「愛さないでください」という自分の無意識メッセージに気づいた話
今まで対人関係で、人から軽んじられるというか、わりと失礼なことを言われたり、なんか大事にされてないなあという思いをしょっちゅうしていました。
男女問わずです。わたしにとって大事な人ほどこういう感じになりました。
「そんなわけない。彼らもわたしを大事にしてくれていると思う!」と信じようとして、結局「都合の良い人」になり果ててしまったり・・・
限界を超えて突然キレることもあれば、自ら消えることもありましたねw
「そいつらがクソなんだ」という説明も一理あるんですが、
わたしは彼らを愛していたので、関係がそうやって終わるのはどうしても悲しいです。
あまりにそういうことが多いので、何がいけないのかなーと考えました。
彼らに対してわたしが恐怖を抱いてるのなら、理屈はわかるんです。
不機嫌になってほしくないとか、嫌われたくないとか、そういう恐怖、いわゆる気遣いですね。エネルギーを振り撒くやつです。
エネルギー振り撒いてたら食べられてしまうってのは、元レプなのでわかりますw
でもそれとは違って、わたしは彼らがどんな状態であっても受け入れられるし、絶対的に愛しているという感覚がありました。
だからこそ不思議だったんです。愛は愛を引き寄せるはずなのに、何が間違ってんのかなあ、と。
でも今さっき気付きましたw
わたしは彼らに無意識で
わたしを愛さないで。敬わないで。こっち見ないで。
と伝えていたのです!!
オリオン生まれであることが関係するのかはよくわかりませんが、
わたしは今世での経験と関係なく(というのも、両親はわたしを無条件に愛してくれているため)、
どういうわけか愛を知らずに生まれてきた
ようです。
とにかく、愛されるとつらい!!!!
対価を求められているようにしか感じないんです。
愛されると、まるで借金を負うような気持ちになります。
それが条件付き・エゴ付きの愛ではない、真実の愛であっても、です。そんなものがあると知らないからです。
例えば
なにかしてもらうと、感謝を伝えなければ!!!お返しをしなければ!!!と気負ってしまう。
応援してもらうと、頑張らなければ!!!と負担になる。
感謝されると、いやそんな感謝されるようなことしてません。と卑屈になる。
とても不思議ですね。自分が彼らを愛するときには、理由も条件もないのに。
対価を求めずに愛することができるようになっても、自分が愛されると対価を求められているような気がしていました。
「良い子だね」と言われると、「むむ、良い子であることを求められている!」と借金に脳内変換するような具合です。
なるべく借金を負いたくないので、できれば愛されたくないという方向になります。
「愛さないで!こっち見んな!」と叫びながら人と関わっていたら、そりゃ愛されませんよねw
それでも今まで愛を持って接してきてくれた友人には心から感謝したいです。
わたしは無条件に人から愛されて良い存在なんだな。
愛されても何か求められてるわけじゃないんだな。
と、先週くらいからやっと思えるようになってきましたww
それにしても、幼い頃から無条件の愛に触れていても、その意味がわからないということがあり得るんですね。
よく愛を知らないのは親が云々と書いてありますけど、
自信を持ってわたしが言えるのは、親からちゃんと愛されていても長いこと愛がわからない子もいる!ということです・・・
愛されてることが、生きてるうちにわかるようになってよかったー。と心底思います。
これからは「愛されて良いんだ」的なマインドで、現実でもより良い対人関係が築けたらうれしいな〜と思います。
読んでくださってありがとうございます^ ^