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【パワーフェンシングワールドチャンピオンシップ】日本で唯一の出場レポート

表題の大会を、みなさんはご存じでしょうか。
おそらく答えは「いいえ」でしょう。ここはひとつ、小話としてご紹介させてください。

Power Fencing World Championshipsとは

日本語で言うなら、柵張り世界選手権といった具合でしょうか。
放牧地に設置されるような頑丈なフェンスを、いかに早く、正確に、美しく張ることができるかを競う大会です。
ドイツの会場にて行われ、毎年、世界10カ国ほどの代表者が集まります(ここ数年は自粛)。

この大会に、私は一度だけ出場しました。
証拠映像がこちらです(2017年第14回大会公式映像)。


どうして出場することに?

もともと私は、創業して間もない20代の頃に、ニュージーランドで行われる柵張りコンペに応募したことがあります。

というのも、社長である自身がそういったプロレベルの競争に飛び込むことで、海外の優れたノウハウを直接吸収することができ、フェンス施工のレベルを飛躍的に高められると思ったからです。
そうして得た技術を日本で還元できれば、様々なフェンス設置が可能になって、生産者さんが選べる酪農スタイルの幅が広がるはずです。

しかし結果から言うと、出場は叶いませんでした。年齢制限の関係で弾かれてしまったのです。
そのうち会社も次第に忙しくなり、私は大会への心残りを抱えながら日々を過ごしていくこととなりました。


それからしばらく経った2017年(平成29年)、私は50代後半となり、当時よりも多くの社員に囲まれながら事業を行うようになっていました。
そのときに目に留まったのが、ドイツでの「Power Fencing World Championships」の存在です。
世界大会への熱意をまだ忘れていなかった私は、この夢を、小社の社員に託すことにしました。

その頃の小社には吉沢くんという施工担当の社員がおりまして。彼なら適任です。
話を持ちかけてみたところ、出場を快諾してくれたので、日本代表として申請しておきました。

ところが、大会が近づいてきたある日、吉沢くんがこう言うのです。
「すみませんが、その日は都合が悪くなりました」

さあ大変です。
もう参加の申請は済んでしまいましたから、誰か代理をたてる必要があります。しかし曲がりなりにも日本代表ですから、あまり適当に人を選ぶわけにもいきません。
そのうえ開催日が迫ったこのタイミングで、簡単にスケジュールを空けてドイツへ行くことができる人はそうそういません。


唯一の解決策は、そう、元々応援のために同行するつもりだった私自身が、大会に出場することでした。


異国の地でのプレッシャー

50代、最後のチャンス。そう前向きに捉えてドイツへ飛びました。

大会には前夜祭があり、まずは各国の代表が集まって会場を見学します。
審判から詳しいルール説明があり、何度か柵張りの練習をさせてもらえました。

ここでルールをしっかり把握します

本番で建てるのは60mほどの柵。一か所にゲートを設けて、直径20cmの木柱を3本立て、フェンシングワイヤーを3段で張って、引き絞って緊張をかけ、完成です。
①   完成までにかかった時間
②   張られたワイヤーの強度
③   柵張りの精度と美しさ(段は等間隔になっているか、木柱は傾いていないか、など)
がそれぞれ審査され、細かくポイントがつけられて、その総合得点で順位が決まります。

このルール説明の途中、私はちょっとした矛盾がいくつか気になって、審判の方に質問をしてみました。
「ワイヤーの巻き方の規定はこういうことで合っていますか?」「そうです、その通りです」くらいの軽いやりとりだったのですが、問題は、これを聞いた周りの選手たちの反応です。

おお、さすが日本代表。鋭い着眼点だ」などと言うわけです。

これはミスった、と思いました。
この周りの選手たちというのがまた、みな20代か30代の、筋骨隆々の大男ばかりなのです。そのパワーは、握手をしただけでこちらの手が壊れてしまいそうなほど。
そんな方々が、体の小さな50代の私に対して「おお、さすが」と口々に言うのです。こんなに変なハードルの上がり方をされても困ってしまいます。

「これはちょっとまずいところに来てしまった。場違いだろうし、出ない方がいいのでは」という懸念が脳裏をかすめました。それほどのプレッシャーです。
しかし、すでにエントリーを終え、日本初どころかアジア初の代表選手という珍しさから地元の新聞にも取材されてしまった身でしたから、今さら「帰ります」だなんて言えません。
不安な気持ちを抱えたまま、その日は眠りました。


熱気、焦り、そして

さて迎えた当日、天気は快晴。
カンカン照りで気温が30℃を超える中、大会はいよいよスタートしました。

木柱だけでも60kgほどの重さはあるでしょうか。それらを懸命に運び、打ち込み、結びつけていきます。
せめてもの対策として太いベルト(サポーター)を腰に巻いて行ったのですが、それでもかなり序盤からもう、全身の筋肉が悲鳴を上げていました。
拭っても拭っても噴き出してくる汗。それが安全用の眼鏡にたまっていき、たちまち前が見えなくなります。暑くて辛くて、とにかく必死でした。

始まりました。暑い!

一番早い選手は、2時間ほどで柵を完成させていきます。その他の選手も、タッチの差で次々と。
気が付くと、あっという間に残りは私一人になっていました。

会場を盛り上げるチアガールと、それに呼応して盛り上がっていく観客。みな私の周りに集まり、私の手元に注目しています。
気持ちは焦る一方ですが、そうすると集中が切れ、ケガをしそうになったり、ワイヤーが切れたりして、余計にタイムロスが生じていきます。

あろうことか会場では、「ニッポン!チャ・チャ・チャ」というコールまで始まってしまいました。これがラスト3分の出来事なら感動的ですが、あいにくこれからまだまだ時間がかかりそうな見立てです。
「勘弁してくれよ」と思いながら、どうにかこうにか柵張りを進めていきました。

せめて手順どおりに、なるべく丁寧に


結局、周りの選手からは30~40分ほど遅れて、私の柵は完成しました。
経過時間に対する点数はまるで望めないでしょうが、観客の方々からは大拍手をいただき、達成感はひとしおです。
同世代の友人である大会主催者から「その歳で大会に出るだけで偉いよ。その挑戦がすごい」というねぎらいの言葉をいただいて、本番は終わりました。


さあ、迎える結果発表。

私の順位は、10カ国中9位でした。
一名、ワイヤーが切れてしまい、精度の面で大きく減点された選手がいたそうです。

その発表を聞いた私は、ビリではなかったことに驚き、素直に嬉しい気持ちでいっぱいになりました。1位の人よりも喜んでいたかもしれません。
アジア初の参加者ということで周りからもちやほやされ、表彰式ではインタビューやスピーチまで受けさせていただきました。あんなに心が躍ったのは久しぶりのことでした。

大変貴重な経験となりました
表彰式でいただいたメダル。日の丸が並ぶこと自体、珍しいのです

参加後の想い

大会に向けて練習をしたことで得られた新しい発見や、周りの選手の技術を見て学んだ世界のレベル。いずれも、大会に実際に出場しなければわからなかったことだと思います。
こんなに貴重な経験はまたとないものですので、私以外の日本選手もどんどん参加していってほしいですね。情勢が落ち着いたら、まずは小社の社員にまた声をかけるところから始めてみましょうか。

ゆくゆくは、日本でも世界大会が行えればいいなと思っています。友人である大会主催者にも、「将来は日本でも開催したいから、頭に入れておいてね」と言っておきました。彼はびっくりしていましたが。

その友人と

日本ではまだ柵張りの重要性は認識されていませんが、ニュージーランドやヨーロッパでは柵張りのスペシャリストは「プロフェンサー」と呼ばれ、その高い技術力が多くの生産者に評価されています。
評価されるということは対価もきちんと支払われるということで、柵張りによって生計を立てる方も数多くいらっしゃいます。

いきなりそのレベルに到達するのは難しいかもしれませんが、業界内で切磋琢磨して徐々にムーブメントを発展させていくことで、日本にも柵張りの文化が根付いていってほしいと切に願っています。


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