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声なき叫びは、時を経て刃となる
海外に(も)ルーツのある友人たちの間で、たびたび出るフレーズがある。
「自分たちが幼少期や思春期に経験したような思いをする子どもが、私たちの世代で最後になることを願っている」
私たちは、社会、つまり学校などで色々と経験させられたわけではあるが、家庭内でも同じだ。
父親、もしくは母親との関係である。
特に、ミックスルーツにとっては、父親も母親もミックスではないがゆえに、どちらからも社会的マイノリティとしての立場を理解してもらえないことが往々にしてある。
私の母親なんか
「私の方が大変な思いをしてきた。あなたはその時々で日本人にもなれるし外国人にもなれるでしょ。私なんて『日本人のくせに云々』と言われ続けてきた」
と言って憚らない。
身も蓋もない言い方である。
ただ母に関しては、少し理解ができるところもないわけではなかった。
彼女の母方の祖父は、大正デモクラシー真っ只中の頃、ロンドンに7年近くも滞在して建築を学んで帰ってきた人だった。いわゆる洋行帰り、というやつだ。
彼女の母、つまり私の祖母だが、そんな人の元で育ったので、いい意味でも悪い意味でも、かなり西欧かぶれだった。女子大在学中は同級生たちに「ミス・ヨーロッパ」と言われていたらしい。
だから母としても、いわゆる一般的な日本の家庭で育ったわけでは決してなかったので、周囲との違いに戸惑ったり「なんで普通じゃないの?」というような心無い言葉を浴びせられたりもしたらしい。
だが、少なくとも外見においては、母はマジョリティ側であり、私はそうではなかった。
人によって顔の捉え方は様々だし、私も幼少期に比べると成長したことでだいぶ顔立ちは変わったので、成長して大人になってから言われるようになったフレーズのほうが、私を傷つける要因としては根深いものであった。
父親は父親で「あなたはどこ行っても日本人とは見なされない。顔がそもそも違うのだから、あなたはどう頑張っても日本人にはなれない」と呪いのように言い続ける。
現実問題、100%間違ってるとも言い切れないが、流石に言い過ぎではと毎回思っている。父親はかなり否定的な性格で、物事を客観的に見ることができず、最初から否定してかかるタイプの人物であるので、このような発言が出てしまうのだろう。
ところで国際結婚をする人々の中には「カッコいい」「国際的」「ハーフの子ができるから嬉しい」など夢を抱く人もいるらしい。
「国際的」でいつも苦々しく思い出すことがあるが、
大学時代に「国際」と名の付くとある高校出身の知り合いに、従姉妹の結婚式のためにパキスタンへ行くという話をしたら(結局やんごとなき理由でいけなくなったのだが)その人は「そっかあ〜夏休みは国に帰るんだね」と言い放ったことがあった。
「こういうことを平気で言えてしまう程度の国際感覚しか身につかなかったんだな」と氷のような気持ちになった。
その時以来、「国際」や「国際的」という言葉が大嫌いになった。
そしてこれもミックスの知人に教えてもらったが、どうやらインスタには「ハーフキッズ」とかいう恐ろしくグロテスクなタグがあるようで、ミックスルーツの子どもたちの様子やらが公開アカウントで、これでもかと投稿されているらしい。
失笑を禁じ得ない。
そもそも論としてこの話題は、まず子どもの顔をSNSにアップするなというところからお説教を始めなければいけないので、この話はまたいつか。
話を戻すが、子どもの頃は、ハーフであることよりもアトピーが酷かったことで、かなり不利益を被った。
だが成長して大人になってからは、アトピーが治ってきた代わりに、今度は見た目や名前で傷つけられることが増えた。
一番最近ショックだったのは、今年の1月に京都へ一人旅した時に、たまたま参加した1日ツアーの参加者に「日本語お上手ですけど、生粋の日本人ですか?」と言われたことだった。
マイクロアグレッションどころか、特大級の人種差別である。
「生粋の日本人」なる概念の定義を具体的に説明してもらいたかったが、私は久々の人種差別的な発言に大変ショックを受けてしまい、目を合わさず仏頂面で「一応日本国籍ですけど…」と言うのが精一杯だった。
こういう発言はいつ、どこから自分めがけて飛んでくるか分からない。一種の自然災害のようなものである。
いや、自然災害だったら防ぎようも無いのであるが、こういった発言は、本来であれば、人々が認識をさえ変えれば防げるはずなのだ。だからある種、人為的なものである
「あなたの体重はいくつですか?」と聞いたり、下着の色を訊ねたりするのは失礼だと誰もが分かっているから、相手がよほどの人でない限りは、普通はそう言った質問が投げかけられることはない。(通常であれば)
だから初対面で、かつこれからも繋がりを持つ相手かどうかも分からない人に自分のルーツを開示する義務は、我々には無いということも、この社会の中でも浸透してほしいものである。
ミックスルーツや、両親ともに海外ルーツだとこういう攻撃に備える必要性が出てくるのだが、かといって四六時中防御体制になっているわけにもいかないのだ。それでは我々は疲弊してしまう。
ところが更に言うと、ミックスルーツや日本在住の海外ルーツの若者の気持ちを親に分かってもらうのは至難の業である。なぜなら彼らは、特にミックス家庭の場合、日本人側の親は、往々にして自分の東アジア的な顔立ちにコンプレックスを抱いているので、我々ミックスの想像の斜め上の発言が頭上を飛び交うのだ。
「いいじゃない、平たい顔族じゃ無いってことなんだから」などと茶化され、こちらがなおも言い続けると煙たがられて「いちいち神経質なのでは?」「そんなにいつも怒っていたら身が持たないでしょ」「被害者意識を増大させすぎ」などと言われて沈黙を強いられる。
インスタで肖像権などガン無視でミックスの子どもたちの写真を載せまくる親には届かないかもしれないが、ハーフの子どもは(人種的多様性が別段ない子どもであってももちろんだが)親のおもちゃでは無い。
いずれ生まれてくるかもしれない子どもにアイデンティティクライシスが起きた場合(往々にして夫婦間に文化的背景の差異を起因とした亀裂が走った時、これは起こりがちである)、精神面でフォローする覚悟はあるか、
両親の言語・文化を教える環境を作れるか、
両親に何らかの信仰がある場合、宗教教育をどうするか、
そこまで責任が持てないのであれば、国際結婚カップルには絶対に子どもを持ってほしくない。
覚悟のない出産・子育ては、悲劇の再生産に過ぎない。
それらはいずれ、鋭い刃となって親に向かうだろう。
子どもの日記に「子どもの人種的・文化的多様性を潰し、国際結婚によってもたらされた自身の傷を癒すために子どもをカウンセラーに仕立てる親に、私は長年搾取され続けてきた(原文ママ)」と書かれたくないのなら、以上のことは気をつけたいものである。