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#1 恋愛について
三島由紀夫の新恋愛講座の一節を読んだときに、ふと自分の恋愛はどういうものだったかが思い返された。たかが一説を読み込んだだけでこんなに甘酸っぱい気持ちにさせられる。自分の恋愛がまさか甘酸っぱいものだったとは今の今まで思いもしないし、また一つ、三島由紀夫にやられたと思う瞬間でもあった。
「相手の幻想を破ることが、恋愛において誠実であるかどうかは、非常に疑問なのであります。」
相手は恋愛を進行形で進めている以上、自分の事を理想の像を備えた「幻想」としてみている。自分の言葉の端々から出ていく幻想を、ジクソーパズルのパーツがサクサクと収まるべき位置へと導かれるように相手が収めていくのを感じ取ると、それが何か喜びのような幸福感を覚えてしまう。それは幻想だけれど。
「ですから、真心を求め合うということは決して自分勝手な真心を相手から求めることであってはならない。」
幻想は幻想として、喜びのような幸福感を味わい続けるのならば、相手から無垢な真心をむさぼるような事はするべきではないし、真心を強要するべきでない。「真心」とは、他人のために尽くそうという純粋な気持ちをいうのだから、赤ん坊のように扱わないといけないし、扱ってもらわないといけない。
「恋愛は子供のすることでなく、おとなのすることですから、そこでは人間同士のうそが、一番美しい目的のために奉仕していく。うそというものが、恋愛では一番誠実な意味を持ってくるのではないかと私は思っています。」
幻想を破らないように、自分へのうそで幻想のままにしておく。そして、幻想という事実を忘れないように我が身にストックしておく。本来の意味を越えて「嘘」が恋愛の甘酸っぱい果実になる瞬間であって、その甘酸っぱさが「いい!」のではないかとこんな歳にもなって僕も思ったわけです。