貪欲即無欲
貪る、それは欲に身を任せることである。エゴイズムの局地とも言える。
その対義語として、無欲で清廉潔白、世を捨てて修行するインドの修行僧のような人の行動を考える
お釈迦さまは若い時、自らの苦を克服しようと、徹底的に煩悩を捨てて無欲になろうと修行したが、結局その試みは失敗した。
親鸞聖人は、亡くなるまで煩悩をなくすことはできなかった。
貪欲と無欲には関係がなさそうであるが、実は大きな関係がある。両方とも、100%こちらがよい!という考えに基づいていることである。
貪欲 ー とにかく、自分を楽しませて、欲望に身を任せて、過ごしてゆくことが人生の目的であり、そのためには、何を犠牲にしても、他人を顧みなくても構わない。100%そういう人生がよい!のである
無欲 ー 欲を持つと苦に繋がるから、欲をとにかく無くさないといけない。悟りの境地に辿り着くまで、徹底的に無欲を実践し、全ての欲がなくなるまで無欲を実践する。100%それが正しい!
両方ともに、分別がはっきりしている、有無がはっきりしてそれに執着しているという共通点がある。だから
貪欲即分別 とか 貪欲即執着
無欲即分別 とか 無欲即執着
といえる
ので、貪欲即無欲となる。
この両方が良くないとしたら、この執着や自性しているという考えを捨てるべきとなる。
貪ることも、無欲を極めることも良くなければ、全ては無自性で有るようで無いと考えるのが解決策になる。
モヤっとしていると思うが、そういうことなのである。でも、もう少しはっきりさせる考え(智慧)はもちろんあるので、それは次回以降で考えたい。