぶ理由が無くなった
麦が初めから世界に合わせて自分を削るタイプなのかどうかは、物語初めは麦の周りの縛りが緩かったために不明だが、絹が自分に合う世界を選ぶタイプなのはずっとそう
ここの対比を考えるなら、麦も初めから自分を削るタイプだったと主張するのが綺麗かもしれない
この生き方の違いは、恐らく実家の違い
麦の親は花火を作っていて、絹の親は大手広告代理店で働いている
これはある程度それぞれの精神的余裕に関わっていそうで、この余裕の有無が生き方にも影響を与えていると思う
ということで、生き方の違いから麦と絹の違いを考えてみました
生き方の善し悪しについて言及するつもりはないです
両者それぞれ幸せという目標に向かって生きているだけですから
手段の違いを比較したかったんです
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