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メンドウなわたしの回顧録①

手が焼ける子?

小さな頃から高校を卒業するまでの記憶があまりない。
3歳くらいかな?
保育園で先生に叱られた。
オルガンの上で遊んでいて、登ってきた子を突き落とした。

周りに体操マットが敷いてあるから怪我することはない。
ひとりでおもちゃを使いたいのに邪魔な子だ。
こっちにくんな。

たぶん、そんなところだったんだろう。
突き落とされた子はギャン泣きして、
禁止されてたオルガンに上ったことがバレて
おもちゃをひとり占めしたのも
保母(保育士)からしたらトンデモないことで
しこたま怒られ、家で親からも怒られた記憶がある。
保育園では素行が悪いとされた。
昼寝をしない。
ご飯を早く食べない。
おしゃべりが止まらない。
着替えが遅い。
集中しない。
おせっかい焼き。などなど。
中年になってから、当時の保母さんに会ったけど
目の敵のような態度だったから
よっぽど手を焼いたんだろうな(笑)

なぜ誰も納得できる説明をしなかったんだ?

昼寝をしないとならないワケ➱保育士になって分かったけど、お昼寝の時間=保育士の休憩時間だった。

ご飯を早く食べなきゃならないワケ➱食器が片付かない。保育室の掃除ができない。お昼寝のお布団を敷かなきゃならない。

おしゃべりしちゃいけないワケ➱指示が通らない。予定の行動が成立しない。

着替えを急ぐワケ➱お昼寝用のパジャマを片付けなきゃいけない。おやつを食べさせる時間が遅くなる、または帰り支度が遅くなる。

集中しなきゃいけないワケ➱集団で動いてくれなきゃ困るから。

人の世話をしちゃいけないワケ➱おせっかい焼いてないで、指示を守って。

1970年生まれのわたし。
みんな一緒に。
はみ出さず。
でも順位が大事。肩書が大事。
いいから言うことを聞いていればそれでいい。

保育園から中学卒業まで、ずっと変わらない同級生と
高校入学時に同級生が増えるだけの狭い狭い世界しか知らなかった。
いじめられても。
ネグレクトされても。
差別にあっても。
殴られても。
蹴られても。
怒鳴られても。
無視されても。

逃げ場がなくても。


そこで生きていくしかなかった。
3歳くらいで保育士の手を焼かせたわたしが、
受け入れてもらえるはずなんかなかった。

誰も、ね。


でも、まだこの時はよかったのかもしれない。
7歳の時から40歳になるまで
わたしは壊れてしまっていたんだから。
そして今は壊れてしまったわたしを
治している最中だ。

取り戻せることがある。
取り戻せないこともある。

それでも、
わたしはわたし。
そしてわたしでいい。


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