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毒親を赦すための道のり①父親の生い立ちについて黙想する

前回の記事では、果たして私ァ死ぬまでに、
毒親コンビを本当の意味で赦せるのかどうか。

なんてことを書きましたが、もしかしたらそんなにお時間も無いかもしれないし、早速毎日少しずつ始めてみたのです。

赦すための道のりを。

私の父は、ギャンブル、暴力、暴言、カルト宗教への傾倒及び娘の私への強要(全力で逃げてカトリック教会へ避難完了笑)と、

まあ 毒のデパート的な父親なんですが、
最近彼の生い立ちを親戚筋から調べて、
何か同情の余地がないか洗い出しているんです。

どうやら、私の父の母、つまり私の亡き祖母は
幼い8人兄弟を残し、男と逃げたらしい。
その背景には、貧乏と、夫の支配もあったらしい。ま、時代とはいえ貧しいのに
8人も産まされてるんだから、お察しよね。
逃げたい気持ちはわかる。

しかし、自分だけ男と逃げたのはアウトだね。

むしろ子ども連れて逃げなよ。
ま、そこまでの力もなく、また
子どもへの愛より自己愛が勝ったからそうなったんだろうけど。

まだ小さかった私の父は、母親が男と乗り込んだ列車を、走っておいかけたんだそう。
そんな母親でも、彼は愛していたわけですね。 
そして、その場面は80歳を過ぎる今もなお、
夢に現れて付きまとっているようです。

同じようなことを、立派に乗り越えてきた人はいるでしょう。しかし、私の父はそこまで強くなかった。

弱い、とっても弱い人間なんですね。

母親に捨てられて、頻繁に手を挙げる昔気質の父親に育てられた。
そんな私の父、
学歴は中卒、栄養失調で低身長。
大変なコンプレックスを抱えて、長生きしてしまっている。

母親が去り、田舎のボロ屋で、泣き疲れて呆然とする幼い少年。
その、痩せ細った彼の気持ちについて、私は今黙想しています。
それが、後に毒親となる私の父。
親に捨てられたことを受け入れる過程で、彼は何を思ったのか。
どれくらい泣いただろうか。
何にもない戦後の田舎で、
虫の声とか川の音や森の静寂さが、
少しは癒してくれたんだろうか。

どんな気持ちだろう。父親も暴力的で、今なら通報してくれる時代だけど、戦後の田舎にそんな希望はなかったのかもね。
兄弟が多くても、1人だけ
逃げる母親の姿を目撃した彼は、ひとりぼっちだったことだろう。

私は「毒親に支配される苦しみ」を味わったわけだけど、
毒父は「愛してくれるはずの親なら捨てられる寂しさ、情けなさ」と共に生きてきたわけだ。

どこまで赦せるか、まだわからない。

でももうしばらく、この傷ついた小さな少年を
自分の心に住まわせて対話してみようと思う。

あんた、よく生きてきたねえ。
事件起こしたり自殺したりするでもなく。
素直に育たない気持ちも、なんとなくわかってきたよ。
少しそんな気持ちにはなっています。

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