見出し画像

シガールな心とお嬢様コンプレックス

少し前の話。南青山のヨックモック本店の前をフラフラしてたら、なんだか眩しい制服姿の女子が視界に入ってきたんですよ。華奢な骨格に、大きな襟の制服はタイツとローファーでシックな装い。加えて控えめなポニーテール…。もうね、出で立ちからして「お嬢様です!」って看板背負って歩いてるようなもんです。で、私の心もその瞬間、シガールのようにサクッと崩れたんです。あれですよ、甘いバターの香りがするボロボロ崩れるやつ。「いやいや、私のコンプレックスが再発しちゃったな」って。気付いたらお目当てのブランドショップには寄らず、紀伊國屋スーパーに突入して何も買わずに帰る、という謎ムーブを決めていました。プライドは守れない、財布の中身は守られた、そんな午後でした。

私が育ったのは、田舎の公営アパート。まぁ、見渡す限り貧乏フラグ満載な暮らしでしてね。何をやるにしても「うちって貧乏なんだな」と実感していました。特に、小学校の図工や書道の授業。あれが憂鬱だった。私の習字道具セットは、なんと父親のお下がりの釣り具パーツ入れ。え?釣り具?そう、そこに筆とすずりを詰めただけ。これには村田基氏もきっとびっくりである。表面には大きなカジキがドーンとプリントされた平面なポーチで、これがまた通気性が悪いせいか、たびたびカビが生えるというオプション付き。「なんで私だけカジキポーチ…?」と悩むものの、抗議しようものなら父親に「贅沢言うな」と一喝されました。心の中で「まぁ、『釣りロマンを求めて』は毎週見てるし…逆にカジキもありかな」なんてかなり無理やり自己納得させるしかありませんでした。

一方でクラスの女の子たちは、勿論みんな学校教材を揃えてもらっている。伊勢丹を思わせるマクミラン風のチェック柄の書道セット。完全に別次元の可愛さだ。「なぜ私だけカジキ…?」

スケッチ用の画板も小学生女子にとっては悲劇そのもの。薄ベニヤ板に穴を開けて紐を通しただけの、DIY魂全開の無骨な代物。下手したらインダストリアルデザインの家具には馴染みそう。でも、学校ではみんな「ぺんてる」の白い画板。もう、このDIY画板が浮く浮く。ここまで来ると、貧乏って個性じゃんね?って逆に自分を肯定し始めてましたよ。

そんな「持たない暮らし」ならぬ「持てない暮らし」を続けるうちに、気付けば家族のムードも年々暗くなっていきました。昔からモラハラじみていた父親からは、10年近く「個人攻撃」目的で無視をされ、真面目な母親も男遊びを覚え夜遊びデビュー。家の中で唯一の正義だった大好きな兄も進学で県外へ逃亡。私はとにかく脱出することだけが希望でした。

高校卒業を指折り数え、ようやく今年こそ家を出られる!…と思っていたのですが、家を出るには母親を説得しなければならず、これがまた一苦労。生まれて一度も地元から出たことない母は、当然「女の子だから福岡までしか出させんよ!」と頑固一徹に九州女の呪いムーブをかます。いや、私は東京に行きたい。時間をかけて「北九州なら」「広島なら」と少しずつ交渉。最終的に何とか「大阪まで」の許可を勝ち取りました。(でも、本当は東京に行きたい!)

そして奨学金を申請する際、見たくないけどどうしても気になってしまった世帯年収欄。先生に提出する直前に廊下の隅に立ってチラッと覗くと、そこに書かれていたのは

「285万」

「えっ…!!まじで?」と思わず大きな声が出た。4人世帯の貧困家庭のラインが248万円と言われているそうなのでもう立派にそのラインに立っている。あぁ、心の中のどこかで、母親がケチだから大変大変、と大袈裟に言っているだけだと思いたかった私は、そこで初めて現実を受け止めました。どうりで家族旅行すら一度も行った事ないわけですよね。

で、上京して知り合った経営者の子どもたちはインターに通って、英語ペラペラ、頭脳明晰でなんと年間で300万の学費だそう。「いやいや、育ちの良さってお金で買えるんかーい」って思いましたよ。生まれ持って気立てが良く、勉強家で努力家な兄のようなタイプもいますけど、結局、お嬢様はお金と時間でじっくり作られるんだな、と変に納得しましたね。

昔の私は、親の収入に縛られて「自分もこのままいくとこうなるのかな」ってぼんやり思ってたんですけど、現実は全然違いました。気づけば私は父親の年収をぶっちぎり、なんだかんだ都心に居着いて適当に楽しくやれてるっていう。人生って、何が起こるか分からないもんです。結局、過去の経験って逃げられないんですけど、まぁ、それも今の自分を作る大事なパーツなんだな、って気づけたのは大きいかもしれませんね。あの頃の「DIY教材」の影響もあったのか、DIYが好きですし(笑)。

お嬢様にはなれなかったし、東京の階級社会には毎日百貨店で嫌と言うほど晒されて胸焼けがする日もあるけど、なんだかんだで、今の自分なりの「豊かさ」に折り合いはつけられてる気がします。

そう思うと南青山のお嬢様も、ただの風景の一部。とはいえ、やっぱり永遠にお嬢様に憧れ続けるんでしょうけどね。ま、人生なんてそんなもんですよね?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?