「でっかいおっさん」から生還しつつある
出産前後、女性は様々な環境変化にさらされて、身体の変化に苦心している。一方の私、男性であり、身体の負担は女性より少ない中で、子供が4歳まで増量の一途を辿っていた。
そんな私の、増量、減量ストーリーをここにまとめる。
記事のタイトル通り、「生還しつつある」状況まできた。
子どもが4歳を迎えるまでに 20kg増量 (72kg -> 92kg)
子どもが6歳を迎えるまでに 20kg現象(92kg -> 74kg)
残すところ2kg。後述する目標どおりゴールが見えてきた。
ポイントは?
妻や子供、仕事仲間に悪影響でないスケジュール
継続期間2年、飽きることと上手く付き合えた
運動強度(METs)が高い活動を生活リズムに組込めた
心のスイッチが入った瞬間
薄々感じていた。家族写真が増える毎に巨大化しているような。
目を背け続けてなかたその日がきた。VR体験イベントで遊んでいたら、「でっかいおっさん」が笑い者になっていたと家族からの密告。VRゴーゴルを付けて必死に何かしていたのがよっぽど滑稽だったのであろう。
年末年始に差し掛かり、「笑いもの」になっていたこと、子供に体力がついてきて一緒に遊ぶと息があがること、そんなことが頭を巡っていた。年末年始休暇後から何とかしようと心に誓った。
身体も生活環境も激変中
冷静に振り返ると激変の中にいた。自分の気持ちとしてはそんなことを感じていなかったが、身体は正直だった。
自分のからだ
身体が変わるアラフォーな時期。もともと太りやすいのは分かっており、独身時代、週1でジムに通いしていた。
キャリアと子育て
当時は経営幹部という役割。所属企業で経営幹部としては初めての長期間の育休取得。paternity-leave-in-japan にもCommitを刻んだ。用意周到な準備と仲間のサポートで、完全に仕事から離れることができた。
問題は復帰後からである。「言うは易し行うは難し」。新米パパとしてバランス取るのに苦心。
社会環境
ときは2022年コロナ禍。社会の変化、働き方の変化、慣れない子育て。特に子育ては第三者のサポートを得にくい状況で難しい時期だった。
激変中から一筋の光
減量期、増量期を時系列で振り返る。激変期に増量期が重なる。
2021年 2歳 & 0歳 激変期 増量期
子供はどんどん成長。親も毎日、毎週、毎月、生活が変わる。ミルク、おむつ交換、寝ない子供だと驚くほどの寝不足。健康診断、友人知人がお祝いにくる、100日祝、ハーフバースデー、あれやこれや離乳食がはじまる。
落ち着く暇がない。次のイベントを先読する生活。こんなにイベントで溢れかえった日常はいつあったであろう。スタートアップ企業に所属していたが、家族もスタートアップだった。自分の体重など見ない。「でっかいおっさん」の足音が聞こえる。
2022年 3歳 & 1歳 激変気 増量期
子供達は保育園へ。子供も親もなれが必要な期間。子供は慣れない集団生活、母親は育休復帰からの社会生活に慣れる時間が必要。父親は一足先に復帰した余力を家族のために活かすのがよい。
どこからもらうか分からない子供の体調不良。感染症だと家庭内パンデミックを覚悟。外出制限という言葉の絶望感。周囲の助けを求めにくい孤独感。一番キツイ時期であった。自分の容姿なんて気にしなくなる。「でっかいおっさん」の完成。
2023年 4歳 & 2歳 光見えたかも期 減量期
一筋の光が見えた。4歳は成長著しく自分でできることが増える、2歳はいやいや期であるものの2回目。自分も慣れてきた。外出機会が増えてきて、気持ちのリフレッシュ、周囲との関わりで大きく環境が変わる。
「でっかいおっさん」脱出計画。子育て & 仕事に慣れてきた。仕事の捉え方を再定義。気持ちの余裕ができて再び自分に関心が向く。体重以外にも沢山得ることがあった。が、体重は落とそうと決意。
2024年 5歳 & 3歳 波に乗れた期 減量期
子供2人の食事、排泄の介助が終わりを向かえる。お風呂でも自分である程度はできる。コミュニケーション力があがって心のケアが必要なことがある。自分はじっくり考えたり、手が空く時間増えた。
「でっかいおっさん」脱出計画は順調に進行。一時期、停滞した時期があった中で、やり方を改善する余裕ができてた。体重は順調に落ちている。
減量計画
以前の曖昧な記憶で「72kg」周辺であったのでこれを目標とした。
問題は、何kg落とす必要があるかだ。恐る恐る体重系が示した数値は「92kg」。ギャップは「20kg」。これまでの人生でこれだけの減量に挑んだことはない。
はじめに「20kg」をどれくらいの時間で落とすかを決めた。単純に増量した期間が約2年。減量も2年かけようと考えた。こうすると目標も簡単、1ヶ月に1kg落とせばよい。数値を小さく扱うのは仕事で得た教訓。
どの時間ならできるか
激変期明け間もない時期。「妻や子供の時間に影響を与えない」ルールを設けた。こうすると、使える時間が明確になる。候補は、
仕事の始業前
仕事の就業後
子どもが寝静まった夜
「仕事の就業前」で決定。就業後は夕食やらでバタバタ。夜は寒い。試しに1月のある日の夜、外にでた。毎日続かないだろうと確信できた。
何をやるか
「仕事の就業前」といっても、時間にすると15分程度。選択肢は狭まる。
昔行ってたジムにいく → 往復時間で終わる
仲間と時間を合わせたスポーツ → 楽しそうだけど無理
その場でできて効率が良いトレーニング → これしかない
METsとの出会い。運動強度が高ければ短時間で効果がでる。「なわとび」に決定。
「減量」、「ダイエット」のことに興味を持つと、インスタも広告もここぞとばかりにサジェストしてくる。楽しそうなイベントをやってたり目が眩む。
8kg の壁
ここまで書いた計画通り、天候不良、体調不良な日以外はコツコツと実施。子供たちを保育園送ったあと公園に直行。仕事開始までの間、15分で縄跳び。3分 x 5セット。
毎日公園に通っていると顔見知りも増える。挨拶を交わす知り合いができる。公園でのトレーニングは、カフェで仕事をする感覚にとても近い。カフェで長時間仕事する社会問題がある中でではあるが、仕事をしている誰かがいたり、ノイズがあると自分のエンジンをかけやすいのと似ている。
つまらない進捗であるが、目標通り8ヶ月で8kg落ちた。
この間、食事が若干変わった。子供たちの食べ残しをが減った。以前は食べ残しを自分が食べる分のカロリーが乗っていた。
一番大きいのが月末の食事コントロール。体重計に毎日乗るようになって、月末に1kg減らないと思った食事量を意識的に減らした。1ヶ月に1kgの目標だからできる「月末追い込み型」。
しかし、8kg減量の翌月、84kg で停滞。縄跳びで同じことを繰り返すのに飽きたり、体力に余裕ができてきたため。飽きの問題が致命的。飛び方を変えてみる。飽きる。同じ場所、時間で単純作業になってモチベーション維持が限界。
プログラム変更
ある程度体重が落ちると体が動くようになってきた。継続して時間を作るのが習慣化できていた。トレーニング時間も増やしたいと思えてきたので、以前挫折した「夜」の時間に引っ越しを決定。
子どもが寝静まった夜
METsは高いのを狙いたい。飽きがこない、どこでもできる。基礎代謝上げたいから筋トレも入れよう。
筋トレ (10min)
ランニング (20min)
再び波にのった。飽きに対処したことが勝因。
最後に
あと2kgで生還するまでのストーリーである。年末までに生還するはず。ダイエットしたいなと思っている誰かのお役に立てる記事になれば。
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