週刊ファイトに「大巨人vsボック」投稿『ボック自伝翻訳出版』
web版週刊ファイトに「激突 大巨人vsボック」の記事を寄稿しました。
その中から、ドイツ入りしたアンドレ・ザ・ジャイアントのエピソードをご紹介します。
▼幻の死闘:週刊ファイト紙上再現
・交通事故で「重傷」、来日不能とは?
・アンドレ、ドイツ入国~ボック出迎え
・アンドレ・変則タッグマッチ5連戦
・タイトルマッチ WWU・WWA防衛戦
・初めて日本に伝えられた激闘の全容
・信じられないことが起こった!
・ボック、血栓症発症~長期療養
・関係者のボック評
デストロイヤー、アントニオ猪木/他
■ ボック自伝より
・・・・・・1979年12月、私は、フランクフルト空港でアンドレ・ザ・ジャイアントを出迎えた。アンドレは、マネージャーのフランク・バロアを伴い、飛行機から降りてきた。私は100m先からでも巨大なアンドレをはっきり確認できた。アンドレが近づいてくると、その体はますます大きくなり、電気を帯びたように広がった巻き毛の髪は、彼の身長をさらに10㎝高くしていた・・・・・・
アンドレ・ザ・ジャイアントはこの6連戦で、ローラン・ボック戦以外、すべて1:2のハンディキャップマッチで闘っている。一方で、ローラン・ボックがリングに上がったのは、最終戦のジンデルフィンゲン、アンドレ・ザ・ジャイアント戦のみだったようだ。
アンドレ・ザ・ジャイアントは、1979年12月15日にドイツ・ジンデルフィンゲンで、ローラン・ボックと喧嘩マッチを行い、12月16日の朝、カンカンに怒ってドイツを離れたが、その日(16日)の夜にはWWFのマットに上がって試合をしている。さすが、売れっ子のアンドレ・ザ・ジャイアント。ローラン・ボックとの過酷な試合をこなした翌日にも平気な顔で次のリングに上がる、最強レスラーである。
1979.12.16 ニューヨーク・ウェストチェスター・カントリー・センター
○アンドレ・ザ・ジャイアント
イワン・プトスキー
ティト・サンタナ
vs.ジェリー・バリアント
ジミー・バリアント
ジョニー・バリアント●
(23分04秒 2-1でアンドレ組の勝ち)
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