
五味文彦(1946.1.30- ) 『藤原定家 芸術家の誕生 日本史リブレット 人 030』山川出版社 2014年2月刊 95ページ 『明月記の史料学』青史出版 2000年7月刊 340ページ 藤原定家(1162-1241) 後鳥羽院(1180.8.6-1239.3.28)

五味文彦(1946.1.30- )
『藤原定家 芸術家の誕生
日本史リブレット 人 030』
山川出版社 2014年2月刊
95ページ
https://www.yamakawa.co.jp/product/54830
https://www.amazon.co.jp/dp/4634548305
「古典への情熱を持ち続け、和歌を詠むことに心を砕き、
和歌の黄金時代を築いた定家。
日記『明月記』と、定家に大きな影響を与えた
後鳥羽上皇との関係を通じて、その一生を探る。
目次
1.初学の時期 - 歌人・定家の出発 -
紅旗・征戎,吾が事に非ず/和歌の本格的勉強/
西行と『千載和歌集』/定家の歌の判
2.新時代の幕開け
朝廷と幕府/相次ぐ死の影/『六百番歌合』と九条家/時代の急展開
3.上皇と定家の交流
正治百首歌/道の面目/近臣への道/和歌の試験/芸術家とパトロン
4.撰集に向けて
撰集への出発点/三度目の百首歌/和歌所の設置
5.上皇と定家の熊野参詣
熊野御幸への同行/王子に奉納する歌/熊野の神への祈り
6.勅撰和歌集への道
撰集の開始/水無瀬釣殿での試み/憂いと歎きと疲労と
7.撰集と停滞と
通親の死と定家の昇進/俊成の九十の賀/撰集の進捗と父の死
8.『新古今和歌集』の成立
撰集の最終段階/竟宴への不参加/仮名序の成立
9.『新古今和歌集』から『百人一首』まで
幕府への影響/定家のその後/二つの百人和歌
「歌聖」と後世の人びとに仰がれた藤原定家。
『百人一首』のカルタで,今も人びとに広く愛されている
『百人一首』の和歌を選んだ歌人。
その成長と発展の実像を,日々の喜怒哀楽を記した日記『明月記』や,
パトロンとなった後鳥羽上皇との関わりのなかからえぐりだす。
これはまさに日本で初の芸術家の誕生といえよう,
と考えるのだが,一体,芸術家とは何なの,
という疑問にもお答えしよう。」
藤原定家(1162-1241)
後鳥羽院(1180.8.6-1239.3.28)
福岡市総合図書館蔵書
2014年6月17日読了
鎌倉時代初期の公家・歌人、
藤原定家の、
奥付を含めても99ページしかない簡潔な伝記、
ですが読み終わるのに一週間近くかかってしまいました。
承久の乱の前年、
承久二年(1220)二月十三日、
順徳天皇の歌会に提出した
「道のべの野原の柳したもえぬあはれ嘆きのけぶりくらべや …… の詠が
後鳥羽院の怒りを買ひ、
定家は勅勘の人として長く家にとぢこもることになるのである」
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
『後鳥羽院 第二版』
ちくま学芸文庫 2013.3
p.218
という事件がまったく取り上げられていないのが残念でした。
https://note.com/fe1955/n/n56fdad7f55bb https://note.com/fe1955/n/nce8e9a0c3675
「世上乱逆追討雖満耳不注之 紅旗征戎非吾事」
『明月記』 治承四年(1180)九月条
「世間は反乱とその追討の噂でもちきりだが、それをいちいち記さない。
軍旗を靡かせ敵を討つことは私には関わりのないことだ。
……
時に定家は十九歳、若々しくもみずからの立場を
昂然と言い放っているのが印象的で、
詩人の出発点ともいうべき宣言といえよう。
この七月には後鳥羽上皇が生まれており、
定家・上皇にとって記念すべき年であった。」
p.5「初学の時期 歌人定家の出発」

カバー表写真、
『拾遺愚草』(藤原定家筆)の和歌
「氷とく春の初かぜ立ちぬらし霞にかへる志賀の浦なみ
建久五年夏 左大将[藤原良経]家歌合 春二首の中 志賀浦」
は、グーグル様の助力で、私でもなんとか読めました。
四枚掲載されている影印に、
全部、読みくだし(翻刻)をつけて欲しかったなぁ。
もちろん、無い物ねだりですけど。
読書メーター
五味文彦の本棚
登録冊数10冊
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11091313

五味文彦
『明月記の史料学』
青史出版 2000年7月刊
340ページ
http://www.seisi-shuppan.co.jp/meigetuki.htm
https://www.amazon.co.jp/dp/4921145083
「藤原定家の「明月記」を題材に、古記録の読解や
文献の性格の解明だけでなく、古記録を中心とした
史資料の総合研究を意図した論考集。
多様な史料群から、「明月記」の歴史的位置と
近代的な人間であった定家像が浮かび上がる。
戦乱と政争の中に生きた定家とその時代を犀利な史眼で分析、
実態の解明に迫る。
「明月記」は、いくつもの断簡に切断されて 巷間に流布した。
散在する断簡を丹念に収集し、その全体像の 復元を目指す。
古代・中世史、国文学研究者待望の書。
【目次より】
第一 藤原定家の時代 = 新・定家の時代誌
九条家と定家
後鳥羽院政と定家
藤原定家の写本形成
第二 明月記の史料学 = 『明月記』の書写とその利用
紙背から『明月記』を探る
『明月記』嘉禄元年秋記の復元
『明月記』嘉禄三年四月記の復元
第三 明月記の群像 = 『明月記』の群像
九条基家と慈円
説話としての『明月記』
中納言定家と上卿故実
藤原定家関係文書・掲出文書一覧
索引」
福岡市総合図書館蔵書
2008年7月19日読了
明月記 治承四年(1180)九月条の有名な
「世上乱逆追討、雖満耳、不注之、紅旗征戎、非吾事」
を初めて読んだのは、四十年以上前、
丸谷才一
『後鳥羽院 日本詩人選 10』
筑摩書房 1973.6
https://note.com/fe1955/n/n3c66be4eafe5
によってでしたが、当時は、
この治承四年記は後世の補筆である
という説が有力になりかけていました。
まだ十代の若い定家が書いたのではない、
とする学説です。
本書はこの説を否定しているのですが、
その論証の手続きが、
私にはとても面白く読めました。
まるで推理小説を読むようでした。
でも、読む力がない者が無理に読もうとしたからでしょう、
なかなか読み進めませんでした。
https://note.com/fe1955/n/n68287f38f7bb
『芸術新潮』2018年7月号
ヤマザキマリ、とり・みき
「リ・アルティジャーニ ルネッサンス画家職人伝
14 アントネッロ・ダ・メッシーナの修行時代」
「中野京子が読み解く画家とモデル
第4回 ピエロ・デラ・フランチェスカと
《ウルビーノ公夫妻の肖像》」
五味文彦
「後白河院と後鳥羽院 国王の美術」https://note.com/fe1955/n/nfb0e8238a1ee
https://note.com/fe1955/n/n652563764889