見出し画像

着物のこと

January 9, 2019

ここ10年くらい、週に一度は、着物を着ていて、仕事でも差し支えなければ、昨日のように機会あるごとに着ている。

着物は50年はふつうに着られると思う。メインテナンスをすればそれ以上。太っても痩せても調整がきく。色を変えることもできる。役目を終えたらほどいて布団にしたり手さげ袋にしたり、ハタキにもできる。そこまでするひとは今はあまりいないかもしれないけれど。

早く安く簡単に、がよいという風潮のある時代に、手間を惜しまず時間をかけてよいものづくりをする職人を応援したい。それはパンであっても、きものであっても同じなのだ。

と、格好よさそうなことを書いたが、ただ、好きなだけだ。

影響は父方の祖母と母方の伯母から受けた。このふたりが普段から着物を着ていたことが大きいと思う。祖母は日本舞踊の名取で、伯母も大正生まれ、独身の職業婦人で、日本文化に造詣の深い趣味人だった。

成人式のときに、おそらく、孫に、姪に、振袖をつくろうと色めきたったこのふたりは、おそらくがっかりしただろうと思うのだが、わたしは振袖を断って、そのお金でアメリカに行かせてくださいと母に頼んだ。そして祖母には、「アメリカに行くので日本舞踊教えて」というような無知だった。(そのとき祖母は、「あんたには無理」ときっぱり言って、ちょうど夏の盆踊りの講習会をしていた集会所にわたしを連れていき、わたしは町内会の人たちと一緒に「大東京音頭」を教わることとなった)。自分の成人式は別の町の成人式会場で、西陣の帯メーカーのビラ配りのアルバイトをしていた。

その頃すでに、着物を自分で着ることはできたが、時機ではなかったのだと思う。でも祖母や伯母が老いて、もうわたしが誰かも分からなくなる頃に、その時機はやってきた。友達の結婚式に行くのに美容院で着付けを頼んだら、これがきつかったのだった。祖母は踊るためにゆるやかでありながら決して崩れない着方を教えてくれたのだったが、他人に着つけてもらうというのが、綿とかタオルとかいろいろなものを詰め込んで、ぎゅうっと縛った感覚になって、苦しかったのだった。

ほどなくして、数回着付けを習いに行き、その後、茶道の稽古に通うようになった。稽古のため一年中、暑い日も寒い日も雨の日も風の日も着物を着る。それは祖母や伯母や母の遺したものや、自分の昔の着物を纏うことでもあった。着物を着ているときの立ち居振る舞いを習うのに、お茶ほどいいものはない。

いつのまにか、好きになっていた。もしかすると、好きというより、もっとあたりまえな感覚かもしれない。小さい頃から身体のなかにあった自然なものが、表に出てきている感じ。なかなか、おもしろいじゃないか、と自分で思う。

※写真は数年前に、日本橋を紹介する仕事で撮影してもらったものです。流派の異なる先生でしたが、気を遣ってくださって、とても心地の良いお教室体験でした。

サポートしていただいたら、noteに書く記事の取材経費にしたいと思います。よろしくお願いいたします。