過ぎ去りし黄金週間の思い出
幻の9連休があっという間に終わってしまいました。
GWという文字を見ても
ゲートウェイやらガーディアンウォールとしか読めないあたり仕事モードが抜ける前に連休が終わってしまいました。
ゴールデンウィークとは、なんぞや。
私が9日間もお休みを頂戴している中、恋人タミオ君のお休みは1日だけだった。その1日に それぞれの実家に婚姻届けのサインを貰いに行った。
それぞれの実家と、うちの別れた旦那(父)の家に ちょっとした手土産を持って。もう何度もお会いしているし、今更緊張したりはしなかったけれど、一応2人でスーツを着て、改めてご挨拶をしつつサインを頂いた。
元々我が家は、家族間の距離がとても近くて
家族と離れるなんて考えられないような暗黙の了解があった。もちろん自分自身もかつてはそう思っていた。修学旅行や出張だって、例に漏れずホームシックにかかる。
母が私に執着するようになったのはいつからだっただろうか、少なくとも旦那(父)と婚姻関係にあった頃にはそんな雰囲気はなかったように思う。
別れて、学生のうちは多少の養育費こそもらっていたものの 女手一つで三姉妹の娘たちを育てながら、親(祖父母)の介護もしていたあの時代、母は相当の苦労をしていたと思う。
実際に介護を自分が手伝うようになったり、自宅介護に切り替えてから仕事を辞めた母の代わりに私が大黒柱になった数年間で、いろいろと変わってきた気がする。
介護により世間から孤立してしまった(実際はしてなくてもそう感じてしまう環境に身を置く)ことで、目の前にいる助けてくれる相手に依存心が深まってしまうのかもしれないな、と今は思う。
元々母自身も自己肯定感が高い方ではなかったと思う。
まだ十代の頃に家出同然で実家を出てから、親に世話になることもほとんどなく一人で走り続けてきた母親である。それでも、40近くまで実家で世話になっていた妹(叔母)に手を出させることもなく、親の介護を引き受けていた。罪滅ぼしの気持ちもあったのかな、と今は思う。
おかげで私も一緒に介護と仕事だけに明け暮れる青春時代を過ごしたけれど、後悔はしていない。
そう思えるのも、今こうして結婚したいと思える人に出会えて猶更 かもしれない。
ということで、私はマリッジブルーになるはずであった。
ずっとずっと昔に存在していた結婚願望は一度消滅している。
ゲスの極みとも恋愛をしたし、葬りたい過去もある。
結婚=幸せ に結びつかなくなって
表面的に幸せでも裏では何が起きてるかわからない なんて疑心暗鬼にもなったりして、長らく相手がいなかったこともあり願望はどんどん消えた。
願望(というより憧れ)があった幼い時代の方が、よっぽどマリッジブルーだったかもしれない。おかしな話だけど。純粋に家族と離れることが、親と離れることが寂しかった気がする。
少しでも距離を置こうと、距離を置く時間を伸ばそうと常に考えるようになった最近からは想像もできない。むしろど、私はそんな子だったなと思い出した。
自分がが変わったのか、母が変わったのか、両方かな。
タミオ君との交際や生活は、とても安定しているし
タミオ君と一緒に暮らすようになって、母との距離感も適切に近づいているような気がしている。
単体じゃないというだけで、自然に時間や距離を保つことができる。
そのことが予想以上に、私の精神を安定させてくれている。
しかし多分、誰でもよかったわけじゃない。
そんな我が家のヤバイ部分を、全部ひっくるめて受け止めてくれていて、時には面白がってくれて、決して否定したり責めたりしないタミオ君とだから、私も罪悪感なく一緒にいられるのだと思う。
マリッジブルーに陥って、日々泣きながら夜を越して入籍日を迎えると思っていた私の毎日は、今のところちっともブルーではない。
不思議なぐらい連休中は頭痛に悩まなかったし
ちゃんと仕事に戻れば頭痛も戻ってきたし
ストレスの根源がプライベートにあるわけじゃないことは確信した。
仕事や職場環境がこんな風で、頭の中が常時いっぱいいっぱいで、もはや自らの人生の岐路について実感する隙が無かったというのも嘘ではない。
嘘ではないし
入籍をしたところで変わるのは苗字だけで
仕事も、住んでいる場所も環境も変わらない今、実感が湧かないのは仕方ないことなのかもしれないけれど
自分でもびっくりするほど
不安や心配がないことが大きいのかもしれない。
特別嬉しくて楽しくて飛び跳ねたいみたいな気持ちでもないんだけど、この安定した日々が今後も続くのか、という安心感が
私の中に沸き起こるはずのマリッジブルーを、かき消してくれている。
そして40年間慣れ親しんだ姓を変えることについても
もちろん愛着はあるけれど
思っている以上に抵抗がない。
最初に結婚の話が出た時に
タミオ君から『苗字はどうする?』と、当たり前のように聞いてくれたこと
先日承認のサインを貰いにお伺いした時に
タミオ君のお母さんからも『御子ちゃんは〇〇(タミオ君の苗字)でいいの?うちはタミオが御子ちゃんの姓を名乗っても全然構わないよ。』と言ってくださった。
いろんな形があって、多様性の時代だとは頭でわかっていつつも
私の方がよっぽど 自分が相手の姓に合わせるもんだと思い込んでいたので、最初にタミオ君が選択肢を与えてくれたこと自体、目から鱗であったが
お母様からも直接そんな言葉を貰って
この親あっての子、というか
本当に自由に、愛情をたくさん受けて、個々を尊重して、育ってきたんだな と思った。そんな家に嫁に来れることを改めてありがたく感じた。
親が子どもの人生を決めることは当然だと思い込んできた自分が、親であれ子であれそれぞれの人生を歩むべきだと幼い頃から教わってきたタミオ君と一緒に過ごす中で、私は少しだけ人間として自由に生きられるようになった。
40年間生きてきて
少なくとも色んな柵や苦悩や迷いを感じる程度に大人になってから、今が一番穏やかに過ごせているような気がしてる。
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9連休のうち、たった1日しか休みが被らなかったことを、タミオ君は申し訳なく思っているようだった。
私は日々、普段できない細かい家の掃除も含めて 通常の家事をこなし、余った時間は言われるがままに、呼ばれるがままに、家族と過ごしていた。
唯一のお出かけと言えば
報告も兼ねて母とお墓参りに行ったぐらい。
こんなご時世になって長らく行けてなかったので、お墓参り自体が実に2年ぶりだった。
じいちゃんばあちゃんに手を合わせて
お嫁に行く先が決まったことを報告した時
ほんの少し涙が出た。
どういう感情なのかはよくわからないけれど
嬉し涙に近いような感じ。
連休最終日の前夜
タミオ君があらたまって『全然休み取れなくてごめんね』と言った。
休みが被らないのはいつものことだ。
突然休みが返上されることも、逆に突然休みになることも、計画的にお出かけできないことだって、黄金週間に限った話ではない。
『お出かけはできなくても(一緒に住むようになってから)毎日会えるし、帰って来てくれるだけで十分だと思ってるよ。』
自分で言いながらチョチョ切れた。
自分で言いながらその通りだな、と思った。
お互いに気を遣いすぎて会いたいと言えなかった我々にとって、同じ家に帰れるという事実はとても大きい。
同棲を初めて約半年。
結婚前の同棲については賛否両論あるけれど(この年でとなれば尚のこと)私たちは間違いなく一緒に暮らしてよかったし
その期間を経て、冷静に穏やかに結婚を決められたことも、よかった。
9日も空いたので書きたいことは沢山あるんですが
長くなっちゃったので今日はここまで。