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ありがとうも言えない街角で
百貨店で働いていると、毎年ホリデーシーズンがやってくるたびに「さぁ今年も来るぞ!」と身構えるんですよ。いや、具体的に何かが襲ってくるわけじゃないんですけど、なんだろう…あの毎年やってくる、ソワソワしてジタバタしてる謎のムード。11月に入る頃から街が騒ぎ出すんです。世間様が楽しそうなのはいいんですけど、なんかこう、心の片隅で「え、この勢いで年始ごろまで走るの?」っていう、ちょっとした憂鬱な危機感。
ギフトが売れるのは確かにありがたい。ありがたいんですけどね、謎の「返品」も増えるんですよ。「あの、これ、返金でお願いできるでしょうか?」って不満げに持ち込まれると、いやいやいや、そもそもそれ貰ったやつでしょ、って思うわけです。買った人じゃなく、「貰った人」が「返金できるって聞いたもので」と、堂々とやってくる。(できるなんて言ってないぞ!)。しかも、わざわざ「くれた人」からレシートまで引き継いでるんですよ。その遠慮も配慮もない段取りの良さにびっくりしちゃう。何が何でも手元に置いておきたくないほどいらなかったとしても、断るとか捨てるとか譲るとか二次流通で売るとかまだ何かあるだろう…。何というか、もうちょっと人間関係大事にしてほしいところ。(だいぶ余計なお世話なんですけど)
理由もまぁ「気に入らなかった」「同じものが家にある(あやしい)」「交換できると聞いた」なんて、すごくもっともらしいんですけどね。まぁ正直、心の中で本音をこっそり翻訳すると「プレゼントもらったけど、ぶっちゃけお金のほうがいいから!」ってとこじゃないですか。プレゼントをお金に変えるって発想…なかなかロマンチックじゃないですよね!
こういう場面に出くわすと、ついつい井上陽水の『感謝知らずの女』って曲を思い出すんです。あの曲の中の女性像って、何をしてもらっても「ありがたい」とか、いちいち言わないわけですよ。むしろ、なんでも受け取るのは当然で、あっけらかんとしてる。「感謝ってなに?」みたいな顔してる。そんな女性のペースに振り回されつつも、怒るわけでもなく陽水先生は多分きっと、「しょうがないなぁ」ってどこか楽しんでる風なんですよね。で、そのまま軽やかに歌にしちゃう。いやぁ、器が違うなぁって。
で、返品現場に話を戻すと、ここにも「感謝知らず」がやってくるんですけど、まぁ、陽水先生の歌に出てくる「感謝知らず」とはどうも違うわけで。歌の中の彼女はどこかしらミステリアスで愛嬌があって、不思議な魅力が漂ってるんですけど、こちらの「感謝知らず」たちは…残念ながら、実利主義が全面に出すぎてて、まるで愛嬌がない。ただただ、「要らない物を現金化したい」その一点だけでこっちに来るんです。無理を通すために強気な姿勢で。せめて一瞬でも「いやー、なんか申し訳ない」って表情をしてくれたら、まだこっちも救われるもんです。
とはいえ、「ギフトをどう扱おうが貰った人の自由」と言われたら、それまでなんですよ!実際、生活してると「もらっても困るもの」を手にすることは正直あるわけで。好みと合わない物や、逆に立派すぎて「これ後が怖いんじゃ…」って思わせるような物もあれば、こっちが何とも思ってない相手からの「本気のギフト」なんて、ちょっとしたホラーですよね。
まぁ結局、ホリデーシーズンになると、こうした「感謝知らず」の皆様が来るのも、毎年恒例の風物詩ってやつなんでしょう。それだからきっと年末にかけて嫌な予感がして身構える。これがもし陽水先生だったら「ありがとうも言えない街角で」なんて粋な歌詞に昇華してくれるのですかね。秋の夜長に勝手な妄想は捗るばかりです。
余談ですが昔、職場の男性から駄菓子コーナーにある『ブタメン』をメインとしたお菓子を大量にいただき、後日自宅で食べようとお湯を注いで判明したのですが。お箸で開けたような無数の穴がカップに空いてて、ブタメン本体から噴水の如く噴き出るお湯にやられて手が火傷してしまったんですね。え?どの段階でこんなに穴空いてたの?って。誰が何の目的で?って。あれは過去いただいたギフトの中で一番のホラー回でしたね。(笑)