フラッシュバックした話。

病院やら役所やらで疲れてしまった。
私が定期的に通院している精神科は、予約の時間通りに順番が回って来ることが少ない。
診察は対話で行うので1人1人時間がかかるのは当たり前だし、とても評判の良い先生で患者も多く抱えているので仕方ないことだ。

帰りに行かなければならなかった役所へ。
うつ病になり、何も改善しない私はついに障がい者として公的に認められた立場になった。
これから様々な支援を受けられるようになる。
とてもありがたいことだ。
全く社会に戻れる目処が立たない中で悩んだことのいくつかから、少しは解放されるかもしれない。

しかし、複雑なのも事実である。
この支援や権利を使うことは、「自分が精神障がい者である」というのを他人に打ち明けることでもある。
今までは『病気』の枠から出なかったから何とか受け止めていたけれど、『障がい』となると自分が思い描いていた大人の姿から完全に転落してしまったような気がする。
自分が少しでも生きやすく生きるために取得したはずなのに。
いざ実物を手にすると、心の中はこれまで歩いてきた人生がグラグラと崩れて壊れていくようだった。
障がい者になった自分を受け入れるまでには少し時間がかかるかもしれない。

申請の都合で再び呼ばれるのを座って待つ間に、高齢の夫妻(特に夫)が窓口の若い女性に何やら詰め寄っていたのを見た。
断片的な話を総合すると、申請に必要な物に不備があったようだ。
夫の方は「素人なんだからわからない!」や「あちこちの窓口に行ったのに!」などを繰り返し、20分近く語気を強めてぶつくさと言い続けていた。
窓口の方は先に立っていた女性の先輩に当たるような方が途中で説明を代わっていたが、それでも彼は中々引き下がらない。
隣で妻はヘラヘラと困り顔で立っているだけだ。
妻ならもう少しみっともない夫を何とかできるように努力すべきだろうに。


彼の様子を見ているうちに、私は私を今の状況に追い込んだ最初の職場でのカスタマーハラスメントがフラッシュバックしてきて胸が苦しくなり。荒らげた声から逃げるように遠い位置に座り直した。
こちらがどれだけ懇切丁寧に説明しても、自分を棚に上げて詰め寄られる恐怖。
話が通じない人間の相手を経験しなければ分からないだろう。

私も目の前で起きていることと同じように「分からない」「そんなこと聞いていない」の一点張りでこちらの話を全く聞こうとせず、とにかくお前が悪いと言われたことがある。
私の場合、さらに罵倒もあって今なら警察に相談してもおかしくない状況だった。
対応が困難で上司に助けを求め何とか代わっていただき、その時は場を収めて貰った。
迷惑をかけたことを謝ると、その男は私が入社する前にも問題を起こしていたと聞いた。
なぜその時に対応しておいてくれなかったのだろう。
今ほどカスハラが話題になっていなかったからなのか、「手を出されれば対応できるんだけどね…」と苦笑していた。手遅れだろ、そんなの。


入社したばかりの4月に遭遇したその男は、その後も何度か電話をかけてきた。
何人か電話を取る人がいても新人の私が出るのが暗黙の了解になっており。
聞かれたことに対して説明するのだが、最終的には理不尽なことを言い出しドスの効いた声で怒鳴られた。

私は瞬発的に言葉が出ずに詰まってしまったり、頭の中で文章を組み立てながら会話が出来ないところが昔からある。
電話という声のみでのやりとりはとにかく苦手な自覚があったし、怒鳴られるとどんどん酷くなった。
私の対応が悪いのかもしれないと思い、先輩に電話対応について何度か相談した。
しかし、特に問題ないと言われた。
もっと丁寧な説明を心がけたり、言葉に気をつけたり努力をしても結果は変わらなかった。
今思えば、彼は電話で怒鳴り当たり散らすことが目的だったのだろう。

その男とはまた別に、どうしようもない事をネチネチと電話口で言い続ける男もいた。
内容として難しく上司に相談したのだが、「はいはい、すみませんって言っておけば切るから。」と代わって貰えなかった。
社会人として自分でなんとかしなければならないと思った私は、昼休みのうちの30分以上をその人からのどうしようもないクレームに共感し謝り続けた。
ようやく切って残りの時間は20分ほどだった。
誰にも気づかれないように外に出て、泣きながらお弁当を少し口に運ぶのが精一杯だった。

4月から半年間の間そんなことばかりで、私はダメな人間なのだとしか思えなくなっていった。
施設の屋上から飛び降りてしまおうとか。
通勤途中に電車に飛び込んでしまおうとか。
そんなことばかり考えては踏みとどまるのを繰り返した。
我慢を重ねたある日、私は仕事に行けなくなった。
「死ねば電話に出なくて済む、死ねばもう仕事もしなくていいんだ。もう無理なんだ。」
確かそんなことを半狂乱で泣きながら母に伝えると、即精神科に連れて行かれた。
適応障害と既にうつ病も併発しているとその病院で診断された。

私は今も相手が家族・友人・恋人などごく身近な関係の人、もしくは長年通っている美容室やカウンセラーからの電話以外は出られない。
これでも良くなった方で、最初はごく身近な人からの電話にしか出られなかった。
未だに不意に固定電話の着信音を聞くと、怒鳴り声や詰め寄られる声が耳に蘇り。
汗が止まらなくなったり、ソワソワと気持ちが落ち着かなくなったり、心臓が握られるような息苦しさを感じる。

イヤホンをして声を聞かないようにしていて、気がつくとその人は何とか怒りを収められて妻と去っていた。
窓口の人は慣れているのか気にも留めていない様子、こんなことに慣れなきゃいけないなんて絶対におかしい。
私も手続きを終えて役所を出たが、フラッシュバックのせいで精神的に疲れてしまった。

もう客が偉い時代はとっくに終わっていることを、全ての人が理解しなければならない。
納得がいかないと怒鳴っている時、本当に情けない姿を世の中に晒していると自覚してほしい。
カウンターの中と外は対等であると私は主張したい。
本当は全てのサービスを受ける側、提供する側は対等であるべきなのだ。
みんな心のある人間なのだということが、当たり前の認識になって欲しいと改めて強く思った。(了)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?