左右急進主義に揺れるヴァイマル民主制の最後の守り手となった「プロイセンの赤い皇帝」の政治自伝
オットー・ブラウン 『ヴァイマルからヒトラーへ』 初版 1940年 ニューヨーク刊
Braun, Otto, Von Weimar zu Hitler, Ehemaliger Preussischer Ministerpräsident, New York: Europa Verlag, 1940 <R23-18>
First edition, 8vo(22.5x16.5cm), 458pp, original cloth binding with original dust jacket, jacket partly torn, top edge dark red
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本書はプロイセン自由国で長年首相を務めたドイツ社会民主党(SPD)の政治家オットー・ブラウンが政治亡命したスイスで執筆した政治自伝です。
ヴァイマル期のライヒ政府が不安定で倒閣が繰り返されていたのに対して、プロイセン自由国ではSPDが政権に参加したヴァイマル連合の下で、ブラウン首相がほぼ一貫して統治にあたっていました。各政党間での協議と妥協を前提とするヴァイマル期の政治スタイルとは異なり、彼は強引なリーダーシップによる統治スタイルを取ったことから、「プロイセンの赤い皇帝」”Der rote Zar von Preussen”と呼ばれていました。
こうした彼の指導の下でSPD内務大臣カール・ゼーヴェリンクと共に行われた行政改革や警察権限に関する内務省改革は、プロイセン自由国の民主化を進展させ、君主主義の牙城であったプロイセンをヴァイマル民主制の最後の砦へと変貌させることに貢献しました。
また1932年のプロイセン邦国議会選挙前にして、次期首相を指名できる時のみ内閣不信任を可能とするとしたブラウン内閣の下で行われた議員規則の改訂は、ヴァイマル民主制を敵と見る国民社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)とドイツ共産党(KPD)の倒閣協力を防いだだけでなく、今日のドイツ連邦共和国基本法第67条の建設的不信任の先駆けと評価されています。
尤もオットー・ブラウンの名前は1932年に自身の解任へと追い込まれたプロイセン・クーデターの際に合法的・受動的な抵抗を行った人物としてのみ記憶されているだけであり、第二次世界大戦後にプロイセンが「かねてよりドイツにおける軍国主義と反動の担い手」として解体されたこともあり彼の政治業績はほとんど評価の対象とはなっていない状態です。
本書の研究を通して、ヴァイマル共和国最大の邦国プロイセンの民主化の貢献のみならず、現代ドイツへと連なる制度構築を行った人物として再評価が待たれているものと思われます。また、左翼急進主義の躍進、右翼急進主義の定着化、既成政党の退潮が進む現代ドイツ政治との比較研究としても読む価値のある資料であると言えます。
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