短歌:電車
また自我の短歌です。
自分の覚え書きみたいな短歌なので、頑張りすぎなくてもいいし頑張りすぎないほうが自分っぽくていいなと思って楽しんでいる。
始めよう!!
ぬかるんだ地面に立っている人へ届いてほしい焼き立てのパン
焼き立てのパン、割と幸せの象徴のように思っているかも。
家で作るにしろパン屋さんで買うにしろほかほか湯気をあげるふかふかのパン、お風呂とか布団みたいなぬくもりがあって好き。
でもパンより米派です。すいません。
まっすぐ立つこともおぼつかない場所にいるような気がしている。わたしと同じような人に焼きたてのパンを届けられる人間になりたい。
これはほんとうに願望なので本当にできるとはあまり思っていない。まあでも夢はでかくたっていいはずですから…
ほかほかのおむすびでも良い。面接の結果、フカフカ感と文字数でパンを採用しましたがおむすびのことも大好きです。
愛情のこもったおむすびは時に人間を救うでしょう。
イヤホンを忘れとっても暇なので五七五七七を転がす
電車でのおでかけ、イヤホン忘れると暇。
電車では音楽だけ聴いてることが多い。イヤホンがないとスマホを見ても暇なので、仕方なくぼんやりする。
ぼんやりしながら頭の中で五七五七七を考えてみる。こういうときって結構ピン!と来るからうれしい。急いでスマホにメモする。どうでもいい短歌ばかりが溜まってきている。
撫でたくなって撫でる。スクロールする。
なんかいつか紙にしたいな〜ちゃんと撫でられるし残るし…と思う。
そういう短歌。
電車のね窓がめちゃくちゃでかいのはまちをよく見るため、と幼な子
イヤホンを忘れるとぼんやりせざるを得ないので、いつも見ないものとか聞かない会話が目や耳に入ってくる。それはそれでたのしい。
電車に乗ってる子どもちゃんたち、窓にかじりついてる率高い。舞浜駅とかじゃなくてもめっちゃ楽しそうに眺めていて、いいなと思う。その感覚、私からはもう失われている。真似ならいくらでもできるけど。
電車の窓ってでっかくて臨場感があってすごく良いことに気付く。ほぼ毎日デカい窓からまちを眺めていたのでそのありがたさが分かんなかったな。
流れる景色、住宅街、マンションだらけの場所、たまに川とか河川敷、トンネル、駅前の日高屋の看板、手前の景色はあっという間に流れて、遠くの景色はゆるやかに移り変わる。
Last Train Homeを聴きたい!!!!ってなる。
イヤホンないんだった!!!!!
プロテインバーの広告に描かれたハイキューのキャラたちを見れない
これ以上でも以下でもない短歌。見れないな…と思ってたら音数ぴったりだったのでね…。
見れない!眩しい!青春の象徴すぎて直視できない。電車のドアについてるちっちゃい広告でもアカン。あんたら、眩しいよ。さっき映画見て最高になっちまったのでそのことも日記に書きたいな。ありがとう、ハイキュー。
常識が釣れるらしくて待っている キリンになるよ もうやめようよ
常識ってどうやって知るんですかね、わっかんねえんだこれ。
常識というのは大人になるにつれて自然に身につくものだと思っていた。
年齢を重ねたら大人というものに自然となれると思っていたし、今もそう思いながら首を伸ばして待っている。
そもそも自分に常識があるのかないのか、知っているのか、今知っているものは常識ってことで合っているのか…わからない…多分分からないまま社会に出て、失敗しては学んでいくものなのだと思う…だから釣れない…待ってて釣れるもんじゃない…という理解を…落とし込んでいましたね…なんか…本とか…買う…?指針がほしい、常識の……
頑張んないと世間に迎合できない気がする。世間に多少迎合しないと…!!
っていう短歌でした。
つい長くなっちゃう!こんなもんにしといたろか!またいつか!
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