力技で面白さをねじ込んでくるアニメ『キン肉マン令和版 完璧超人始祖編』を見ている

令和版のキン肉マンが荒唐無稽すぎて、応援の少年漫画の良さを深く感じられて良かった。

キン肉マン世代ではないのだが、オンタイムでは筋肉スグルの息子、筋肉アタルが主人公の『筋肉マン二世』を見たことがある。

当時は幼かったとこもあり、突拍子もない技の数々や整合性などまるで無視した、「ふふふ、あいつは四天王の中でも最弱(物語の中で都合5度目)」的な展開に毎週ワクワクしていたものだ。

それから幾年月がたち、また改めてオンタイムでキン肉マンのアニメを見ることになった。今度は令和版である。

物語としては、オリジナル版の終盤からの続き、ということらしい。連載は未読なので、設定に関しては、あやふやだ。

とりあえず、伝説の漫画・アニメが返ってきた。ということなので、目を通してみた。

Xなどで厄介なオタクが毎週実況していたのを見ていたからか、キン肉マンというのは、荒唐無稽な展開にツッコミをいれつつ、げはげは笑いながら見るもの。そんな、先入観があった。

実際見てみると、確かに非常にくだらないのだが、心のどこかで「ステカセキング、頑張れや……!」などと思っている自分がいることに気が付いた。

思いのほか、はまってしまっているのである。

何でなのかを考えると、一つの理由は最近の娯楽作品が私にとって、込み入ったものでありすぎたのかもしれない。ということに思い至った。

ギャグやコメディを除くと、たとえば、キン肉マンも属するバトル物とか。複雑な心理戦やら、読者の心理も組み入れたメタ的な展開、「少年漫画に幼女の生首」といったぎょっとするような展開、登場から〇年後に意味が明らかになる布石などなど、冷静に考えると、読み込む際の心理的負荷が多い娯楽作品が増えたように思う。

そのほかにも、「転生物」とかも結構面倒くさい。「前世の能力が今世に引き継がれて、しかし、今世ではその能力を持っている人間は劣位に置かれていて……」とか。

気にせず読んでいたが、冷静に振り返ると、頭を掻きむしりそうになってくる。気軽に流し見したりする漫画とかアニメに合っていい内容じゃないのでは、少なくとも自分にとっては負担が大きかったのではないかと、感じ始めている。

そこに来て、キン肉マンである。「荒唐無稽」というのが野暮なくらい、荒唐無稽である。

時系列の整合性、キャラの設定、そんなものはお構いなし。「このとき面白い」とゆでたまごが思った、傑作の設定が湯水のごとく降り注いでくる。

それだけである。でも、不思議と力技で「面白い」と思わされてしまう。というか、頭を空っぽにして楽しめるので、すーっと、頭の中に内容が入ってきてしまう。

キン肉マンのような荒唐無稽すぎる作品、というのは、時代のあだ花というか、今のように週刊漫画制作の現場がデジタル化されていない時代だからこそ生まれた節もあるのだろうと思う。

「もう少しで締め切りに間に合わなくなる、しかし、鬼編集は『つまらない』とネームを没にしまくる…。どうすりゃええんや……」
「設定とか、ごちゃごちゃうるせぇ! これが面白いんや!(徹夜5日目)」
みたいな、現場が存在したからこそ生まれたのではないかとも感じている。

だから、当然と言えば当然かもしれないが、キン肉マンという作品は「古い」「時代遅れ」なものなのかもしれない。

でも、それがよかった。

もちろん、昨今の頭をひねらないと物語の本筋が入ってこない作品も見ていて楽しいのだが、もう少し、キン肉マンのような、荒唐無稽だが、力技で「面白れぇ」と思わせられてしまう作品が増えてもいいのではないかとも感じてしまった。


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