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この世の異邦人〜オリヴァー・オニオンズ「彩られた顔」覚え書き
今回は、2022年に国書刊行会から刊行されたオリヴァー・オニオンズ『手招く美女 怪奇小説集』(南條竹則/高沢治/館野浩美 訳 中島晶也 解説) で私が翻訳を担当した「彩られた顔」(原題: The Painted Face) について、気づいた点をいくつか書いておきたいと思います。結末など物語の重要事項に触れていますので、未読の方はご注意ください。
主人公のゼナはいったい何者だったのか、彼女の前世に何があったのか。作者は断片的におぼろげにしか書いていないので、一読しただけではよくわからなかったという方も多いかもしれません。そんな場合の読解のヒントになればと思いますが、あくまで私はこう読んだ、というだけで、的はずれな解釈である可能性もおおいにあります。
「異邦人」という名前
「ゼナって、ゼナ・デアと同じ?」
「綴りはXだったわよね、そうでしょう、ゼナ」
冒頭近く、付添人のミセス・ヴァン・ネッカーが自分の預かる他の少女たちにゼナを紹介するシーンで、ゼナの綴りは Zena ではなくXena だと説明します。メタ的な機能としては、Xena という異国風の名前の読み方を読者に示すという意味があるのだと推測しますが、さらに「Xena」という名前に何か特別な意味を込めたのではいう深読みもしたくなります。Xena はおそらく「異人の」「異質の」を意味するギリシャ語由来の接頭辞 Xeno (外国人嫌悪、ゼノフォビアのゼノですね)の女性形かと思います。つまり、ゼナは最初から普通の人とは違った異質の存在だと示されているのではないでしょうか。ゼナはシチリアの富豪の娘ですが、イタリア語のアルファベットでは本来 X の文字は使われず、外来語にだけ使われるそうで、そういう点でも「異質さ」が強調されています。これを補強する記述は『手招く美女』冒頭のエッセイ「信条」(高沢治訳)にもあります。「見かけがいかにも普通の人間らしいので、そばを通り過ぎるまで相手が幽霊だとは気づかない、そんな存在」こそが恐ろしいのだと書いた後で、「人の領域と霊的領域、その両方の知識を併せ持つ」「人外の存在に呼び戻され服従を余儀なくされる」者の例としてゼナを名指ししています。また、「彩られた顔」の後半で、登場人物のひとりアマリアがこう言います。「たぶん、孤独でしょうね。だからあなたの名前にはXが付いてる。あなたはたしかに未知数だから」
上記のとおり、Xena という名前に特別な意味が込められているのはほぼ確かでしょう。ところでひきあいに出された Zena という名前のほうは? というと、こちらの語源は諸説あるようで、やはりギリシャ語の「ゼウスに捧げられた者」に由来するジナイーダの愛称、あるいはペルシャ語で「女性」を意味するとも。作者がこちらの名前の意味までを示唆していたというのはこじつけの解釈がすぎるでしょうが、この後で論じるように、ゼナは神々と関係が深い巫女的な女性として毎回転生していること、この作品が女性の本性とは何かをテーマのひとつにしているとも解釈できることからすると、興味深い偶然のように思います。
転生する巫女
作中の断片的な情報を総合すると、どうやらゼナは何かの罪を犯した罰として、愛した男性とは結ばれないという運命を負って転生を繰り返しているらしいのですが、どんな順番で何が起きたのかはとてもわかりにくい……。
ゼナの前世に関する記述がある場面は主に(A)皆で博物館を訪れて沈没船からの引き揚げ物を見たとき、(B)ヴァーニーとドライブをして山に登ったとき、(C)絵を描くアマリアに同行して打ち明け話をしたとき、です。ここでは、これらの場面に散らばったエピソードを推測される時系列に並べて整理してみたいと思います。各エピソードの後のアルファベットは上記の場面に対応します。
「創世の闇」の中で未生の存在として待っていたところを神々に創造され、神々の賭けの結果、海神ポセイドンの所有物となる(C)
(おそらく)海神の眷属として(セイレーンのように?)力をふるい、船を沈めたことで神々の怒りを買い、呪われた存在として転生を繰り返す罰を与えられる(A)(C)
酒神ディオニュソスに巫女として仕える(A)
カルタゴのブ・カルニーン山のバアル神殿で犠牲を捧げる(はずだった?)(B)
イスラム教の聖者にちなむ聖地で子宝を授ける岩を滑り降りたことがある、または少なくともその場所のことを知っていた(B)
上記1番は神話的な歴史以前の話で、2で触れられるマハディアの沈没船は、ギリシアからローマに積荷を運ぶ途中、嵐で流されて難破したと考えられ、時代は紀元前1世紀。3と4の順番や年代は特定できていません。ギリシアのディオニュシア祭やカルタゴでのバアル神の信仰の盛期は紀元前ではないかと思うのですが、3と4を紀元前1世紀の2番よりも前におくと、ゼナが神々に罰を下される前にも転生を繰り返していたということになります。あるいは、ゼナが沈めた船はマハディアの沈没船そのものではなくもっと昔の他の船で、マハディアの沈没船の遺物は記憶を甦らせるきっかけになっただけなのでしょうか。5番は実在の聖者にちなむ聖地への言及があるので、紀元後13世紀以降と推測されます。
興味深い点として、いつの世でもゼナは神々と関わりの深い巫女的な存在として生を受けています。現世でも、父がパレルモの聖女ロザリアに帰依しているためもあって、聖女ロザリアに憧れ、父以上の男性はいないと思ったり、自分に向けられる男性の視線を嫌悪したりと、なかば聖女に捧げられたような清純な生活を送っていました。チュニスに来て自分の中の異教の魂に目覚め、恋愛を求めたことは父と聖女に対する裏切りになるでしょうし、いっぽうでは、博物館でかつて仕えたディオニュソス神に責められていると感じ(「この哀れな神が責めているのは、自分が彼を捨てていったから」(p313))、キリスト教と異教の神々の間で引き裂かれ混乱した心情を吐露しています。
最後の方で、自分の中の呪われた魂を厄介払いすることを決意したゼナは、魂をあざむくために酩酊状態を必要とし、人事不省になるまでカフェで飲酒します。このカフェのダンスフロアの緑がかったガラスを通した照明はポセイドンが統べる海を思わせ、飲酒を伴う乱痴気騒ぎはディオニュソスの祭を思わせます。決意どおりにことを成し遂げたゼナは、いわば自分自身を神々への供物とする祭儀をやり遂げ(ゼナはヴァーニーと行ったブ・カルニーン山でしきりと『犠牲を捧げる』と繰り返していました。ブ・カルニーン山を聖地としたバアル神には、史実かどうかはともかく、人身御供として幼児が捧げられたと言われることを考えると恐ろしい発言です)、巫女としての務めを完遂したのですが、その結果、神々が課した罪の重荷から抜け出すことになりました。
塗られた女/塗る女
タイトル「彩られた顔」(原題 The Painted Face)の「彩られた」の意味は、本作を最後までお読みの方にはおわかりのとおり、夜中に体を抜け出した魂をあざむく策略として顔を塗るという、フレイザーの『金枝篇』にもある呪術的な行為に由来します。いっぽう、この paint という行為は、本作に登場する何人もの女性たちを分けるキーワードでもあるようなのです。
ミセス・ヴァン・ネッカーは装いや髪型に隙のない厚化粧の(フランス語で「化粧した」を意味する fardée と形容されていますが、元の farder という動詞には「化粧する」という意味のほかに「隠す」「偽る」の意味もあります)中年女性です。自分では有能で世慣れているつもりですが、ゼナの父からも自分の娘を含めた若い娘たちからもうるさがられ、軽んじられています。作中で夫についてはまったく言及がないので、死別したのか離婚したのか、はたまた存在感が薄いだけで健在なのかはわかりませんが、将来のお金の心配をしていることから、夫の庇護や財産は期待できない状況なのでしょう。小説などで読む限り、一定以上の社会階層では、女性が外で働くのは体裁の悪いこととされた時代、ミセス・ヴァン・ネッカーのしているような未婚女性の付添(シャペロン)、そのほかには家庭教師、学校教師等は、女性が体面を失わずに生計をたてる数少ない方法だったようです。社会的に与えられた役割の中で体面を保つために汲々としていることを表すのが、ミセス・ヴァン・ネッカーに対する「化粧した」/「塗られた」女という形容なのでしょう。
ミセス・ヴァン・ネッカーの娘、化粧をして魅力をふりまき、奔放に振る舞うませたモリーも、年上の金持ちの男を捕まえることを夢見ており、女性としてあてがわれた枠を壊すつもりはないという点では、本質的には母親とあまり変わらないように思えます。イギリス人のブルース=ハリーズ姉妹も、そろそろ嫁ぎ先を決められる年頃で、今回の旅行は自由な身で羽を伸ばす最後の機会なのかもしれません。
いっぽうで異彩を放っているのがアメリカ人の画学生アマリアです。地味な容姿のアマリアはヴァーニーに「異性」と思われていませんし、他の娘たちのガールズトークの輪にも加わりません。身なりにかまわず、人目を気にせず、ただ自分は画家(painter)であるという強烈な自負に支えられています。能動的に paint する者であり、painted される受動的な「塗られた」女とは一線を画しています。ただ、自分自身を生きるのではなく、ゼナをそそのかして傍観者としてゼナの経験や秘密を視線で貪ろうという寄生的な存在であり、顔を塗ってほしいというゼナからの最後の願いに対しては、painter でありながら無力でなすすべがありませんでした。最後の最後、ゼナがいなくなり、他者を操って寄生する悪癖をやめて、ようやく自分自身で人間関係を築きはじめます。アマリアとヴァーニーが「ブラザー」、「シスター」と呼びかけ合うのには、男女のフラットな関係という希望の兆しがあるように思います。
最後に主人公のゼナですが、彼女は最初、ポーチにリップの一本もないことをモリーにからかわれるほど化粧気のない少女として登場します。その後、自分の中の古い魂が目覚めるにつれて、愛し愛されることを望む魂の本性に従ってヴァーニーを求め、髪を切り、目をアイライナーでふちどり、まなざしひとつで男性を意のままにできる力を楽しみます。そこで終わればモリーやモリーの将来の姿でもあるミセス・ヴァン・ネッカーと変わりませんが、ゼナはさらにその先まで行きました(「魂を実験にかけたが……実験を越えて別の実験に向かうとは予期しなかった」(p363))。自分の魂から自分を解放するという不可能としか思えないことに成功しましたが、その手段は自分の顔を自分で paint するというものでした。
このように、paint はキャラクターたちの自立性や独立心を表すキーワードになっていると言えるでしょう。
アダムに先立つイヴ
そのうちすべてをつくり終えて暇ができたら、わたしだけの誰か、いつまでも愛せる誰かをつくってやろうって言ったわ。
ゼナが前世の記憶を告白する場面でさらっと書かれた上記の箇所、ゼナ(の前世)が神々に創造された最初の人間あるいは女性(的なもの)とは書かれていませんし、こじつけすぎかもしれませんが、神によってまず男が創造され、その伴侶として女が創られたという聖書の記述に対して、先に創られた女のために男が創られるという逆転した神話とも解釈できそうです。
オリヴァー・オニオンズの描く女性キャラクターたちは精彩があり、とくにこの「彩られた顔」はフェミニズム的視点も感じさせます。ゼナがチュニスの風土に触れて、はじめて自分の中の古い魂の目覚めを感じ取る場面で、ゼナは最初は「かすかにおびえて」いますが、すぐにすばらしいと感じるようになります。その後も自分の人格が大胆に変化していくことを恐れるよりは積極的に受け入れ、すばらしい気分だと繰り返します。娘を溺愛しながら女嫌いという父親にスポイルされていたゼナにとって、超自然的な変容は自立を助ける力として働いています。新たに得た力と愛に有頂天だったゼナは、虚しく転生を繰り返す運命を知ってうちのめされ、自らの魂から逃れようとしますが、その悲劇的な自由を獲得する行為を可能にしたのも、古い魂が持っていた古い知識でした。
最後、文字通り魂が抜けた後のゼナのなきがらは、魂の青い炎を覗かせていた眼を閉じた清らかな姿で、ポセイドンの所有の印も消えたと書かれています。元の清純なゼナとして、異教の世界から父の元へ、キリスト教の世界へ戻ってきたという結末です。しかし、父ウンベルトに対する「あまたのカジノを所有するにもかかわらず、魂を巡って賭けをする神々についても、二千年前に難破した船についても何ひとつ知らなかった」(p389)という皮肉なコメントもありますし、読後の印象に残るのは、ゼナが束の間謳歌した自由と愛、彼女が見せた勇気でしょう。
わたしはこの「彩られた顔」という作品の一つの側面として、少女の自我の目覚めを読み取りました。悲劇的な終わり方をしたとはいえ、この世の異邦人であるゼナの逸脱と反抗は、「女性とは男性に所有され庇護されるもの、愛し愛されることと子供を持つことを何より望み、短い盛りに性的魅力で男性を誘惑するもの」という観念や女性の疎外(alienation、「異人」化すること、男性/人間とは異なるものとすること)に異議を提出しているように思います。
おまけ
作者が実際にチュニスに行ったことがあるのかどうかは不明ですが、この作品ではチュニスの実在のスポットが多々描写され、位置関係などもおおおむね正確なようです。
ゼナたちが滞在したチュニジア・パレスも実在のホテルで、現在も営業しているようです。
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ゼナが前世を思い出すきっかけになったマハディアの沈没船の引き揚げ物を収蔵したアラウイ博物館は、現在はバルド国立博物館となり、ウェブ上で収蔵品を見ることもできます。
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ゼナが見たバルド博物館所蔵のディオニュソスの柱頭像。作中では「徴」とだけ書いてあるのが魔除けの陽根であることがわかります。
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最後にゼナが自分で塗った顔がカルタゴの笑い顔の面に似ていたと形容されていますが、その笑い顔の面とはこういう感じのものだと思われます。
記事のヘッダー画像に使ったのもバルド博物館所蔵のカルタゴの若い女性の面 (wikimedia commons)。顔のこめあたりが幅広くあごが尖って耳が上の方についていると描写されるゼナの顔はこんな感じかと想像されます。