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関容子(1935.5.24- )『勘三郎伝説』文藝春秋 2013年11月刊 240ページ 十八代目 中村勘三郎(1955.5.30-2012.12.5) 太地喜和子(1943.12.2-1992.10.13) 丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
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関容子(1935.5.24- )
『勘三郎伝説』
文藝春秋 2013年11月刊
240ページ
https://www.amazon.co.jp/dp/4163767800
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163767802
「「銀の薔薇を百本贈るよ」――
約束は太地喜和子の通夜で果たされた。
「役者の仕事って水の上に指で字を書くようなもの。
書いたそばから空しく消えてしまう」――。
芝居の世界に身を捧げ五十七歳で早世した稀代の名優・
十八代中村勘三郎。
初舞台から見守り、親交を結んできた著者だけが知る初恋の真実、
芝居への情熱、豊かな人間関係……。
人を愛し、芝居を愛したその生涯を豊富なエピソードを
散りばめながら描く。
第一章
初恋の人に銀の薔薇を――
「どこにいても毎日会おう」北海道でも九州でも
第二章
勘三郎スピリットと仁左衛門――
実の兄とも慕った松嶋屋との友情
第三章
超多忙な天才子役――
学校、芝居、テレビ、ラジオ、映画に稽古の毎日
第四章
中村屋極付『連獅子』誕生秘話――
先代と。息子たちと。しかし果たせなかった「孫獅子」との共演
第五章
命あってのもの――
「子どもたちを頼むよな」姉・波乃久里子に託した日
第六章
二十二歳下でも海老蔵は友だち――
アリゾナの別荘に、稽古に押しかけた弟分
第七章
「わたしの若い友人」と書く作家――
相次いで逝くことになる丸谷才一から学んだこと
第八章
新しい世界への挑戦――
井上ひさしに執筆を頼んでいた「大悪人」の役とは?
第九章
夢の地図――
琴平、赤穂から英語のせりふに挑んだニューヨークまで
第十章
勘三郎の出会った人々――
ピエール・カルダン/ロバート・デ・ニーロ/宮沢りえ/
杉村春子/勝新太郎/三木のり平/古今亭志ん朝
第十一章
思い出走馬灯――
愛らしかった『娘道成寺』から幻と消えた『助六』計画まで」
福岡市総合図書館蔵書(複本3冊)
2022年1月5日拾い読み
「第一章
初恋の人に銀の薔薇を」
p.9-25
『文藝春秋』2013年2月号
「第七章
「わたしの若い友人」と書く作家[丸谷才一]」
p.113-133
『オール讀物』2013年8月号
「まえがき」
「あとがき」
を読みました。
「[十八代目 中村勘三郎と丸谷才一の]
対談の数は十回近くになり、そのほどんどを私が構成した
…
ずっと以前、中村屋から聞いた太地喜和子さんとの純愛の話を、
いつか丸谷さんにだけ話したことがあった。
実にいい話だねぇ、と先生はとても感心して、
「結婚前のことだから書いても差し支えないとは思うけれど、
やっぱり奥さんの気持を考えるとね。
ただ、成人した息子というものは父親のひたむきで純粋な
昔の恋愛には男として憧れを抱くものだから、
あるとき父親の姉さんにそのことを訊きただす。
で、伯母さんの目を通してそれが語られる、
という形のフィクションにしたらどうだろう。
そうだ、『弟の初恋』という題がいいね」と、
すすめられた。
それをあたためているうちに、
先生も中村屋も世を去った。」
p.8
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
関容子(1935.5.24-)
太地喜和子(1943.12.2-1992.10.13)
十八代目 中村勘三郎(1955.5.30-2012.12.5)
「私の聞書き第一作は
詩人堀口大學先生[1892.1.8-1981.3.15]で
『日本の鶯』
[角川書店 1980.5 『短歌』連載]
だが、このきっかけとなったのが
「丸谷才一文芸閑談対談」
『カッパまがじん』
[1976年7月号~1977年5月号、全6回]光文社
の構成者として私が同席し、
大學先生に出遭ったことだった。
第二作の人物を
先代中村屋と定めたがその
『中村勘三郎楽屋ばなし』[文藝春秋 1985.1]
は書き下ろしだったせいもあり、
難航して途中で投げ出してしまおうかと思ったときに、
「今それをやめて、将来中村屋が亡くなったとして、
一番悲しい思いをするのは君だから」
と意見をしてくださったのが丸谷さんだった。
五年近くかかってやっと本が出来たとき、
息子として若い[29歳?]中村屋が
こうお礼を言ってくれた。
「役者って、亡くなったら、
どんなにいい芝居をする人だったか、
観た人しか憶えてなくて、
それもだんだん忘れられる悲しい商売だけど、
舞台を観てなくても、
ああ、そういう人だったんだ、
って書かれた本でわかるし、残るじゃない。
親父のこと、いい男に書いてくれて有難う」
この挨拶に
「なかなか賢い男なんだ」と感心した丸谷さんが、
それからは若い中村屋の芝居をよく観に行くようになり、
あるとき席を設けてくれる人があって会食し、
話が弾んでからはいっきに親近感が増したのだった。」
p.116
読書メーター
関容子の本棚
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11092009
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https://note.com/fe1955/n/nba1ca186cd49
中村勘三郎(1955.5.30-2012.12.5)
関容子(1935.5.24-)
「あの花やかな襲名披露興行を寿いで
新しい勘三郎の時代」
『文藝春秋』
2005年11月臨時増刊号
「一冊の本が人生を変える」
『おっとりと論じよう
丸谷才一対談集』
文藝春秋 2005年11月刊
https://note.com/fe1955/n/n19e0cce12b8b
読書メーター
丸谷才一の本棚
登録冊数183冊
刊行年月順
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11091201
高校生の頃(1970-72)に読んだ
福永武彦・中村真一郎・丸谷才一
『深夜の散歩 ミステリの愉しみ』
早川書房 1963.8
https://note.com/fe1955/n/n26e000989c48
https://note.com/fe1955/n/nf236daad7399
以来五十年以上読み続けてきました。
![](https://assets.st-note.com/img/1734892141-XOrbmy5VaRQwLn24kBpYoGDS.png?width=1200)
丸谷才一本所蔵一覧
60冊 単行本刊行年月順
2020年10月13日作成
https://www.facebook.com/tetsujiro.yamamoto/posts/4541208092620461
その後、
アマゾン中古を40冊購入して、
現在は101冊。
今日は八年前に87歳で亡くなられた丸谷才一さんの命日です。 ウィキペディア https://goo.gl/TuZm5X 「丸谷 才一(まるや さいいち、1925年(大正14年)8月27日 -...
Posted by 山本 鉄二郎 on Monday, October 12, 2020
"発表年月日順・丸谷才一作品目録.xls"
エクセルファイル(約三千行)
単行本・文庫本90数冊分の
目次・初出・書評対象書を、
発表年月日順に並べ変えて
編成、作成中。
完全編年体・丸谷才一全集
(の目次・内容一覧)
1925年8月27日誕生
2012年10月13日逝去
「ゆがんだ太陽」
『秩序』第1号(1952年1月発行)
~
「わが青春の一ページ
桐朋学園音楽科60周年記念
コンサート・祝賀会での挨拶
2012年10月8日」
『別れの挨拶』集英社 2013年10月刊
を夢想(妄想)してます。
https://note.com/fe1955/n/nf2e83d450460
https://note.com/fe1955/n/n8c96e31ad867