【松原 インタビュー①】和な青春、祖母の影響でファッションの道に
ファッションアテンダントのことがちょっと気になるあなたへ。
お待たせしました。
アラフォーライターのさきです。
今回は、アテンダントの松原にインタビューした模様をお伝えします。
最後にインタビュー音源へのリンクを貼っていますので、ぜひお聞きください。
注)Q.→さき、A.→松原
Q.名前と今住んでいる場所は?
A.松原と申します。今住んでるのは、東京都世田谷区です。
Q.年齢と家族構成は?
A.アラサーになりました。家族構成は両親と妹がいます。あと猫がいます。
Q.生まれ育った場所は?
A.横浜です。なので、横浜っ子ですね。
Q.小学校、中学、高校で熱中した部活や習い事は?
A.中学高校で茶道部に入っていて、茶道の奥深さに感銘を受けてすごくハマっていました。高校卒業した後も個人的に茶道を習っているくらい、ずっと好きですね。
Q.高校卒業後の進路は?
A.高校卒業後は3年制の服飾専門学校に通っていました。洋服の型紙を描く仕事(パタンナー)をしたくて、服のパターンの勉強を3年間ずっとしていたのですが、後でパタンナーに向いていないことに気づいて、結局デザイナーに方向転換しました。
Q.学生時代のアルバイトなどの経験は?
A.服飾系の専門学校だったので、その知識を活かしてアパレル販売員のアルバイトをしていた時期もありました。ハマっ子だったので、横浜の高島屋の中にあるアパレルブランドで接客などをしていました。
横浜には百貨店が横浜高島屋とそごう横浜店の2つがあるんです。私は1つのブランドで仕事をしていたんですけど、たまにもう1つに呼ばれたりして。今日は高島屋、次の日はそごうみたいな感じで1つのブランドだけどちょっと違う場所で販売ができたりして面白かったです。
(他には)縫製のアルバイトもあって、1着はすごい安いんですけど、自分が縫った服がお店で売られたりしてるのを見て、すごく楽しかった思い出があります。
Q.ファッションに目覚めたきっかけは?
A.元々、私のおばあちゃんが洋裁と和裁の先生をしていたので、生まれた頃からずっとおばあちゃんが作った洋服とか和装を着ていたので、それがすごく楽しかった思い出と、後はもうおばあちゃんのしていたように自分でも服を作ってみたいっていうのがあって、ずっと楽しんでいたっていう記憶があります。
Q.学校卒業後、これまでの経歴は?
A.新卒で入った会社でメンズデザイナーとして働いていて、その後、転職をしながら(引き続き)メンズデザイナーとして働いていました。
でもコロナ後に会社が倒産して、アパレルがどこも厳しかった時に母校から「働き場所なければうちで働いたら」と言っていただいたので、母校の先生しつつ、就職して、今は会社で企画・生産をやっています。
Q.今の仕事はどんなことを日々やってるの?
A.たくさんの仕事内容があるんですけど…
洋服を作る上で何が必要かというリサーチ、(つまり)今市場でどんな洋服が流行ってるのかとかお客様が何を求めてるのかというリサーチをして、それをまとめて資料にしたり
Tシャツによくプリントがされてると思うんですけどそのグラフィックを自分で書いたり
最近はもう縫製を日本で行うことはすごく少なくてほとんどを中国とかベトナム等の海外に頼むことが多いので海外の工場さんに「こういう服を作ってください」っていう指示を出したり
…などをしています。
インタビュー音源と次回予告
インタビューの音声はコチラから聞けます。ぜひお楽しみください。
松原へのインタビュー、いかがでしたか?
今回は、現在会社に所属して働く松原の生い立ちやファッションとの出会いなどの話でした。次回はファッションの好みなどファッションアテンダントっぽい話題を深掘っていきますよ~
お楽しみに。
※本文はインタビュー音源を元に書き起こし、読みやすく編集したものです。
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