仲間を祝福する
数年前、私はその時、ドイツのフランクフルト国際空港で長蛇の列に並んでいた。
やんごとなき理由で、私は予定していたエティハド航空のフライトに乗れず、代わりに取ったエア・インディアに乗るために、チェックインカウンターでその列に並んでいた。
受付カウンターの業務量の緩和のためか、キッチリした身なりの、ややイカつめな男が皆のパスポートをチェックして何やらシールを貼って、その上に何かを書き込んで回っていた。
私の番になった。
異国で、違う言葉を聞くときはいつだって緊張した。なぜなら自分もその異国の言葉を紡ぐ可能性があると感じるから。
だがそこは当然空港で、英語を話すスタッフは多い。その男性も私に、パスポートを見せるように英語で言ってきた。
私は素直にパスポートを見せる。
赤い、菊の紋が描かれている、若干ダサいパスポート。
パキスタンのパスポートのように深い緑色とか大人っぽくてカッコいいと常々思う。
私のパスポートにシールを貼りながらその男は言った。
「お前は本当に日本人か?」
おや。
想定外の質問が降ってきて、私は反射的に男の顔を見る。
相手は仏頂面で私の答えを待っていた。
「まあそうだけど、父親がその…パキスタン人なので…」
遠慮がちにそう言った。
エア・インディアのカウンターに並んでいる状況が、私を遠慮がちにさせていた。周り中、南アジア系しかいなかった。
相手は南アジア系だと私は推察した。もしかしたらインド人かもしれない。
パスポートに記載されている私の名前を見て気になったんだろうか。
私は日本での生活の利便性のために母親姓を名乗っているが、私のパスポートの姓の欄にはカッコ()があり、そこには父親の姓(ちなみにパキスタンには姓という概念があまり無いのだが、この話はまたいずれ)が記載されている。
カッコ書きで記載されたその名前はパキスタンでは、日本でいう「高橋」さんぐらいメジャーな名前だ。
そして前述の仏頂面男は、私の弱々しい答えを聞いてこう言った。
「それは奇遇だ。私もパキスタン人なんだ」
想定外の答えが降ってきた。男はそう言って私に握手を求めてきた。ニコリともしなかった顔がやや、綻んでいた。
ほう。パキスタン人だったのか。
「お、そうなんですね!」
私はそう言って握手に応じた。
ちょっと嬉しかった。
そして彼はその後、他の客のところへ行ってパスポートのチェックをひたすら続け、二度と会うことはなかった。
ところで私は日本でも、同じ質問を何度かされてきた。
例えばインド料理のレストランで、私の顔をガン見してきたインド系のウェイター(結構彼らに顔をガン見されることが多い)が会計の際に「日本人ですか?」と聞いてくることは多々あった。
私はそういう時、「やっぱり訊いてきたな」とは思うが、あまり腹は立たない。(これも私の観測上、人によるので鵜呑みにしないように。)
なぜなら、彼らは仲間を探しているからだ。
いわゆる日本人が「日本人ですか?それとも…?」と聞いてくる時のニュアンスや意図とは、まるで違うというのは肌感覚ですぐ分かる。
彼らは、つまり海外にルーツのある人たちは、必ずしも知的好奇心を満たすために、私のルーツを聞いているわけではない。
もちろん知的好奇心が彼らにないとは言わないが、自分と同じ国の出身者らしき人が目の前に現れた場合、彼らはだいたいの場合、放ってはおかない。必ず何かアクションを起こしてくる。
話しかけたり、握手を求めたり、ちょっと突っ込んだ質問をしたり(「お父さんの仕事儲かってる?」のような質問だ)
そして訊いてもいないのに、自分の身の上話をダラダラと始める人もいる。
これらの経験は、総じて私にとってさほど悪い経験ではなかった。
こういう人たちとの出会いは、基本的には一期一会で、その後会うことは二度とない、ということが多い。だが、その一瞬一瞬で、無意識とはいえ、私たちは相互にお互いの存在を祝福している。そんな気がするのだ。