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最後とは知らぬ最後が過ぎてゆくその連続と思う子育て
この歌は俵万智さんの歌ですが、本当に核心をついているなと思います。
先日両親の古希祝いをしました。
両親と、姉の家族と、私の家族、総勢10人の大所帯。
還暦の時は姉夫婦に子供が1で私も独身だったので、10年でずいぶんと様変わりしました。
紫のちゃんちゃんこを着て写真を撮って、ご飯を食べて、子供たちを寝かしつけてからは昔の思い出話をして。
私は、次は喜寿でみんな会おうね、と繰り返し言いました。
それは、父が難しい病気を患っていること、義兄がガンに罹っていることもあり、今は元気な母や、それ以外の家族たちも、7年後にどうなっているのかなんてわからないなということを最近強く感じるからです。
人生における時間は長いようで、振り替えると本当に短いと感じます。自分が大学生だった時から20年、人生の折り返しに位置しているなんてにわかには信じられません。
我が家は、父が私が生まれる前から現場仕事だったので自分が小さい頃は週末くらいしか帰ってこず、毎日家に帰ってくるようになってからも、父は単身赴任、姉は大学で寮に入ったり結婚したり、私も大学や就職で家を離れたので、家族4人で過ごしていたのはほんの数年しかなかったのです。
母と私、母と姉、父と母、それぞれの生活はあっても4人で暮らしたのは短かったのに、当時の記憶はたくさんあって、今でもそれを思い出話にできるのはとても幸せなことだなと思います。
そして、私は私の家族と、こうやって数十年後にお祝いができるような時間を過ごしていきたいです。自分がそうだったから簡単なことのように思うのですが、両親が健在で、自分も大きな怪我や病気もなく、結婚して子供がいるというのは当たり前でも何でもないんだなと気づかされます。
家族で過ごした時間が、訪れたいろんな場所が、起きた出来事が、今の私を形作る1つ1つとなって、今はその成分が少し薄まってはいるけれど、決して消えることはないわけで、その日々を過ごせたことへの感謝を両親に伝えられたのは本当に良かったと思います。
まだ何をしているのか何となくしかわかっていないけどなんか誕生日(違うけど)をお祝いしていると思っている長男と、何もわかってないけどとりあえず人がいっぱいいるのでエヘエヘと笑いながら走り回る次男と、それを追いかけまわす妻と、普通の日々を何年何十年と積み重ねていこう、と決意を新たにしたのでした。