大塚ひかり(1961 .2.7-)「嫉妬と階級の『源氏物語』 第六回 身分に応じた愛され方があるという発想」『新潮』2023年6月号
『新潮』2023年6月号
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大塚ひかり(1961.2.7- )
「嫉妬と階級の『源氏物語』
第六回 身分に応じた愛され方があるという発想」
p.214-226
2023年6月21日読了
「正妻の「下位」に甘んじ不遇に死んだ母と違い、
源氏の妻となる "御幸ひ" を得た紫の上は、
父の正妻だった継母や異母姉たちの「上位」の立場になった。
そして明石の君という下位者に対しては、夫を喜ばせ、
愛情を再確認させる「理想的な嫉妬」をしてみせた。
正直、その様は読者としてはあまり面白くない。
優等生すぎてエンタメ性に欠けるのだ。」
p.214
「紫の上[三十二歳]は、
かってない深刻な事態に身を置くことになる。
体調不良を感じた朱雀院の頼みで、
四十になる異母弟の源氏が、
まだ十四、五歳の女三の宮の親代わりという名目で
結婚することになったのである。
ここから「若菜」と呼ばれる
上下に分かれる長大な巻が始まる。」
p.219
「女三の宮[朱雀院第三皇女]は、
源氏の望む「釣り合う身分の妻」として降嫁した。
紫の上がどんなに優れた人であっても、
世間から見ると、源氏に釣り合うとは言えなかった。
ここにきて作者は、
読者の夢や希望や期待感を崩しにかかってくる。
紫の上は振り出しに戻った。
父のいる "やむごとな" い正妻の家では、
「我が家では関知しないところで生まれ育った人」
と見下されていた寄る辺ない継子……
女三の宮の「階級」の前に、
世間はそんな紫の上の
本来の階級を思い出したことを、
読者の眼前につきつけてくる。
それにつけても恐ろしいのは、
優等生の紫の上が不遇に見舞われ苦しむ
「若菜」上下巻以降、
物語はがぜん面白くなることである。
p.226
「桐壺更衣の死を悼む夫[桐壺帝]
への嫌がらせに音楽を奏でさせる弘徽殿、
無意識のうちに生霊になって
葵の上を死に追いやった六条御息所、
またこれはのちの話ではあるが、
女のもとに通う夕霧(源氏と葵の上の子)に
「おとなしく死んでしまいなさい」と叫ぶ妻の雲井雁……
『源氏物語』にはさまざまな嫉妬の形があるが、
この[髭黒の]北の方[紫の上の異母姉]の
[玉鬘への]嫉妬ほど派手なものはない。
それもふだんの本人は弘徽殿や
六条御息所のような強さはみじんもない、
「とてもおとなしくて性格がよく、
子どものようにおっとりしている」
という地味な人であるだけに、
よけいに恐ろしい。
こういう性格の人だからこそ
気持ちを極限まで抑えて、爆発させてしまうのだ。」
p.217
「[髭黒は]新妻である玉鬘とその養父である
源氏の思惑ばかり気にしている。
北の方は不意に紫の上のことを口にする。
「その源氏の大殿の北の方というのも、
私にとっては "他人(ことびと)"ではありません。」
北の方にとって紫の上は異母妹
[兵部卿宮(後に式部卿宮、藤壺中宮の兄)と
按察使大納言の娘の子]なので、
こう言ったのだ。そして続ける。
「あの人は、"知らぬさまに生ひ出でたまへる人"
(こちらの知らない状態で生まれ育った方)で、
あとになって、こうしてあなたの新しい奥様(玉鬘)の
母親ぶって世話なさっている」
北の方にとって紫の上は、
親王家では関知しない外腹の女、
有り体に言えば劣り腹の妹だ。
夫が持ち上げている源氏の北の方は
我が家にとっては「格下」なのだ」
p.216
「「下位者」にだけ、嫉妬をあらわにする紫の上
髭黒の北の方のエピソードは、
優れた継子とダメな実子という
「継子いじめの物語」の文脈としても読める。
母の代では負けていた紫の上は
もともとの身分的には
親王の正妻腹の異母姉(髭黒の北の方)
には負けていたものの、
十四歳で八歳年上の源氏と結婚以来、
ナンバーワンの妻として君臨することで
その社会的地位は異母姉を凌駕した。
さらに「嫉妬の形」という点でも
異母姉に勝利している。だが……。
源氏の愛を萎えさせるどころか、
いっそう愛しく思わせる結果となった
紫の上の嫉妬は、相手が明石の君という
格段に低い身分の女だからこそ成り立っていた。
明石の君は源氏の姫君まで生んだ女だが、
階級的には紫の上の敵ではない。
紫の上は、自分の「階級」を
非常に意識している。
自分の「妻としての地位」が
落ちるのを人一倍恐れている。
けれど、事態が深刻であればあるほど、
それをあらわにしても良い結果は望めない。
むしろ世間に笑われ、夫の心を冷めさせるだけと、
賢い紫の上は知っている。
そして夫の心が冷めた時、
自分には頼る実家も、強い後ろ盾もないことをも。
彼女が深刻なケースほど嫉妬をあらわにしないのは、
聡明さもさることながら、
嫉妬を爆発させて夫婦仲が冷えた時、
異母姉と違って、頼みの後ろ盾(実家)がないからだ。
本当に嫉妬したい時、嫉妬を表現することさえ、
紫の上はゆるされない立場である。」」
p.218-219
「女三の宮は、
入内と同様の最高の格式で源氏のもとに輿入れし、
新婚三日目の夜を迎える。
三日目は正式な結婚が成立する大事な夜だ。
紫の上は、
夫の着物にひとしお念入りに香をたきしめさせながら、
物思いに沈まずにいられない。
…
紫の上の嫉妬の形は、
明らかに異母姉の嫉妬と
対照的に描かれている。
紫式部は読者に、髭黒の北の方が、
夫を新妻のもとに送り出す夜を思い出させ、
北の方と紫の上を比べてみよ、と仕掛けている。
異母姉である北の方が嫉妬を爆発させたのに対し、
紫の上はこらえ続けた。
異母姉は夫と離婚したが、
紫の上は夫の愛を失わずに済む。
のちには女三の宮と対面し、
幼い宮のレベルに合わせ、
親しく会話をするまでになる。
ここでも継子の紫の上は、
実の娘に「勝った」のである。
だが……
紫の上のストレスは深く身を蝕み
やがては胸の病となって、
出家を願い出ても、夫に聞き入れてもらえない。
実家と不仲で帰れない、
頼れる親きょうだいもない紫の上は、
心のままに出家もできない。
こうなると、
嫉妬を爆発させ、夫に疎まれ、
実家に戻って事実上の離婚となった、
異母姉の北の方のほうが幸せなのではないか……
そんな思いが胸をよぎる。」
p.221-222
「紫の上の不幸を喜ぶ "御方々"
"数ならぬ身" を嘆き続けてはきたが、
身分に見合わぬ気品と教養と聡明さを持つ明石の君、
容姿は優れぬものの、染色の腕は紫の上に劣らず、
賢く率直な花散里。
そんな妻たちであるだけに、
紫の上の不幸に「どんな気持ち?」と
尋ねてくることが恐ろしい。
紫の上の不幸を喜ぶ、
継母に通底する思い……
「ざまぁ見ろ」という気持ちが透けて見える。
物言わぬ心の底で、他の妻たちが
紫の上に嫉妬の念をいだいていたことが
明るみにさらされる。」
p.222
「加害者としての紫の上
今まで読者はいかに紫の上が素晴らしいか、
孤児同然の身から源氏の愛妻となったことの
"幸ひ(幸運)" を世間も称賛している……
そんなプラスの面ばかり見せられてきた。
ところが紫の上がいるせいで、
大勢の妻たちが空しい暮らしをしていたという。
物語は「加害者」としての紫の上の側面を、
ここにきて浮き彫りにする。」
p.225
「実は妻の身分が不満だった源氏
源氏に親しく仕える男
[女三の宮の乳母の兄]の口から、
今まで読者には
決して明かされることのなかった
源氏の本音、
自分と釣り合う高貴な妻がほしい
という心の内が暴露された。
女三の宮は、源氏の望む
「釣り合う身分の妻」として
降嫁したのだった。」
p.226
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