ニュージーランドと日本&北海道の調印に、実は少し関わっていた話
ニュージーランドと日本が調印を結ぶまで
あれは8、9年前のことだったでしょうか。TPP関連の騒ぎが非常に大きかったときに、ニュージーランド(以下、NZ)の新しい駐日大使が北海道にいらっしゃいました。
こういうとき、通常は道知事が対応するのですが、なにせTPPの真っ只中。公の方々はみな記者対策で慎重になっており、ならば民間でなんとかせねばということで、NZと関わりの深い私に声がかかりました。
大使は普通では考えられないほどフランクな方で、「北海道の農業などの実態が知りたい。案内してくれないか」と気軽におっしゃるので、道内酪農地帯のいくつかの市町村を巡って、それぞれの首長や組合長を紹介させていただきました。
NZは、放牧を軸とした先進的な農業技術をたくさん有しています。もしその技術を日本に輸出してもらえるのなら、双方に利益が生まれることは言うまでもありません。
それだけではなく、日本に先進的な放牧が普及すれば、産業の基盤が成熟して長期的な関係を結ぶことが可能になるほか、関連企業の成長、さらには地球規模での自然環境の改善など、良いことがたくさん生まれます。
この、売り手と買い手だけではなく社会貢献までをも含めた、「三方良し」の精神。これが、日本とNZが手を結ぶことの重要な意義だということをご説明しました。
「三方良し」 大使はその言葉をしっかりとメモに書きとめてくださっていました。
さて、それから少し経って、今度はNZの貿易大臣が北海道にいらっしゃいました。
「ぜひ大臣にも同じ話をしてくれないか」と頼まれたので、札幌~帯広間のグリーン車内で2時間ほど同席し、可能な限り説明を行いました。
こうなると、日本側も何もしないわけにはいきません。次はこちらからNZへ視察に行きましょうということで、当時の首相である安倍さんがNZへ向かいました。
こうした国家間の交流と意見交換を経て、産学官連携の「NZ北海道酪農協力プロジェクト」が始まることとなりました。
これは余談ですが、プロジェクト発足の情報が、正式な発表の前に日経新聞の第一面を飾る形ですっぱ抜かれまして。
「黒船襲来」「NZが北海道を乗っ取る」といったような表現で書かれてしまっていたんですね。TPPで過敏になっていたとはいえ、あんまりです。
そうしたら、それを見た他社の新聞も、みな同じようなことを書くようになってしまいました。
となるとやり玉にあがるのは、案内役を務めた私です。さてはNZのスパイか、と白い目で見られる日々が1、2年続きます。
すぐに道庁幹部の土屋さん(現・北海道副知事)が会社へすっ飛んできたので、きちんとご説明して誤解を解き、最後には固めの杯を交わして北海道農業の変革の夢を語り合うほど打ち解けることができましたが……一時はどうなることやらと思いました。
メディアというのは良くも悪くも恐ろしいものだなと感じます。
そんなこともありつつ、プロジェクトはようやく正式に発表され、北海道の協力でモニターファームも決まり、調査がスタートしました。
メインコンサルタントはNZ側が選んだのですが、指名されたのはなんと、創業の頃から家族付き合いをしていたキース・ベタリッジ氏でした(もう一人はグラスファーミングスクールのメイン講師であるガビン・シース博士)。
まさか彼が来るとは思わなかったのでとても驚きましたが、不思議なご縁を感じたと同時に、きっとうまくゆくだろうという予感もしました。
NZ大使館、フォンテラ、ファームエイジが主催し、北海道とホクレンの協力の元、プロジェクトは2年間の徹底的な調査とそれに基づいた2年間のコンサル、計4年間にわたって行われました。
その結果、なんと農業所得が3倍になり、労働時間が3割減少。さらにモニターファームの4軒中2軒が日本酪農研究会で賞をいただくなど、総じて大成功と呼べる成果が上がったのです。
こうしたプロジェクトの成功を受け、日本とNZは酪農畜産を中心とした、包括的な連携の協定を結ぶこととなりました。
緊張の晩餐会
そんな国家間の調印を祝し、開かれることとなったのが晩餐会です。
私にも声がかかりましたが、その日はとても大事にしているグラスファーミングスクールと日程が重なっていたため、仕方なく外務省へお断りの電話を入れることにしました。
「いやあ、その日はグラスファーミングスクールがありますので、欠席させていただきます」
「そうなんですか、でも……本当に断るんですか?」
「(そんなに?)はい」
「いやあ、そうですか……」
尋常でない様子だったので再度きちんと伺うと、この晩餐会は日本側30人、NZ側30人の選ばれた人間しか参加できない、極めて貴重な機会であるということが伝えられました。おそらく今回を逃せば、人生でもう二度と呼ばれることはないでしょう。
それに私はNZ北海道酪農協力プロジェクトに中心となって関わっていた人間ですから、礼儀の面でも、さすがにここは参加しておかなければならないようです。そういったことが、お話ししているうちに段々わかってきました。
前言撤回。行かせてください。
晩餐会の会場は、首相公邸。
グラスファーミングスクールの会場(北海道の牧場)から直行し、ズックのショルダーバッグを肩にかけた状態でタクシーに乗って向かいます。
近くで降り、中へ入ろうとすると、入口にたくさん立っていた警察の方に怪しまれて止められました。無理もないことです(これは帰るときにわかったことですが、他の方々はみなさん黒塗りの運転手付きの車でいらっしゃっていました)。
招待状を見せてようやく通していただき、中へ。
参加者は、政界や経済界の大物ばかりでした。日本側は、大臣やNZと関わりがある大企業の会長たち(JTB、王子製紙など)。NZ側も、大臣や有名大企業の会長たち(フォンテラ、アンズコ、ゼスプリなど)。そうそうたる顔ぶれです。
そんな会長たちが待合室で、「初めてで緊張するなあ」などと言っているのです。こんな大物でも初めての場なのかと思うと、当初お断りしようとしていたことが滑稽に思えるような、なんとも言えない気持ちになりました。
さて、ホールの入り口に置かれているのは、生まれて初めて見た立派な木製の立体席表です。これを見て、自分の席の位置を確認します。
が、どうやら私の名前は席表にはないようです。「ああ、きっと名前のない一般席みたいなものがあって、自分はそこに座るんだな」と思いました。
念のため、もう一度だけ確認します。ええと、小谷……小谷……
あれ。
首相の向かいに小谷と書いてあるな。
首相の向かい!?
まさかそんなところに座るとは夢にも思わなかったので、見落としていました。私の席は首相の向かいでした。
思い返せば、プロジェクトに関して新聞に取り上げられさんざん叩かれていた当時、NZ大使から「こんな騒ぎに巻き込んでしまってすまない」と謝罪を受けたことがありました。
私はもちろんその記事の内容は本意ではないことを知っていたので、「いいんですよ、NZ政府を信じていますから」とお答えしていました。
もしかすると、そういったところに恩義というか、「借り」があるような気持ちで、良い席を用意できるよう便宜を図っていただいたのかもしれません。憶測に過ぎませんが。
ニュージーランドと北海道が調印を結ぶまで
さて、次は北海道とNZとの関係の発展です。プロジェクトは主に北海道で行われていましたし、双方がより深い関わりを持つことに前向きになっていました。
2017年5月、政府と調印を交わした翌日に、当時のNZ首相と前夜の晩餐会の参加者が北海道へと訪れ、北海道内を視察して回りました。お相手をしたのは、高橋はるみ元北海道知事や、株式会社アレフの代表らです。
もちろん私も参加させていただき、恵庭市のえこりん村で行われた知事主催の歓迎レセプション(約20名参加)にて、日本とNZが調印に至るきっかけとなったプロジェクトについて、経緯をご説明するという役割を担いました。
こうしてNZと北海道も無事、「パートナーシップに関する覚書」の調印を終えました。
このとき、NZの首相からは「少なくともNZでは、国と国の間に民間企業や公的機関が入って調印まで事を運んだのは初めて。世界でもかなり珍しい例なのではないか」というお話をいただきました。
そう言っていただけると、窓口として最善を尽くした甲斐があるというものです。
その後、牛の放牧に関する酪農協力プロジェクトの成功を受け、「今度はぜひ羊で」という話になり、「NZ北海道羊協力プロジェクト」が立ち上がって、並行して行われるようになりました。
最近の話で言いますと、NZの現首相であるジャシンダ・アーダーン氏が4月に来日され、2022年4月22日にNZ-北海道間のパートナーシップへの再調印が行われましたね。
2017年以来ですから、5年ぶりの関係更新となります。
この5年間で酪農協力プロジェクトを主として国家間で綿密な連携がとれたこと、そしてこれからも酪農畜産の未来を共に見つめていけることを、とても嬉しく、光栄に思います。
私たちの「三方良し」の精神が、次の世代や他の分野により広がっていくことを願って、引き続きNZと日本の間に橋を渡していきます。
信じた道を進むこと
これは今だから言えることですが、NZ北海道酪農協力プロジェクト立ち上げの初年度はかなり大変でした。
新聞で報道された内容が内容でしたから、みんな身構えてしまい、モニターファームを募集しても誰も手を挙げたがらなかったんですね。
もともと懇意にしていた方々からも「NZに騙されているんじゃないか」と言われましたし、小社の営業スタッフがとある農協さんから「お前のところの会社は北海道を売るのか」と言われたという話もありました。
特に会社の人たちにはたくさん苦労をかけたと思います。
でも、かえってこれで良かったのかもしれません。
そんな状況だったからこそ、相当の意気込みを持った方だけが集まり、NZコンサルタントのアドバイスを真摯に受け止め、経営・生産体制の改善に本気で取り組んでいただくことができました。
それが今回の成功につながったのだと思います。
最後に、ファームエイジというイチ民間企業が、国家間のプロジェクト立ち上げという荒波にわざわざ入っていった理由を少しお話しして、終わりにしたいと思います。
この取り組みが日本のためになるか、ならないか。北海道のためになるか、ならないか。私が物事を行うときの判断基準は、そのようなところにあります。
もしかすると、自分や会社のためにはならないかもしれません。現に新聞にたくさん叩かれましたからね。でも、それが日本のためになるのであれば、やらなくちゃいけないと思うわけです。
NZ大使とお話した際に、聞かれたことがあります。
「小谷さんがこのプロジェクトに関わるメリットは?あなたの夢はなんですか?」
私は、冗談交じりにこう答えました。
「北海道の放牧技術を成功させて、いずれNZに輸出できるようにすることですかね」
それを聞いた大使が一瞬、「ん?」と怪訝な顔をしたことは内緒ですよ。
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