海が大好きな癌末期の患者さんの海を見に行く1泊2日の旅行同行④
今回は旅行当日、Aさん自宅出発からホテル到着までを記します。
2023.11.21
いよいよ当日
旅行行程としては
ホテルのチェックインの時間に合わせ、14時にAさん宅へ介護タクシーの迎えが来る予定にしていました。
16日に今回の旅行が決まって今日まで私はAさんの体調が変わらないか心配でした。
誰しも予定を計画した後に体調不良になったり、何か他の用事が出来たりして計画が中止になることはあります。
しかし、Aさんの場合は元々が病気(癌末期)の人なので、その可能性はとても高いです。
私はAさんの希望通りに海を見せてあげたかったので、この5日間は体調が悪くならないかと常に心配していました。ご家族には何か変わりがあった場合は直ぐに連絡してもらうように伝えていましたが、何も連絡は無くこの日を迎えました。
万が一、体調に変動があり外出が出来る状態でなくなった場合には、事前予約しているホテル、介護タクシー、濃縮酸素、夕飯のお刺身盛り合わせなどは全てキャンセルしなくてはなりません。
特にホテルは当然ですがキャンセル料がかかります。前日キャンセル料20%、当日100%です。
病気の人に付き添う私の仕事は、このような可能性と隣り合わせの仕事なのだと再認識しました。何よりも本人の体調が優先です。今回はご家族も体調不良はなかったので幸いでした。
私は体調確認や排泄、更衣や物品の最終確認の時間も考えて30分前にAさん宅へ伺いました。
13:30
Aさん宅の駐車場に到着しました。そこで念の為に酸素濃縮器がホテルの部屋にセットされているかホテルに確認の電話をしました。今回使った会社は帝人という会社で訪問医の病院の事務員が手配してくれました。ホテルスタッフはAさんが宿泊する部屋に酸素濃縮器がセットしてあると返答しました。これでホテルに到着してから必要な物品は準備されたことになり一安心しました。
その後にAさんのお宅へ伺ってお部屋に行きました。毎週火曜日にAさんは訪問医の診察を受けていましたので、火曜日の今日も午前中に診察を受けていました。また訪問看護も火曜日に受けているので点滴を済ませて更衣もされていました。
Aさんはベッドに臥床されていました。
私は「今日はよろしくお願いしますね。一緒に海を見に行きましょう。そしてホテルに1泊して帰りましょうね」とAさんに声をかけました。
Aさんはしっかりした口調で「よろしく頼みます。こんなことは滅多にない、楽しみじゃ」と言われました。その表情は笑顔で目には意欲を感じました。そばにいるご家族も「お父さん楽しみじゃねぇ」と笑顔で言われました。
その後出発前のバイタル測定、準備物品の最終確認をしました。今回の参加者はAさん、奥さん、娘さん2人と奥さんの妹さん、そして私の6人です。介護タクシーにはAさんと奥さんと私の3人が乗ります。娘さん達3人ははご自分の車で介護タクシーについて来ることにしていました。ですので旅行物品の多くは娘さんが自分の車に搬入済みでした。介護タクシーに持ち込むのは携帯酸素とボンベ、移動用の車椅子です。今回の目的地のグランドプリンスホテル広島までの所要時間は約40分です。
Aさんは長時間、車椅子に座るのは体力的にも負担があります。また痩せているので仙骨部を圧迫すると痛みが出ます。ですので移動は車椅子で介護タクシー乗車時はリクライニング車椅子に臥床して乗ることにしていました。
また、移動中や移動動作中に痛みが出てはいけないので予防的に痛み止めを内服することを提案し内服してもらいました。
予定通り介護タクシーが迎えに来たので、Aさんをベッドから車椅子へ移乗し、お部屋から出て玄関に向いました。玄関には体格のいい男性が待ち構えていました。その男性は車椅子がスムーズに移動出来るように玄関の段差にスロープをセットしてくださいました。見るからに自作の木製スロープは段差にピッタリの高さでした。その男性は「せっかく作ったんじゃけ使ってもらわんと」と言われました。どうやら男性はAさんの息子さんのようでした。近くの職場にいたのでAさんを見送りに来られたようでした。おかげで玄関はスムーズに移動が出来ました。そして息子さんが車椅子から介護タクシーのリクライニング車椅子への移乗もしてくださいました。体格のいい力のありそうな息子さんですし、ここは下手に私が手出し口出しせずに任せようと判断しました。その時、私は父親を抱っこするは無かったなぁと自分自身の父子関係を振り返りました。
無事に介護タクシーに乗車しました。乗車中から介護タクシーの周りには息子さんやお婿さん、近所の人達が見送りに集まって来ていました。Aさんは「行ってきます、行ってくるよ」とみなさんに手を振っていました。
見送りの人達も笑顔で手を振って「行ってらっしゃい」とAさんと奥さんに声をかけていました。
奥さんも「行ってくるよ」と笑顔で手を振らながら介護タクシーは出発しました。
最高!最高!
介護タクシーに乗車してから直ぐにAさんは「最高!最高!こんなことは滅多に無い。ありがとう、ありがとう」と手を合わせていました。乗車時は景色が見えやすいようにリクライニングの角度は浅くしていました。天気は快晴です。太田川沿いを走る介護タクシーの後部から景色を見ながら「最高!最高!」と何度も言われました。
「良かったね父さん」と奥様も楽しそうに話されていました。
Aさんは体調を崩してから外出自体が久しぶりのようでした。
20分くらいしてから腰部痛を訴えてられたので停車してからリクライニングの角度をフラットにして姿勢を整えました。
その後しばらくしてAさんはウトウトされました。
昭和のカッコいい男性はこんな人
車中では奥さんが色々とAさんや自分達のことを話して下さいました。私からするとどれも書ききれないほどぶっ飛んだ内容で驚くばかりでした。
一番印象的だったのはAさんはとても働き者だったということです。Aさんは建設会社の創業者でした。朝5時には仕事に行って夜中1時頃に帰宅していた。そんな生活も厭わなかった人だったそうです。
現場で大きな木材を運ぶ時に、若い従業員達が一本担ぐのがやっとのをAさんは三本担いで皆を追い越して行っていたと。その時に「ワシの真似をすなよ、怪我するけぇの」と若い従業員に声をかけていたと。
Aさんは体格がいい人で身長は175cm
体重は一番重い時は110kgだったそうです。米俵も一度に30kgを二俵担いでいたと。単純な想像ですが他人の2倍も3倍も働いた人生だったんだなと思いました。
奥さんからはこのエピソード以外にも色々と教えてもらいました。
Aさんのリクライニング車椅子の隣に座り「無一文からスタートして途中で取引先が倒産してまた無一文にもなったし、ようやってきたよね」と奥さんはAさんの手をさすりながら話されました。
夫婦そろって明るくお人好しだから、騙されたことも何回もあったなど、全てのエピソードがAさんの人間性を表しているなと思いました。
こんな明るく豪快、従業員思いの働き者のトップ、危険な仕事でも自ら先頭を行く姿勢は昔気質の親分肌の人だったんだと思います。昭和のカッコいい男性はこんな人なんだなと思いました。
約50分ほどで海が見えてきました。
奥さんが「お父さん海よ海、見える?」とAさんに声をかけました。ウトウトしていたAさんはパチッと目を開けて車窓から海を眺めていました。
ほどなくして介護タクシーはグランドプリンスホテル広島に到着しました。
今回はここまでとします。
最後まで読んでいただきありがとうございます。