ホール内の事故
ホールでの事故は残念ながら時々ニュースに流れてくる。ニュースとして報道されないような笑って済ませられる軽微な事故を含めると日常茶飯事である。ホールでの事故で最も注意しなければいけないのが落下事故である。人も落ちるし楽器や器具も落ちる。人でも物でも落ちた時は重大な事故となることが多い。恥ずかしながら、私もこれまでに複数回の落下事故を起こしてしまったことがあるし、逆に様々な落下事故を目撃している。注意していてもどうしようもない事故として、機器の故障がある。お客さんにバレないような軽微な故障から演奏会開催が中止となってしまうような重大な事故まである。命に関わるようなタイプではないが損害額の大きい事故としてはスプリンクラーによる水難事故がある。人為的な事故も起きるが、人為的事故はマニュアルを整備したり、教育訓練したり、注意をしていれば防ぐことができるものである。
落下事故で一番怖いのが天井にぶら下がっている様々な機器の落下である。これまでに緞帳、ライト、スピーカーなどの落下事故が報告されている。中でも緞帳の落下事故は頻度が高く注意が必要である。緞帳は舞台の前面の上から下りてくる幕である。重さは数百キロもある。緞帳を巻き上げる機械が故障したり、布やロープが破けたりして緞帳が落ちる。緞帳の事故は、現在でも数年に1回は起きている。私が把握しているだけでも、最近では、東京都日野市ひの煉瓦ホール(2023年7月)、北海道旭川市旭川市民文化会館(2021年12月)、愛知県武豊町町立中央公民館(2019年3月)、神奈川県横浜市泉公会堂(2018年9月)などで緞帳の落下事故が起きている。実は私自身も舞台上にいる時に緞帳が落ちてきたこともあるし、客席から目撃したこともある。幸いにも2回ともけが人はいなかったが大変な経験だった。オーケストラの演奏会では緞帳を上げ下げすることはほとんどないはずである。もし緞帳を公演中に上げ下げするようだったら、その時は緞帳から1メートル以上離れているべきである。緞帳をメンテナンスするには10年ごとに数百万円かかると言われている。現在の景気状態ではその予算を確保するのも難しく、また、バブル期に建てられたホールが寿命スレスレなこともあり、これからも注意していかなければならない。
緞帳に関してもう一点注意がある。緞帳を下げる時は、緞帳の真下に物がないことが前提で行われる。もし緞帳の下に物がある状態で緞帳を下げてしまうと、置かれていた物に緞帳が引っ掛かり、機械がとまってしまうことがある。最悪の場合、機械が故障する。機械が正常に動いたとしても、緞帳はかなりの重量物なので、緞帳の下敷きになった物が押し潰されて壊れてしまう。オーケストラの公演では、弦楽器の椅子や指揮台が緞帳とぶつかる可能性がある。緞帳から距離を離してセッティングしたつもりでも、演奏中に場所が動いてしまい緞帳の下敷きとなるケースが存在する。そういうことを防止するためには、緞帳から1メートルくらいは離してセッティングしておくべきである。なお、緞帳を動かす時は、必ず舞台袖の緞帳の真横の位置から緞帳の動きを確認しながら上下のスイッチを押す。そのようにすることで、緞帳の事故をある程度防ぐことができる。
落下事故の中でも防げるものとして、人の落下事故がある。ステージにひな壇が電動で上にせり出す機構があるが、そのひな壇は逆にステージ面よりも下に下げることもできる。ステージの下の奈落に平台などの道具が保管されていて使用時に奈落からステージにあげるシステムのホールもある。奈落から荷物をステージ面に上げる時に、ステージから奈落の底に、本当に文字通り落ちてしまう事故が起きている。通常、奈落から道具を上げたり下げたりする時はステージに入らないように規制線を張る。何らかの理由でステージに入ってしまうと危険である。
ステージから客席フロアに落ちる人の落下事故は頻繁にある。弦楽器が客席側ギリギリにセッティングされているとそのような事故が起こりやすい。十分に通路分を空けているつもりでも、人がすれ違う時に落ちやすい。子供で起きやすい事故が、ステージの高さをあまり認識せずに客席側に飛び降りて足をくじくことである。子供は大人よりも高さに関する認識力が弱いと言われている。子供がいる時は必ず階段を使って客席に降りるように注意をするのだが、階段は幅広いステージに1~2か所しかないのでどうしても回り道が面倒くさい。そのため、飛び降りる子供が後をたたない。大人の私でもついつい飛び降りてしまう。ステージ面と客席のフロア面の段差は意外と高いということを再認識しなければならない。
オーケストラの公演としては関係がないことではあるが、歌舞伎、演劇、あるいはポップスの公演では、アクションとして人が吊り上げられたり、天井のキャットウォークから照明を照らしたりすることがある。そういう場合も落下事故に注意しなければならない。
地震が起きた時も要注意である。どんなに注意をしても避けられないことではあるが、ホール内というのは大きな地震が起きたら危険な場所であると認識しておかなければならない。ホールではライト、幕、天井などがワイヤーで吊り下げられており、地震の時はそれらが落ちてくることに警戒しなければならない。公演内容により音響効果を変えるために近年のホールは吊り天井を採用している施設が増えてきている。東日本大震災では、ミューザ川崎(神奈川県)の吊り天井が落ちているし、吊り天井ではないが九段会館(東京都)では天井が崩落している。耐震設計は年々進化しており以前に比べて安全性は高くなっているが、地震がきたら頭上に注意しなければならない。
軽微な事故は具体例を挙げきれないほどに多種多様な事故がおきている。ひな壇を運ぶ時に指を挟んだり木のささくれで怪我をしたりなどは日常茶飯事である。反響板は吊り下げられているタイプがあるが、うっかり寄りかかってしまい、壁が動いたのに驚いて足を滑らせてしまったり、舞台袖の暗い中、ケーブルや段差や舞台装置移動用のレールにつまずいて転んだり、ステージの中でもひな壇の段差を踏み外したり、客席の階段を飛び跳ねるように動き回って転んだり、色々である。軽微な事故のほとんどは不注意に由来するものである。
実際に怪我をしたという人を見聞きしたことはないが、ヒヤリとするのが弓先と指揮棒の先端である。弦楽器を裸で持ち歩いている時は弓先に神経を使わなければならない。演奏中は、指揮者から1プルトまでの距離は通常は適切に離れているはずである。しかし、演奏場所の広さの制限から距離が近すぎる場合は指揮棒が目の前にきてしまうことがある。あとは、手が滑って指揮棒が飛んでしまうこともある。指揮棒が飛ぶというのは私自身も数年に一度程度は経験する。指揮者から1プルトまでの距離が近すぎると指揮棒が1プルトの譜面台にぶつかり落ちてしまうこともよくあることである。弦楽器を裸で持ち運ぶ時に弓を斜めに持っているのは危ないことである。先端が目の高さになっているとふとした時にヒヤリとする。演奏中のことではないので注意すれば防げることである。ステージを歩く時の楽器の持ち方は色々な流儀があるが、私は弓先を下に向けて持つことをお勧めする。演奏中に隣の人と近すぎて弓先がぶつかることもある。セッティングを広げればいいだけの話であるがそうできない事情のことも多い。
お客さん側の事故としては、階段状になっている客席の段差につまずき転倒する事故の比率が圧倒的に多い。自宅や公共施設の階段のステップ間隔と違うので足が慣れないのも一因である。また、公演中は客席が暗いというのも転びやすさを助長している。プロのレセプショニスト(誘導係)の場合、小型のライトを持ち歩き、お客さんの足元を照らしながら客席内を案内することもある。客席内を案内する際はそのくらい気を使った方がいい。その次に多いのが、2階席、3階席の最前列からの荷物の落下である。ステージを見やすくするために落下防止ネットがなく、手すりも低いので注意が必要である。手すりの高さに関しては法令で最低基準が定められており、その最低高となっていることが多い。落下防止ネットは、ホールの設計段階から考えられていれば問題ないが、改修による後付けするとなると問題が起きる場合もある。横浜みなとみらいホール(神奈川県)の改修工事でも問題になり、一度は落下防止ネットを取り付けたもののその後撤去された(2022年)。2階席、3階席の最前列は特等席だと思うが、安全性の配慮や柵による視界の不良性の問題からその位置を使わないようにしている演奏会も存在する。また、小さな子供には、安全のために2階席、3階席の最前列を案内しない方がいいと私は思っている。
直接的には人命に関わらないが損害額が大きくなる事故として、スプリンクラーの故障による水難事故がある。最近では、兵庫県川西市みつなかホール(2023年11月)、東京都目黒区めぐろパーシモンホール(2023年9月)、神奈川県横浜市横浜みなとみらいホール(2022年10月)、静岡県裾野市裾野市民文化センター(2022年9月)など立て続けに起きている。中でも裾野市で起きた事故はステージ上に楽器がある状態での事故だったため損害額が大きくなると見積もられている。
告白するのも恥ずかしいことであるが、私が起こしてしまった事故は、ひな壇最上段から後ろに椅子を落としてしまったことと、グランドピアノをステージから客席フロアに落としてしまったことである。ひな壇の方の事故は中学生の時のことである。ステージリハーサルでひな壇の椅子に座っていたのだが、リハーサル終了で立つときに椅子が後ろにずれてしまいそのまま落下してしまった。その時はひな壇がせまく足の置き場もないくらいだったうえ、後ろに落下防止用のバーもなかったので、いつも以上に注意しなければいけないと思っていたのに、ステージリハーサル終了の安心感からつい気を緩めて立ち上がってしまったのである。不運なことに、ひな壇裏にロアーホリゾントライトが置かれており、その電球が椅子の落下の衝撃で一列全部切れてしまったのである。電球を交換しただけで元に戻ったが冷や汗ものであった。ピアノの落下事故は小学校高学年の時の事件であり、信じられないことに本当に落としてしまったのである。大人の手伝いで、大勢でグランドピアノをステージから客席フロアに下そうとしていた最中にバランスを崩しひっくり返ってしまった。いわゆるコンサートホールではなく小さな会場だったので、ステージと客席フロアの段差は階段1段分しかなかったし、ピアノの調律師が指示をだしながらの移動だったので楽にすぐに終わるつもりでいたのだが、事故は起きてしまった。幸いにも怪我人はいなかったが、ピアノが怪我をしてしまった。ピアノ内部は無事だったので本番でも音は出せたが、一部の塗装が削れてしまった。それ以来、ピアノを不用意に押して動かしている人を見るたびに、人にとってもピアノにとっても安全な運搬を教えるようになっている。
ピアノの移動に関しては下の記事をご覧ください。
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