もう言ってもいいでしょう
角川書店カクヨム連載中【もう言ってもいいでしょう】
そして、そして、もう言っていいでしょう。
癌や心臓病などの難病と言われるものも、すべての病気が医療ビジネスになってしまう危険性のある事を。
自分の体の反応なのだから、本来、治せないものなどない。
もとの状態に戻る。ただそれだけである。
原因を見ずに、結果だけに注視した為に起こった
【拗(こじ)らせ】である。
食品添加物ー保存料、人工甘味料、乳化剤、マーガリン、植物油脂、着色料、調味料等、アミノ酸等の表記、病気のもとになるものを静かに蓄積していく。
経皮毒ーシャンプー、化粧品、消臭剤、歯磨き粉などに含まれるフッ素、研磨剤など。
製薬会社の利益ーワクチンの中身、医療機関の出す薬が、病気のもとになるものを静かに蓄積していく。
利便性優先の弊害ー電磁波が体の波動を狂わせ、ストレスや疲労が拍車をかける。
体が悲鳴を上げて、休むための信号を出しているのである。
その指示に従って、休めば自然にニュートラルに戻るのである。
それを経済と創られた倫理観が阻む。
『仕事を休んではまわりに迷惑をかける』
この歪んだ倫理観のためにどれだけの人が命を落とし、治さない医療機関を発展させ、人々を経済戦争の渦中へ向かわせたのか。
みずから病気を創っているのに、あたかも治したように思わせる。
宗教であるかのように。医療の罪は重い。
もちろん、患者にもメリットはある。
依存という安心感と、病気のつらい症状を抑えてくれる。
そして死にゆく運命を書き換え、いわゆる『救ったいのち』もたくさんあるのだろう。
だからこそ、患者は依存性を強め、権威をますます崇拝していく。
はっきり言おう。治してはいない。症状の緩和と延命。ただそれだけである。
そして、自分の体を犠牲にしてまで追い求めた経済とやらは、実体がないものが多い。
例えば数字のビジネスである。
投資、利息、利権、そして紙幣そのもの、これらのものはほとんど価値がない。
何故、数字の大きさのみを追っかけるようになってしまったのか。まさにマネーゲームの仮想通過である。
本当に必要なサービスを提供した見返りとしての貨幣や気持ちであったはずが、サービスなど全く提供しなくても、数字があれば良い事になっている現行の商習慣は、見直す必要がある。
何も成していないのに、お金によって手に入れる事は本来できないのだ。
わかりやすく言えば、人から盗んだお金は、マイナスの価値しかないのだ。
それでもなお、数字のみを追い求める。
治さない医療、悪化する医療はマイナスの価値しかないのだ。
しかし、症状を抑えるという利益を患者自身も手に入れてしまったのなら、そこには価値は発生する。
これが理解を困難にしている原因である。
マトリックス。仮想通貨と仮想現実。ここへ来て映画公開の真実とは。
きれいな心につけこむビジネス。
募金、献血、ボランティア。美談には裏の話はつきまとう。
その先がきちんと使われているかなど、確かめようもない。
しかし、提供したほうはそれでもいいのかもしれない。
『心の満足』という価値を得ているのだから。
ウソだらけの世界でもいいのかもしれない。
『心の満足』という価値を得ているのだから。
となると、この仮想現実世界も、もしかしたら、バレなければ、本物になったのかもしれない。
しかし、真実の夜明けは近いのではないか。
なぜならば、嘘は通用せず、真(マコト)の真(マコト)の世界が、心の底では望んでいる世界なのだから。
嘘はバレる。しかし、信じたものが現実となるのも事実。
もし、そうなのであれば、「自分の心に正直に生きる」ただ、それだけしかないのである。
さあ、今からの世界は仮想現実の世界ではなく、心の声に耳を傾けて行こうではないか。
それがマコトの【現実世界】なのではないだろうか。