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ディレクターズノート vol:02 「アートを通じてまちを学びの場にする」

「ファンタジア!ファンタジア!―生き方がかたちになったまちー」(通称:ファンファン)というアートプロジェクトのディレクター・青木彬が、プロジェクトの背景やファンファンのコンセプトについて発信していく「ディレクターズノート」。二本目となる今回は、「ファンファン」がどのようにして立ち上がったのかというお話です。

前回の記事はこちら↓↓

まちの入り口をひらくには

前回の記事では墨東エリアでの生活を大きなシェアハウスのようだとも書きましたが、同時に、そのような濃密なネットワークの存在は外から眺めていてはわかりにくいもののように感じていました。そこには一旦飛び込んでみると、みるみるうちにユニークな場所や人に繋がっていける地域のネットワークの存在があります。まるで遠くから見ていると山でしかなかったその塊が、近づくと木々の一本一本が見えるようになり、さらにその木々を分け入ると現地の人しか分からない獣道が現れるように、徐々にその地域の解像度が上がっていく経験でした。

spiidでの活動を続ける中で、この豊かなネットワークの繋がりを強めたり、新しい繋がりを広げることができたらこの地域がより面白くなるのではないか、そしてその魅力をもっと外に向けて発信したいと思うようになりました。
spiidの家賃をまちへの入場料だと思ったのには、まちの面白さがある反面、そこにはまちの内部と外部を分けるような見えない入り口の存在を感じたのも事実でした。このわかりにくい入り口がもっとアクセスしやすいものになったら、この地域で新しい出会いが増えるのではないかと考えたのです。
そして近隣のアートスペースと協働して展覧会を同時期に開催することで墨東エリアのまちを歩いて楽しんでもらったり、ライターに一定期間滞在してもらってまちの出来事を記事してもらうなど、地域のネットワークを活用した企画に取り組んでいきました。こうした活動を続けていると、アーティストの友人知人からも「アトリエに使える物件ない?」「自分のスペースをつくりたいんだけど空き家あるかな?」と物件についての相談が来るようになったのです。当時は墨田区内の空き家情報を耳にする機会も多かったので、不動産屋を介して物件案内をすることもありました。
そのような視点でまちを見てみると、空き家や使えそうな空間が目に止まるようになります。よく仲間と散歩をしながら「ここ、こんなふうに改装したら面白そうだね」と妄想しながらまちをぶらぶらしていたことを思い出します。
そして地域に蓄積されたネットワークの活用と発信というソフト面、空き家の活用というハード面の両方が徐々に一つのアイディアに結実していくことになります。最初に頭に浮かんだのは、墨東エリアにアートセンターを作ろうという構想でした。ちょうどその時に公募されていた東京アートポイント計画への応募をきっかけに、そのアイディアは具体的な計画として進めていくことになったのです。

「森の中の学校」のようなアートセンター

構想していたアートセンターにはおぼろげな二つのキーワードがありました。一つ目が「森の中のような有機的な生態系」の存在、二つ目が「学びの場」というものでした。
前述したように地域内に張り巡らされたネットワークは外からは見えにくいものです。内部から眺めてみてもそれは理路整然としたものではなく、常に形が変化しているような有機的な存在でした。墨田区で行われてきた様々なアートプロジェクトに携わってきた人は、まるで森の中の案内人のようにその有機的なネットワークのなかをスルスルと歩いて行き、墨田区の様々な場所や人に導いてくれました。それはガイドブックでわかるような知識ではなく、その土地に関わって蓄積された生きた学びです。

そんな墨東エリアを歩くには、こうした案内役の存在が重要です。実際に細い路地で入り組んだこのまちにやってきた当初はよく道に迷うことがあったので、遠くに見えるスカイツリーで自分の位置を把握していました。案内は実際のまちの空間だけでなく、人と人の繋がりや、このまちで過去に起こった出来事についても教えてくれる存在です。
こうした案内役となる人々との出会いが、まちをより奥深いものに見せてくれたのでした。だから墨東エリアのアートセンターはまちの案内役を担うだけではなく、長年案内役となっていた人と一緒に新しい道を開拓するような、このまちの新しい魅力を一緒に発見するような存在を目指そうと考えたのでした。

もう一つの「学びの場」とは、まさにそうした発見にまちが溢れていくことで、まち自体がまるで学校のような場所に見立てることができるのではないかと思って浮かんできたキーワードです。墨田区にやってきた当初、まちが大きなシェアハウスのように感じたのと同じ様に、今度はまちが学びの場となる可能性を感じました。「これが正しい」と慣習化したものを繰り返すだけでなく、地域に蓄積されたネットワークを活かしながら、墨東エリアという森の中に新しい道を見つけたり、これまでとは違う景色を見るような経験を一緒に作り出すプログラムを思い描いたのです。
「有機的なネットワーク」が展開される墨東エリアのまちの特性に着目し、アーティストとともに地域資源を活用することでまちの新たな魅力を発見する、そしてまちを「学びの場」に見立てるようなプログラムを提供する・・・そこで構想されたのが「森の中の学校」というキーワードのアートセンターでした。

当時のミーティングに向けてノートに描かれたスケッチ。

「当たり前」を解きほぐす

しかし、「森の中の学校」というイメージは掲げられたものの、まだどこか机上の空論のようにも思えてしまいました。想起されるイメージやぼんやりとした方向性は分かるのですが、自分たちは本物の森に詳しいわけでもないし、教育に関する専門的な知見があるわけでもありません。自分たちが見立てたプロジェクトのイメージと、そのキーワードに対する実感がどこか解離していたのです。
プロジェクトのメンバーや東京アートポイント計画のプログラムオフィサーともディスカッションするなかで、「アートセンター」や「ラーニングプログラム(学び)」といった既存の言葉に囚われてしまっていて、自分たちが本当にやりたいことが見えづらくなっていました。

そうして、墨東エリアを学びの場に見立てるためには、まずは自分たちこそ「アート」や「学び」に対して抱いている「当たり前」を解きほぐしていく必要があると気がついたのです。ファンファンでは学びを学習的な意味ではなく、自分自身の当たり前を解きほぐし、新しい視点の存在に気がつくことと考える様になりました。それは「アート」にも似ているものだと思うのです。自分の想像を超える様な存在を許容し、自分自身の限界を広げていく力がアートにはあるのではないでしょうか。それはファンファンが考えていく「学び」のイメージと密接に結びつくものでした。

そこから私たちは「アートセンター」や「ラーニング」という言葉に頼らず、もっと自由で墨東エリアらしい「学び」のあり方を模索しようと考えたのです。最初から「アートセンター」という物理的な空間を作るのではなく、まち自体を学びの場にしていくようなプログラムを展開していくプロジェクトへと姿を変えていくのでした。
こうしてまちを学びの場に見立てるアートプロジェクトという「ファンファン」のコアが少しづつ出来上がっていきました。

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