「さらばバンドウ!」日独友好に貢献した収容所新聞最終号
『ディ・バラッケ、1919年9月号(最終号)』 謄写版(一部多色刷) 1919年 板東刊
Die Baracke. Zeitung fur das Kriegsgefangenenlager Bando, Japan. September 1919. Bando, Gedruckt und gebunden in Lagerdruckrei Bando, 1919 <R16-430>
Mimeograph. 8vo, 135pp, original illustrated wrappers
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板東俘虜収容所は、1899年に採択されたハーグ陸戦条約に調印した日本が国際法順守の観点から俘虜達を人道的に扱ったことに加えて、その具体的な実践として収容所内で様々なスポーツ、芸術活動、音楽会、勉強会、地域交流が行われていたことで広く知られています。収容所でのこうした文化活動は1917年より収容所内印刷所で印刷が開始された新聞『ディ・バラッケ』を通じて俘虜達に報告と情報提供が行われていました。
本誌は最盛期には300部近く発行され、読者に関しても回し読みなどの手段によりほとんどの収容者が読んでいたと考えられています。日本当局への贈呈も行われたことから、日本人の目に触れる機会もあり、戦時下での日独の友好的な交流に貢献していました。
本品は、その収容所の内外でのメディアツールとして活躍した『ディ・バラッケ』の最終号です。本誌は当初週刊で発行されていましたが、1919年4月以降は第一次世界大戦の停戦と講和締結が見込まれ、俘虜の解放も予測されたことから月刊での発行へ変更されました。
本号においても演劇舞台の挿絵10枚が差し込まれるなど引き続き収容所内で文化活動が活発におこなわれていたことがわかります。また合わせてドイツ革命後に行われたヴァイマル共和制下最初の選挙1919年の国民議会選挙の結果やヴェルサイユ条約によるドイツの領土変更についても図版が添えられています。
これは、当時のドイツ人俘虜達が単に文化・娯楽活動を楽しむだけでなく、収容所外部から最新の正確な情報を入手することができ、それにより第一次世界大戦後の社会生活で俘虜から解放された後の一般市民としての生活適応を目指した配慮が行われていたことが窺えます。
本号『ディ・バラッケ』最終号は、松江豊寿を所長とする板東俘虜収容所において国際法の順守と俘虜への人道的待遇が俘虜解放の日まで貫徹されたことをも物語る資料と言えます。
参考文献:参考文献:宮崎揚弘「第一次世界大戦下の坂東俘虜収容所、軍隊と「社会」」、156-204pp、坂口修平『歴史と軍隊-軍事史の新しい地平』創元社、2010年
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