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裏方担当者の心構え

 「受付担当者はコンサートの顔である。受付の笑顔と挨拶で演奏会の評価が変わる。」私が受付担当者に説明をする時はいつもこの話から説明をする。正直なところ、演奏の音楽的評価を客観的に公平にできるお客さんは少ない。何となくの雰囲気で良し悪しを判断している。そのため、受付などの外回りの評価が演奏の音楽的評価に置き換わってしまいがちである。そうでなくても、受付等担当者の立ち振る舞いが演奏会の印象を決めてしまうものである。もちろん、演奏の音楽的評価だけでなく演奏会としての評価も重要である。それらは混同されることが多い。また、単に個人的な感想を思い浮かべるなら私的感覚のみで自由に感じてもらえればいいのだが、個人的感想がWeb上に公開されると、それが客観的評価と勘違いされて大衆に受け取られてしまうことがあるので注意が必要である。

現代のクラシックの演奏会はフォーマルなものと認識されており、お客さんに特別な時間と空間を提供するものである。そのため、受付等の表周りを担当する裏方はフォーマルさを演出する役割ももつ。当然のことながら接客業としても動かなければならない。接客業である以上、フォーマルさの演出以前にある程度の知識と礼節をもって取り組むべきである。経験のない人が単に受付開始時刻に集まって打ち合わせもなしに受付等の業務を行うのは無理がある。例えば、もぎりやドアマンは単純作業しか行っていないが、お客さんと接する立場でもあるので、様々な質問を受けるし、態度を見られているものである。受けた質問に適切な回答ができなかったりぶっきらぼうな態度だったりでは、自ずと演奏会の印象は悪いものとなってしまう。

 演奏会は楽器奏者以外にも多数の裏方がいてこそ成り立つものである。ステージに上がる楽器奏者はそのことを常に肝に銘じておかなければならない。スクールオーケストラの場合、新入生や卒業生が裏方を務めることが多い。保護者が裏方を担っているケースもある。どの場合においても裏方の業務に精通した人ばかりで行っているわけではないので、誰かが裏方の仕事についてレクチャーしなければならない。レクチャーをどんなに丁寧に行ったとしても突発的に起こるハプニングに初心者だけでは対応しきれないので、卒業生や保護者が裏方に入るようなら1人でもいいので経験豊かな人に加わってもらうようにお願いすることを強くお勧めする。また、大学を除く高校以下の学校では未成年の生徒だけで社会人の対応をするのは難しい面もあり、顧問あるいは教員の数名が一緒に受付業務を行うべきである。顧問が受付の作業を実際にしなかったとしても、顧問や教員が近くで見張っているというだけで理不尽なクレーム等が生徒に向けられることはかなり少なくなる。未成年の生徒を理不尽なクレーム等からの矢面に立たせるわけにはいかないので、そういう場面には教員がすかさずに間に入るべきである。私も裏方を担当していた時に何回かお客さんにお帰りいただいたことがある。例えば、明らかに泥酔状態で絡んできた人、トイレの便座の蓋がしまっていないのは失礼だから帰ると怒り散らしていた人、などである。2例目のようなクレームに対しては、大人なら、「お帰りになられるのですね。本日は満席の見込みですが、お聞きいただけなく残念です。出口はあちらです。」と冷静に案内するだけなのだが、未成年の生徒にこの対応をさせるわけにはいかない。訳が分からないまま「申し訳ありません」と委縮してしまうだろう。もちろん、トイレの便座の問題以前に不満を引き起こす何かきっかけがあったのかもしれないのでそれに関しては丁寧な対応をとるべきだが、理不尽なクレームに対しては時には冷徹さも必要である。

 高級フランス料理を食べるのにボロボロの建物で掃除もされていないような空間ではどんなに素晴らしい料理でも美味しさを感じなくなってしまう。また、一流のギャルソン(ウェイター)がいてこそ高級フランス料理店である。演奏会も同じである。どんなに演奏が上手だったとしても、ボロボロの建物に仕事もしない受付が立っているだけなら、演奏の良さが低減してしまう。スクールオーケストラの定期演奏会はプロ並みの一流である必要はないが、そのような世界があるのを知り、少しでも上のレベルを目指し、できることだけでかまわないので取り入れてほしい。卒業後1年間の裏方を経験してから部活引退と表現している学校もある。単に人手不足でそのようになっているだけなのかもしれないが、裏方まで含めて音楽指導をしようと考えた顧問の先生の作戦なら敬服に値する。裏方を体験するのも一つの音楽の勉強である。ステージに立つ人には、受付業務を通して幅広く演奏会というものを知ってもらいたいと私は思っている。

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