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” 丁寧に観て、 味わいつくす ”
先日、友人と素敵な空間でおいしい食事をいただいていました。
その友人は一緒にいる時にスマホを触る事がほぼありません。
素敵だなぁといつも思っています。
私も真似をしてスマホを脇に置いて、いつも通りの感じで、美味しい食事と目の前にいる友人との会話、そして大好きな空間、そこにいる人を楽しみながらその場にいました。
食事をしながら、ふっと色づいた木の枝に目が行きました。
そうして思いました。「さっきから何度も目にしているこの美しさを、私は本当に感じたのだろうか」と。
「この木の枝は色づいていて綺麗だな」と思っただけなのではないかと。
「全身全霊で味わい、そして、感動し、感嘆してない」と。
「もっとこの場を味わいたい」「きちんと美しさを感じたい」
そう思いました。
「一瞬一瞬を精一杯楽しみたい」と。
その時もいつも通り「しあわせだなぁ」と感じながら楽しんでいたのですが、本当にこの瞬間を味わっていないのではないかと思ったのです。
目には映っているし、感じてもいる。食事は彩り良く美しく目で楽しみ、そして美味しくいただいているし、目の前の友人のこともちゃんと見ている。会話も楽しんでいる。
でも、『本当にここにいるかな、今この瞬間を生きているかな?』と思ったのです。
最近、食事の時にお箸を置いて食べるようにしています。
それは食べることに集中したいから、丁寧に味わいたいから。
お箸を置いて食べるだけで、「次どうしよう」と思っている思考が止まります。
口の中にある食材の感触や味に意識が行って、全てが敏感になる。同じ食べるにしても「食べきった」「味わい尽くした」という感動が味わえるのです。
その時もお箸を置きました。友人も知ってか知らずか置いています。
そうやって食事に集中するのはもちろんですが、その意識をその空間にある全てのものに広げて行きました。
ひとつひとつきちんと見て、感じて、味わっていきました。
観察し、素敵さや素晴らしさを堪能しました。
そうしたら、ひとつひとつがとても素敵で、素晴らしく、目に映るもの全てがしあわせに満ちて見えました。
何気なく過ごしているだけでは見落としていた宝物があちこちに存在感を持って浮かび上がりました。
今までもそこにあったのです。でも命を吹き込まれたように存在感を増し、輝きを増していました。
そして改めて、気づきました。
こうやって私たちは、その場にいるけど、その場におらず、それを見ているけれど、見ずに、今を生きることなく、未来か過去を生きているなと。
目の前の人を見ているけれど、その意識は自分の内側に向いていて。
自分の中の意識内で生きている。と。
しあわせになるのは本当はとても簡単で、ただこの場に集中し、ただ感じることに集中すれば良いだけなんだと。
自分の内側に繋がりながら、外側にあるものに繋がる。
ただひとつひとつを丁寧に観察し、味わうだけで、平和で、安寧で、豊かである。
美しいものは身の回りに溢れている。
雨上がりの日差しや、誰かの微笑みや、色づいた木の枝や、美味しい食事や、美しい造形や。
自分の感性を開いて、その美しさや穏やかさをただ感じるだけで良い。
そのひとつひとつを味わいながら、自然とそのひとつひとつの美しさへの、今ここに感じているしあわせへの感謝が胸の中にわき、溢れていました。
それはそれは、豊かでしあわせな時間。
やっぱり全てはいつもあるんだな。と、
それを感じられるかどうかは、自分で決められるのだ。と改めて思っていました。
与えられたものを存分に感じ、味わう。
その中にある、美しさ、豊かさを見つけていく。
それは先日も伝えた ”審美眼” にも通じるものがあります。
マインドフルに生きるには、感じる事がとても大切です。
それは言い換えると ”丁寧に観て、味わいつくす” ということ。
感情もそうです。自分を ”丁寧に観て、味わいつくす” 。
ただ、そこにあり、ただ、感じるにまかせる。
自分の内側がクリアで滞りがないほど、”ただそこにある” ことが可能になる。
自分の内側がクリアで滞りがないから、”安寧”を感じられる。
いつもこんなに穏やかでしあわせでいられるわけではありません。
ましてや以前の私は、心の中に悲しさや不安や恐れや痛みがたくさんあったから、そちらに引っ張られて、”今、ただここにある”なんてできなかった。
そもそも、色付く木の葉の、何気なくも圧倒的に美しいその色合いにも、気付くことすらなかったでしょう。
今は、どんな心の色合いもそのままに感じられるからこそ、”今、ただここにある”事ができる。
感情にとらわれることなく、今を生きる事ができる。
そして、やっぱり、自分のペースを落とす、余白の時間が大切だなと感じました。
物理的な時間の流れ。
いずれにしても、とても豊かでとてもしあわせな、素晴らしい時間を過ごしました。
美しさに溢れかえっておりました。
今日はこんな感じでつらつらと。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。