子供の姿は、本来私がなりたかった姿
今日は、子供の療育の日だ。発達年齢が実際より2歳ぐらい幼い我が子。
息子はたくさんの人と触れ合いながら
たくさん助けてもらいながら
過ごしている。
その姿は愛らしいの一言しかない。
ものわかりよすぎた私の子供時代
私には兄がいる。兄はよく親から怒られていた。
だから、私はその兄を見て要領よく過ごしていた。妹・弟あるあるではないだろうか。
お遊戯だって、みんなで歌うことだって、率先してやっていた。
そうすると、大人から褒められることをわかっていた。
ききわけのよい子供だったので、今親となり、私の子供時代を真逆にいく子供達に最初は戸惑った。
子供をまるごと認める
思い通りに動かない子供達を見て、苛立ったり悩んだりもした。
だけど、そんな子供達のことをまるごと認められるようになり、悩みではなくなった。
何故そうなれたかというと、私が私のことをまるごと認められるようになれたから。
子供達の発達のことは悩みではなくなったけど、やるべきことはやっていかないといけないと思っている。
子供達を信じていることは大前提ではあるが、どこまでサポートしてあげるべきなのか判断することが難しいところではある。
私達親だけでは何ともできない部分はあるので、専門家の方にたくさん助けていただいている。
結果、どうなるかなんてわからない。
だけど、今必要だなって思うことはやっていきたい。
輝く未来へ続いていくと信じて。
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