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二段ベッドの思い出
33年間も私を寝かせてくれた二段ベッドを、近所のちびっ子姉妹に譲る事になりました。
父や妹や時にはお泊まりに来たお客さんが上段を入れ替わり愛用しましたが
私は断固として下の段を譲らず、自分以外がそこに立ち入る事を許せなかったりした程に 大事な空間であった。
もう手を伸ばせば手足もろとも柵の外に飛び出す程に成長した私は
それでもまるで自分の部屋のように 単なる寝床としての意義を越えて、ベッドの下段生活を過ごして参りました。
行き先は、愛する甥っ子のお友達のお家。
私もとても可愛がっている子供達である。
自分が家を出る予定がなかったら、この話は勃発もしなかったかもしれないけど
逆にこの思い入れの深すぎる二段ベッドを手放す事によって実家への思い入れを減らす事が、自分にとってもケジメのような気がした。
汚れた床板を新しいスポンジと布に張り替えた母は、そこを寝床とする私に許可も得ずベッドの譲渡を決めて来た。
母も母で、私が家を出ることを
たとえ『開運のため』だと言い聞かせながらであろうとも、受け入れようと努力しているのかもしれない。
頑なに母は言う。
『自立させるために出すわけではない』
『開運のためだから出せるだけ』
理由はどうあれ、このチャンスを逃すまいと私は必死である。
たかが目の前のマンションに移るだけの引っ越しで、どれだけの進化を遂げられるのかはまだ未知数だけど
必ず何かが変えられると信じて
それが前提になかったら
思い出の二段ベッドを手放す決意が追いつかず、何日も枕を濡らしたかもしれない。
近所のお家に運ぶべくベッドを解体しながら
柵の間を必死で登ってきては一緒に寝ていた愛犬の姿や
秘密基地のように飛び込んでは昼寝をぶちかましていた甥っ子の姿を思い起こしてはセンチメンタルな気持ちにもなった。
カメラロールにはそんな思い出の数々が沢山残っていて、不意打ちのお別れにいささか寂しくもなった。
でも、引っ越し先の家で組み立て直した後
楽しそうに場所を取り合ってはしゃぐ子供達の姿を見ていたら
これで良かったんだなぁ、としみじみ感じた秋の夜更け。
二段ベッドが我が家に初めて来た時の私と妹も、多分こんな風にハシャいだはず。
思い出のたくさん詰まった大切な二段ベッドを、こうして古くなっても時代を超えて別の子供達に愛用してもらえるなんて
嬉しい話じゃないか。
嬉しいけど寂しいので記念投稿でした。
お付き合いありがとうございました!
ちなみに会社でこの話をしたら
大人になっても二段ベッドで寝てる事にビックリされた。
そうかもね、そんな大人私も知らねえわ。
とりあえず、家が無駄に広くなりました。
そこにベッドがある前提での生活に慣れすぎて、その何もないエリアを誰も活用していない。
それまで当たり前にあったものが無くなった瞬間って、どうしても寂しいし違和感があるけど
きっとそんな事にもすぐ慣れて
また新しい当たり前が出来る。
それを悲しいとか嫌だとか思うのも、間違った感情ではないし私もそう思いがち。
でも今は、変わりゆく環境や自分を楽しんで
ちゃんとそれまでの事に感謝したり
これからのことに感謝したりできるように
周りにもそう感じてもらえるように
頑張る次第です。
ありがとう二段ベッド。
さようなら私の秘密基地。
新しいお家でも大切にしてもらえますように。