キモがられる勇気 〜第1夜:ヒトを俯瞰せよ〜
これは、とある三十路が哲人との対話を通し、人生のヒントを得る…
いや、それほど高尚ではない物語です。
哲人のモデルは、頭のイかれた知人です。(←褒めてる)
某ベストセラーのパロディ臭漂うタイトルになっておりますが、内容は全くもって原作リスペクトではございません。
某ベストセラーを愛好する方には、先回りしてお詫び申し上げます。
ごめんなさい。
プロローグ
プロフィール:哲人
19X6年9月22日生。●●大学▲学部卒、▲学研究科修士課程修了。
女性。常識人のフリをしているが、時折奇怪な主張や行動が見られる。
プロフィール:三十路
199X年9月22日生。●●大学■学部卒、★学研究科修士課程修了。
新卒で入社した会社で挫折し、現在は住所不定無職。借金あり。就労意欲なし。
無数の人間が行き交う●●大学の地で、二人は、9月22日生まれという数奇な運命にして巡り合った。
あれから、どれほどの歳月が過ぎただろう。
貯金の底が見え始めた三十路は、寒空のもと、行く当てを見失いつつあった。
そんな中、記憶の奥底から呼び起こされた縁がふと思考をかすめ、藁にもすがる思いで、哲人の住処へと向かうのであった……
第1夜 ヒトを俯瞰せよ
三十路は哲人の住処のノブを握り、無防備にも施錠されていない扉をグッと開いた。
重い扉の軋む音に、哲人はすぐさま気付いた。
哲人:
「ああ!三十路君ではないか!驚いたよ。実に久しぶりだね。
あの頃からもう何年経ったことだか…顔のハリがなくなってきたようだね。
それにしても、君がアポなし訪問とはねえ。思わぬ機会もあるものだ。
何か、議論したいことでもあるのかい?」
三十路:
「こんな夜な夜な、いきなりで本当にすみません…お久しぶりです。
ですけど、“議論したいことでも”って…さすが先生、変わっておられませんね。
実は、私は…」
三十路は、冒頭に記載通りの窮状を述べた。
要するに、「人生詰んだ〜ダレカタスケテ〜」の一心で、ここに辿り着いたのだと。
哲人:
「ほう…なるほどねぇ。
では、早速だが三十路君、このスコッティで、一旦鼻をかんでみてごらん。」
哲人はスコッティの箱からティッシュを1枚取り、三十路にブッと鼻をかませた。
凍てつく夜の外気に晒され、薄赤く色付いた鼻からは、それなりのブツが噴き出た。
哲人:
「そのスコッティには、何がついている?」
三十路:
「へ…?そのまま伝えればいいのですか?
…汚いですよ?
…黄ばんだ半透明の鼻水と、黒ずんだ鼻くそと、鼻毛が1本、ですけど…」
哲人:
「うん、とても良い採れっぷりだ。
さて、君は、鼻毛の気持ちになったことはあるかい?」
三十路:
「鼻毛の気持ちって…はい??
そんな、無機物に感情移入などしないですよ。
というか、鼻水と鼻くそはどうでも良かったのですね。余計な説明でした。」
哲人:
「ヒトは、鼻を詰まらせでもしていない限り、大抵は鼻呼吸をするだろう。
ということは、鼻毛はヒトの呼気と吸気に数秒周期で晒され、揺らめいていると考えられる。」
三十路:
「はぁ…それはそうでしょうね…。
でも、それが1本抜けた鼻毛と何か関係があるのですか?」
哲人:
「まあまあ。そう急ぐんじゃない。
先程の話に戻るが、ヒトの呼気と吸気には、少なからず温度差がある。
呼気は体温のように温かく、吸気は無慈悲にも冷たい。」
三十路:
「いやはや、空調という文明の利器のお陰様で、今はそれなりに温かい空気を吸えていますけどね。」
哲人:
「それでも、ヒトの体温のように温かいとはいうまい。
鼻毛の立場になってみれば、数秒周期で季節変動が訪れていることになるのだよ。
ヒトの感覚でいえば、呼気という“夏”。吸気という“冬”。
行き来する風、束の間の凪。
鼻毛は、その風に自身をなびかせながら、春夏秋冬を体現しているのだよ。」
三十路:
「ち、ちょっと待ってください。頭が追いつきません。
ヒトが春夏秋冬を巡り巡って生きるように、鼻毛も春夏秋冬の世界線に在ると言いたいのですか?」
哲人:
「素晴らしい。十分に理解できているではないか。
次は、視野を広げてみるとしよう。
ヒト目線でいうところの春夏秋冬は、何から生じていると思う?」
三十路:
「え??いきなり小学校の理科みたいな話を突っ込まないでくださいよ。調子が狂いそうです。
そりゃあ、地球の公転と、軌道面に対する地軸の傾きから生じる日照時間の差…
…ですよね?」
哲人:
「そう、地球。
地球だよ。次は地球の立場になって考えてみよう。」
三十路:
「あ、分かりましたよ、先生!
次は“地球目線で体感する春夏秋冬がある”とでも仰るのでしょう?
さては、氷河期と地球温暖化、なんてところではないでしょうか!?」
哲人:
「ご名答!まさしく氷期と間氷期さ。君も私の理論に追いついてきているようだね。
地球は、公転軌道の伸縮、地軸の傾きの僅かな変動、そして太陽から受けるエネルギーの影響により、約10万年周期で氷期と間氷期を繰り返しているという。
その“伸縮”やら“傾きの変化”やらを引き起こすものは、一体何なのだろうね。
宇宙といえば宇宙だが、ひとまず地球よりさらに“大いなるもの”であることは確かだろう。」
三十路:
「あーちょっと…また難しくなってきました…某架空神話を彷彿とさせる表現ですね…
といいますか!先ほどまで熱弁されていた鼻毛はどこに行ったのですか!
私の鼻毛付きティッシュ、もう捨てていいですかね!?」
哲人:
「三十路君…会わないうちにせっかちになったものだねぇ。
せっかく鼻毛が採れたところ惜しいが、まあ自由に放りたまえ。
さてと、ここまで春夏秋冬を議論したところで、君も入れ子構造に気付いたのではないだろうか。」
三十路:
「なるほど…おおよそ、鼻毛<ヒト<地球<大いなるもの、ってところでしょうか。
何だか分かってきた気はするのですが…鼻毛だけ場違い感が凄いですよ…
確かに、某グラサンの黄色頭のように、武器として重宝されるケースもありますけど…実際は1本1本がまちまちで、埃とか鼻くそとかついてて汚いですし。
例えば…プランクトンとか、もう少しマシな下位概念はなかったんですかね…?
いや、でもそれだと春夏秋冬の流れが人間界と同じになってしまいますか…」
哲人:
「そういうこと。
私が特に着目したポイントは、時間軸や物理的な大きさだけではなく、あはれなる“季節の流れ”なのだよ。
というかそもそも君は、ヒトが1体1体均質で、みな清く美しいと思うのかい?」
三十路:
「あっ、いえ…。そりゃあ誰だって、見た目も境遇もまちまちでしょう。
言われてみれば、凛として自立したものもいますし、鼻くそ絡みついたようなものもいますよね。
…ははっ、ましてや私のように、抜け落ちた鼻毛のようなヤツも…。」
哲人:
「よくぞ気付いたね。それこそ、私が君に鼻をかませた真意だ。
ヒトは地球という生息域において、春夏秋冬がもたらす大地の恵みを受けながらも、異常気象や大地震…どうしようもない地球の気まぐれに翻弄され、それでもしぶとく生き延びようとしているんだ。
鼻毛だって同じさ。
ヒトの鼻の穴という生息域において、それは枕草子に詠われたような、あはれなる春夏秋冬を体現している。
だけど、ヒトは鼻炎を起こす。鼻をかむことで突風が発生し、吹き飛ばされる鼻毛がいる。
ましてや、風邪でも何でもないのに、ブラジリアンワックスのような無慈悲な気まぐれで、殲滅を図られることさえある。」
三十路:
「ふふっ。ブラジリアンワックス鼻毛抜き、私も使ったことがありますよ。
ブツっと抜く瞬間が痛いですよね。
しばらくは鼻くそが引っ掛からなくて快適ですけど、割りかしすぐ生えてくるんですよね…
…あっ!!」
哲人:
「そう、君は抜け落ちた鼻毛に自らを重ねていたのかもしれない。
鼻毛界でいうところの、現存在でいられなくなった気がしているのかもしれないね。
だけど私は、君とこうして議論していて分かる。
私との議論が成立しているからこそ、分かる。
君は決して、毛根を失っているわけではないのだよ。
まさに、先ほど君の発した“あっ!!”だよ。
君は、また“生えて”これる。」
三十路:
「私の人生は…“詰んでなどいない”…、だと…??」
鼻毛について長々と議論を続けたどころか、自らの抜け落ちた鼻毛をもってして、皮肉にも希望の欠片を見出した三十路。
目の奥が仄かに熱くなりながらも、辺りをキョロキョロと見回していると、机の上の小さな鏡が視界に入った。
例のティッシュで鼻をかんだ方の穴から、鼻毛がひょろりと1本飛び出していることに気付いた。
“この1本は、鼻毛界でいうところの何なのだろう…”
いやいや、あくまで我々は、人間界の存在だ。
こやつを見逃すことはできぬ。すまないが、消えてもらうとしよう。
三十路は、リュックから安物の鼻毛カッターを取り出し、哲人に尋ねた。
三十路:
「すみません、ゴミ箱をお借りしてもよいでしょうか…?
さっき鼻をかんだ方の穴から、その、鼻毛が1本、飛び出てしまってて…
さすがに見過ごせませんので…」
哲人:
「嗚呼、宇宙飛行士ではないか!
あはれなる春夏秋冬の大気圏を飛び出した結果、憐れな運命を辿るとはな…」
哲人は訳の分からないことを呟きながらも、三十路にゴミ箱を渡した。
きっと哲人も、自らの鼻毛が飛び出した時はきちんとカットするのだろう。
三十路は、慣れない手つきで安っぽいモーターの駆動音を鳴らし、飛び出た鼻毛を刈り取った。
ついでに周りの“宇宙飛行士”予備軍も刈り取ってやろうと、ぎこちなく手先を動かしていた。
にしても、モーター音も挙動も怪しい鼻毛カッターだ。
いくら無職で金が無いとはいえ、もう数千円ほど投資してよかったろうに…
三十路:
「ひっ、痛ぁッ!!!!」
哲人:
「おやおや。やっちまったようだね。
ああ……結構な血が垂れている。
さては、どこぞの通販サイトで、説明書の日本語訳が怪しい安物でも買っただろう?
というか三十路君、今夜は宿無しなんだろう?
鼻血を垂らした学友を寒空に放つ真似は、私にはできない。
このスコッティの箱ごと持っていってよいから、今宵は私の客室で休みたまえ。」
三十路:
「そ、そんな…先生!
決して宿目的で来たわけではなかったのですが…
助かります、ありがとうございます…!!」
三十路は案内された客室で、暫し止血に奮闘した。
申し訳ないほどにティッシュを消費し、怪我をした左穴に突っ込んだ。
右穴では、1本1本の鼻毛が思い思いに身を伸ばして、春夏秋冬を生きているのだろうな。
一方で左穴では、出る杭が打たれ、強制的な平準化が図られた結果、血に洗われる世界となった。
脳内BGMが“デェェェェン”と鳴り響くのを抑えながら、並行世界ともいえる2つの穴に想いを馳せているうちに、ようやく血は止まった。
真っ赤な世界は、そう長く続かない…なんて、な。
シャワー室を借りて全身を洗い、心地よい疲労に包まれた三十路は、たちまち眠りについた。
次回予告
さて、ここまでついて来て頂けた方は、一体どれほどいることか…
哲人のモデルとなった知人は、実際に会う時も、目を輝かせながら上述のように鼻毛を熱弁するもので、自分が出会った史上でトップクラスのキワモノ(←褒めてる)と思っております。
彼女のキワモノぶりは、鼻毛だけでは到底語り尽くせません。
1つの記事で完結させるのも考えましたが、某ベストセラーを意識して対話形式にしていることもあり、行数を食ってしまうので、各章で記事を分けることにしました。
●形而上学篇
第1夜 ヒトを俯瞰せよ(本記事)
●対人コミュニケーション篇
第2夜 ペースに乗せる関係構築
第3夜 余計な羞恥を切り捨てる
●自我の大成篇
第4夜 自分の世界の中心は自分でしかない
第5夜 「死してなお」爪痕を遺す
哲人の持論に惹かれた方、三十路の未来が気になる方、哲人のモデルとなった女性に興味を抱いた方…
そうでない方も、もしちょっと血迷ったら、また見に来て頂けると嬉しいです。
ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。