noteで町のことを書き続ける理由とあの日から問い続けてきたことの答え
あの日から問い続けてきたこと
あの日から、問い続けてきたことがある。
それは、2019年の冬、滋賀県の昔の東海道五十三次の草津市の宿場町あたりを歩いていた時のこと。
このnoteのプロフィールに出てくる、恩師の方と一緒に歩いていた時のこと。
その日は珍しく、土砂降りの雨だった。
私にとっては人生で初めて歩く町だったからだろうか…
歩いていてふと、思った。
自分の住んでいる町は、物は溢れて豊かなのに、自分の心は満たされない。それは一体なぜなのだろう?
人から自分の住んでいる町は、都会的でいろんな店があって素敵ですね。とか、交通の便が良くて最高ですね。とか言われてきた。
けれど、どことなく違和感を感じてきた。
それから、ずっと自分に問いかけ続けてきて、最近ようやく答えが出た。
答え
2021年4月、東海道五十七次の枚方宿に行って、町を歩いていた時のことだった。
町の地元のお店や商店、セレクトショップが町に建ち並んでいた。
町のいろんな人との会話があった。
そこには、たくさんの人が買い物にきていて、活気づいていた。
私の地元には、ない光景だった。
見ていて、はっきりと思った。
そこで出会う町の人との関わりや出会いこそ、その人の町に対する色やイメージを作り出すのだと。
人との関わりや出会いこそ、人の心を満たしていくのだと気づいた。
このように感じたのには、2つの大きな理由があるからだろう。
理由
1.自分の住んでいる町
自分の住んでいる町は、どことなく人当たりがとても冷たい。
自分の住んでいる町の人となんか合わない。
自分の住んでいる町に、友達も知り合いもいない。
自分の住んでいる町にいたら、過去のトラウマなどで、壊れて自分が自分でなくなる。自分がおかしくなる。
だからだろうか...自分の住んでいる町は、何の彩りも持たない無彩色の灰色に見える。
2.母の実家の地元
母の実家は、堺市南区の和泉市(いずみし)寄りの堺市だ。
今もあまり変わりないが、母の実家の付近を通る鉄道会社の泉北高速鉄道は、かつて日本一電車賃が高いといわれていた。
大阪メトロ御堂筋線または南海電鉄の高野線の堺市にある中百舌鳥(なかもず)駅から区間が変わり、別会社の泉北高速鉄道が運営していて、別料金だからだろう。
中百舌鳥から終点の和泉中央(和泉市)を鉄道は結び、その沿線の一角の泉北ニュータウンの団地に実家はある。
無理くり山を切り崩して、人工的に作られた町なので、歴史や産業や名物などのものがない。
周りは急な坂がうねうねあるため、車での移動ではないと、移動することが難しい。
母が言うに、今住んでいる人はお年寄りの人ばかりで衰退していくばかり。
何だか何もなくて、寂しい町だ。
電車賃も高く、治安もあまり良くなくて、住み続けたいという人も、住み続ける人もほとんどいない。
みんなお金を貯めて、さっさと引っ越して出ていく町だ。
泉北にいても、仕事がない。
母の最寄り駅を知っている人は、同じ堺市内の人でもほとんどいない。
そんな駅、本当にあるんですか?と言われる。
母も母の出会った地元の人も、みんな口をそろえて言う。
こんな町に、二度と戻りたくないし、住めたものではない。と。
けれど最近、泉北の町をレモンの町にしようと、地元の高島屋とコラボしてレモン商品を売り出そうとして頑張ってはいるが、まだまだ知名度は低い。
※過去に書いたこの記事に書く堺市は、主に堺市北区・堺区を指し、泉北ニュータウンは指しません。
上記2つを踏まえて
上記2つのこと、そして、私の家は親戚付き合いがほとんどない(あっても電子的な取引のみ)ことから町の人との関わりが極端に少なかった。
だからだろうか...今までの人生で町の人との関わりが少なかったからこそ、ハングリー精神で自分の住んでいる町に縛られず、もっといろんな町のことや町の人のことを知りたいと思い、地理が好きになった。
実際に、他の町の歴史や文化、地場産業などなど...町とその町の風景と人との化学反応に興味があり、面白い!と年を取るごとにそう感じるようになった。
いろんな町を観察していて思ったことが、自分がどこに住んでいるかで、自分の人生や生き方が大きく違ってくる。
人の数だけ町があり、町の数だけその人の人生の物語があると思う。
これからの生き様とnoteと
私は、自分の住んでいる町がどうしても好きになれない。
好きになれないから、昔も今もいつの時代も自分の行きたい町にいくためだけに生きてきた。
だから、プロフィールアイコンの丸の鷹のように、いずれは自立して物事を冷静に俯瞰して判断できるようになって、己の高みを目指し、自分の住んでいる町から遠くに離れて心から愛する街に住んで、カッコよく生きたいと思っている。
このnoteで地理の楽しさや、町と人との面白い化学反応の様子をお届けできたらなと思う。