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46年前に東スポの取り上げられていた、著者のアンドレアス・マトレ少年
■東京スポーツ(1978年11月24日付け)より引用---------------
リングサイドで2列目に新日本プロレスのTシャツを着た青年がいた。名前をアンドレアス・マトレという。聞くと、日本へは行ったことがないが、(1978年)9月に猪木が西独を訪れた際、新日本プロレスのTシャツをプレゼントされた。その時から日本のファンになったとか。
彼は西独にプロレス・ファンクラブを創設して、初代会長におさまった。現在、関係者、ファンに「世界一強い男は誰か」をアンケートを実施しているとのこと。途中経過は、猪木とローラン・ブルックが激戦中。
---------------(引用、ここまで)
ローラン・ボックを長期取材して、ボックの語りを自伝としてまとめ上げたのが、アンドレアス・マトレ氏です。
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アンドレアス・マトレ氏は 1960 年にフランクフルトで生まれ。
企業の広報、文化イベントを企画担当に従事しながら、フリーライター
として著書には、『Bock!』の他に、『Lasartesse』(ドイツのプロレスラー、ルネ・ラサルテスの自伝小説ー1991年)、『Kim Bui: 45 Sekunden』(ドイツの体操選手キム・ブイの評伝)などがあります。
そのアンドレアス・マトレ氏が、1978年11月の東京スポーツに、欧州選手権シリーズ・猪木ツアーの記事で取り上げられていたのです。
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この記事は、1978年11月21日の猪木vs.デートリッヒ戦を報じたあとに続くもの。この試合が行われた西ドイツ・ルートヴィヒスハーフェン市エバートホールの会場での話です。
東スポの記事では、「会場で偶然見つけたファン」のように書かれていますが、先日届いたマトレ氏からのメッセージによると、マトレ氏がボックの元でアルバイトをしていたというのが真相のようです。
![](https://assets.st-note.com/img/1723537270172-6rQGNjL3rn.jpg)
ドイツでプロレスのファンクラブを運営していたことから、ボックの欧州・猪木ツアーでアルバイトをすることになった。9月の猪木氏の下見検分の時から手伝っていて、その時に新日本プロレスのライオンマークTシャツをもらったのです。
そして、デートリッヒ戦の会場で東スポが取材をしたということのようです。
そのプロレス・ファンのマトレ少年が、43年後にローラン・ボックの自伝を書くとは、ボック氏の生き方がまるで映画のシナリオのようであるだけでなく、著者マトレ氏にとっても、ドラマチックな物語です。
そして、46年前のその記事を見つけて、「おーっ、マトレ氏の記事だ!」と喜ぶのは、世界でも私一人ぐらいだろうと思いました。
猪木vs.デートリッヒ
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