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大人になった私は因果応報を信じている


小学生時代、同級生から嫌な事をされて落ち込んでいると、母がよく

「因果応報があるから大丈夫よ」

と慰めてくれたのだが

その時の私は、自分の身におこった災難を、変な四文字熟語で片付けられることに納得がいかなかったし、相手に直接やり返さなきゃ気がすまないと、関節の指をポキポキ鳴らしていた。

しかし大人になった今は、私も「因果応報」を信じている。たぶんあの時の母よりも、強く。確かに。

やったら返ってくるのだ。
良いことも、悪いことも。

数年前のことだが、友人が出産をしたので、私は病院へお見舞いに行った。

事前に帝王切開の傷が痛むから、笑わせないようにと忠告を向けていたが、友人の顔をみられた嬉しさもあって、私はいつものマシンガントークを繰り広げ、友人を悶絶させた。

友人は涙を流しながら、ウケると痛いを繰り返し、私が帰る頃には10歳くらい老けていた。

まる子はなんてひどいやつなんだ
と思うかもしれないが安心してほしい。

やったら返ってくる。
良いことも、悪いことも。
寸分の狂いもなく、きっちりと。

その数年後、今度は私が扁桃腺摘出手術を受けた。

友人がお見舞いに来てくれるというので、事前に術後の傷が痛むから、笑わせないようにと忠告をしていたが、いつもとは違う場所で会えた嬉しさもあって、友人はひとり漫談を繰り広げ私を悶絶させた。

私は涙を流しながら、ウケると痛いを繰り返し、彼女が帰る頃には200歳くらい老けていた。

友人の小さな背中を見送りながら、彼女が出産した時のことを思い出し、因果応報って本当にあるんだなと、その威力に圧倒されていた。

だから大人になった私は、自分で自分を慰めるようになった。

狭い道を歩いている時に、向こうからも人が歩いてきて、ぶつからないよう端によけたら、その人はよけるどころか、道の真ん中を堂々と歩くもんだから、肩がパーンとあたり、チッと舌打ちをされても私には因果応報があるから大丈夫と。

いや、ごめん。
やっぱり言わせてくれ。
どこ見てんだよー!



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