ちょっとだけナルシスト…
不思議な気分に…
わたしは自分の肺腺癌になった経験から、事あるごとに挨拶やスピーチを求められたら、最後に「必ずCT検査付きの人間ドックに行ってください」と言うことにしているのですが、幸か不幸かその恩恵を受けた人が出てきました…
わたしと同じ年代の人って、若かりし頃に健康には過信していた人が多くて働き蜂として朝から晩まで、そして数日徹夜の仕事自慢をしていたような世代…
連絡を受けた人もわたしと同じ年代で、わたしと同じ肺腺癌でステージは3、3Aなのか3Bなのかは聞かなかったけど、ステージが3だと癌細胞が浸潤していたということかと…
わたしの場合は、2022年10月末に宣告された肺腺癌は「c」Stageが1A、12月に右肺上葉切除後の「p」Stageは3Aでした。すなわち右肺上葉切除手術前はStage1Aの宣告を受けて、それでも癌の宣告を受けたときは本当にショックでしたし、もう死と直結するかのような感覚でした。そして、手術で切除した後の病理検査で、24サンプルのうち2サンプルがリンパ節に浸潤していたことがわかり、癌のStageが1Aから3Aに変更されました。もちろん既に切除しているので、現在のStageとしては評価されないのですが、癌の子供というか「すりガラス結節影」は残りの肺の全部位に散っており、今はなんとか1cm以内をキープしている状況で、分子標的薬タグリッソが効いていると信じたい気分です。
「c」Stageと「p」Stageは、前者が「clinical(臨床的)」、後者が「pathological(病理学的)」ということで、わたしの場合は切る前1A、切ってみたら、なんと3Aだったということのようで…
報告を受けた友人も、多分今は自分の死と向き合い落ち込んでいると思う…
多分自分と向き合っているときに、変に会いに行くのも、それはそれで辛いと思うので、彼が現状を受け入れ立ち直る気分になったときに、そっとお会いしようかと…
でも、まだStage3で見つかっただけ良かったと思う。Stage4になると他の臓器に転移していることになるので、それはそれでショックも大きいわけで、まだ早く見つかっただけでも救いだと個人的に思う次第…
特に50歳を過ぎると、本当にCT検査付きの人間ドックに行くことを勧めます。X線検査では特に肺腺癌は把握が難しいし、X線で把握できたら、多分もうStageは少なくとも3以上になっているはず… 彼もCT検査で複数の癌が見つかったようなので、CT検査は必須かと…
今考えると、わたしも最初の転職前の休暇消化期間にCT検査付きの人間ドックに行ってなかったら、今頃多分Stage4は確実だと思うし、他の臓器に転移していたら、それこそ未だに入院しているかも知れない…
今、分子標的薬タグリッソにすがってはいるものの、こうして好きな仕事をしていることは本当に不思議に思うし、何より生きているというか生きる希望があることを嬉しく思っている次第。友人もこれから癌と戦うのは大変ではあるけど、命拾いしたのだから、もっと残された人生を有意義に過ごすためにも、手術や抗癌剤治療を耐え抜いて欲しい…
そう言えば…
わたしが前前前職で、福岡→東京→福岡と勤務していた時に、九州・山口の経営学や経済学の先生や実務家の人たちを交え、ケースメソッド研究会という会に参加し、ビジネスケースについてそれを考えたり、中には新しいケースを考案したりして、ケース議論を深めていった時期があります。
そこで会を仕切っていた当時九州大学ビジネススクールのH先生も肺腺癌になったと、親友から聞いたことがある。わたしより2~3歳年長のH先生もそうなのかと思うと本当に切ない…
最近タバコを吸わないのに肺腺癌になる人が多いのは、これはわたしの推測だけなのですが、中国の大気汚染が原因の1つだったりするのかと個人的に思っています。福岡だと春になると黄砂が舞いますが、最近は全国的に黄砂が飛んでくるようで、結局中国から黄砂を含め、PM2.5など大気汚染物質含め日本に舞い降りる量が、中国の発展とともに増えていったのではないかと感じています。故に肺の奥の方に入り込む異物を含め、男女ともに肺腺癌になりやすいのかと…
まあ人間はそれぞれ生まれ持った使命があるのだろうけど、大病を患うと自分自身で100%力を発揮しようと思っても、十分に発揮できなくなる…
人それぞれ立直りには時間がかかると思うけど、今の自分もリアルの自分とともにどこか達観したメタ認知に似た意識というものが存在しているように感じることもある…
その意味で、無駄な時間になりそうなものからは、さっと関わり合うことを避け、自分にとって意味あることに残りの力と時間をそそぐというか、自分の知らないところで意識がそうさせている…
人間、大病の後は本当に人生の優先順位が変化するもの…
わたしは小さな頃にひき逃げに遭い、幼稚園の2年保育のうちの1年を病院で過ごした…
多分本当はその時に寿命は尽きていたのだろうけど、何故か助かった…
でもその頃は人生の優先順位なんてまだまだ考えることもしてなかったので、人生のガラガラポンは起こらなかったのだろう…
今、長年過ごしてきて、こんな凡人でも築きあげたものがあるので、それなりのガラガラポンは本当に意識の中でタワーが崩れるような感覚だったし、元のタワーとは全く違うものをその場所に建てているかのような不思議がある…
今は癌を含め、多くの人間は死ぬ場所が病院だったりする…
それだけ何らかの病をもって虹の橋をわたるのだろう…
わたしの切除した右肺上葉とは一緒に虹の橋は渡れないけれど、それでも先に渡ったと思われる右肺上葉とはいつかは巡り会うのだろう…
それまで、けっして怠惰になること無く、何らかの足跡や記憶として残っていると嬉しいな… みんな同じことを考えることになるのかもしれないけど…
今のところ死神のパトラッシュは大人しいけど…