2024年は「いつか」を前倒しにした年でした
2024年になったときに決めたことがある。
今年は「いつか」やろうと思っていたことを前倒しでやっていこうと。
年明け早々、地震や飛行機事故があった。
悲惨な状況を伝えるニュースを見ながら
今ある日常が当たり前ではない
ということをこれでもかと突きつけられた。
こうはしていられない。
私は重すぎる腰を上げた。
【春】
まず両親を台湾へ連れて行くことにした。
ことあるごとに、両親から台湾へ行きたいと言われていたが、聞こえないふりをしていた。体力的に飛行機は大丈夫か?旅費は誰が払うのか?パスポートは?安全面は?
確認しなくてはならないことが山積みだったが、それらひとつひとつと向き合うのが面倒くさくて、いつかねとごまかしていた。
しかし、父には持病があり、その時限爆弾がいつ爆発するか分からない。
母も一回りどころか、二回りも小さくなり、確実に歳を取ってきている。
後悔する前に両親を連れて行こう。
金は私が払う!!!
そう決心したものの1人で連れていくには自信がなかった。
両親には甘えがあるので、一緒にいるとすぐイライラしてしまう。
夫に相談してみたら同行してくれるという。
おまけに両親の旅費は
夫が払ってくれるというのだ。
私にはラッキーな出来事だったが
夫にしてみたらとんだ罰ゲームだ。
しかし、嫌な顔ひとつせずに
夫は台湾行きを決めた。
いい男だ。寅さんみたいだ。
夫とふたりだけの旅行であれば
行き当たりばったりも楽しめるだろうが
両親の年齢や体調を考えたら
送迎や観光など、お金で解決できることは事前に根回しをした。
レストランなども日本から予約していったのだが、「一番美味しかったのは、ホテルの朝食だった」と父に言われた時は、はっ倒してやろうかと思った。
しかし、トランクケースの3分の2をお土産のパイナップルケーキで埋め尽くす姿を見たら、なんだか許してしまった。
母は帰国してから、玄関に台湾旅行の写真を飾っている。
この旅行がこれからの私を何度となく支えてくれるだろう。そう思える旅だった。
【夏】
両親の次は友人。ということで、8年ぶりとか、5年ぶりとか、3年ぶりとか、遠方に住む友人たちに積極的に会いにいった。
久しぶりなはずなのに、喋ればあのころに一瞬で戻る。
ある食事会のとき、友人のひとりが誕生日だったので、レストランにサプライズケーキを注文していた。
楽しいひと時を過ごし、帰る前にトイレにいくかと席を立ったら店員さんに呼び止められた。
「あの……ケーキはいつお持ちしますか?」
しかるべき時がきたらこちらから合図を送ることになっていたのに、話に夢中になりすぎて、ケーキの存在をすっかり忘れていたのである。
丁重に謝罪し、すぐにケーキを持ってきてもらった。
友人はサプライズケーキにびっくりしていたが、私は自分の記憶力にびっくりしてしまった。
【秋】
秋はnoteを始めた。
ずっと長い文章を書きたいと思っていたのだが、時間がない、才能がない、アイディアがないと、それっぽい理由をつけて逃げていた。だから逃げられないように、ノートパソコンを買った。
一か八か、0か100かのAB型だ。
電気屋の店員さんに「できるだけ安くて、wordが使えて、ネットに繋がるパソコンはどれですか?」と初心者丸出しの質問をしたら、何に使うんですか?と逆質問され、noteを始めたくてとは恥ずかしくて言えず、レポート的なやつを書きたくて、と咄嗟にごまかした。レポート的なやつってなんだよ。
noteを始める前からスマホでアメブロを書いているのだが、アメブロは誰かと繋がっている感じがして、noteは届いているという感じする。どちらも違った楽しさがあり、やめられないね。これは。
noteは始めたばかりで、いまだにどのボタンを押せば、どうなるのかさっぱりわからないのだが
文章だけで挑むというシンプルさが気に入っている。
あ、文字を大きくする方法は分かりました。
今後ともよろしくお願いいたします。
【冬】
冬は職場の雰囲気を変えた。
会社の先輩が病気で休養することになったのだが、私はその先輩のことが大嫌いだった。自分のものも、お前のものも、会社のものも、自分のもの、とジャイアンみたいに横柄で、仕事をしない自分を棚に上げ、誰かの間違いにねちねち文句を言う人だった。
そんな先輩がいなくなり、次のリーダーを任されたのが私だった。
決して仕事ができるからではない。
在籍期間が長いというだけで白羽の矢が立ったのだ。残念なことに私にはリーダーシップがなかった。どちらかというと、リーダーシップのある人の横で、調子よく話を合わせるお調子者だった。
そんな私がみんなをまとめられるわけもなく、気が付いたら余裕がなくなり、誰かの間違いにねちねち文句を言うようになった。
あれだけなりたくなかった先輩に
私は近づきつつある。
だから近しい人を集めてこう言った。
私があの先輩のようになっていたら遠慮なく注意してくれと。
自分でも気を付けるが、視力が悪く半径3cmくらいしか見えていない人間なので、教えてくださいと。
これがドラマや映画だったら
よし分かったと熱い握手を交わし
輝かしい未来が待っているだろう。
しかし、現実はそうはいかない。
まず社内に潔癖ぎみの人が数人いるので握手をすることが叶わない。シフトもバラバラなので全員と顔を合わせるのも難しい。
だからみんなが見る引継帳に仕事以外のことも書くようにした。みんなに感謝していることや、良かった点を余すことなく書いている。
先輩からかけられた「お前たちは自分がいないとなにもできない」という呪いを、ぶっ壊す時がきたようだ。
こうして振り返ると実に濃い1年だった。
「いつか」を前倒しにして「今」やることを心掛けていたので、白湯から始まる丁寧なスローライフとは程遠く、慌ただしく乱暴でせっかちな冷凍食品ライフだった。
元来怠け者のため、途中でやっぱりいつかでいいやと腰が下がりかけたこともあったが、そのたびに新年の決意を思い出し、サランラップのシンでケツを叩いた。
おかげでたくさんの人に会え、私の顔には笑いジワがいっぱいだ。
美容液塗り込まなくちゃな。
2025年はどんなことが待っているのだろう。
春に両親をディズニーランドへ連れていく計画を立てている。
父の薄くなった頭に
ミッキーの耳は似合うのだろうか。
部分入れ歯の母は
チュロスを噛みちぎれるのだろうか。
しっかりこの目で見届けたいと思う。
2025年も「いつか」を「今」に変えて
進んでいきます。
良いお年をお迎えください。
感謝をこめて。