コンサートマスターの役割とアインザッツ
コンサートマスターは1stバイオリンの最前列客席側に座って演奏している人である。そのオーケストラの奏者の代表者である。通常は、バイオリンの中で最も経験豊富で人望の厚い人がその役割を務める。そのオーケストラの演奏を安定させたものにしようとするなら、誰が成ってもいい訳ではなく、経験と人望がある人でなければその役割は務まらない。
コンサートマスターの役割は、指揮者と奏者の間に意思を伝達させることである。指揮者は棒で音楽を表現するが、それをさらに奏者よりの感覚になるようにコンサートマスターは弓、楽器、呼吸、動きなどで奏者に音楽の表現方法を伝える。逆に、オーケストラの団員の弾き方を総括して指揮者に示すのもコンサートマスターの役割である。両方向の伝達ができてこそコンサートマスターである。おまけ的な仕事として、チューニングをすることや、弓順の決定もコンサートマスターの仕事である。
指揮者からコンサートマスターを通して奏者全員に合図を送る手段の一つがアインザッツである。アインザッツは、奏者同士で、楽器や体の動き、あるいは目や呼吸を使った方法でお互いにコンタクトをとる方法である。個人で習っているバイオリン教室やピアノ教室ではあまりアインザッツの方法を教わらないかもしれない。特にピアノでは連弾をしない限り使うことがないからである。ソロバイオリンでも、伴奏者に合図を送るのでなければ使うことのない技巧である。ところが、オーケストラやアンサンブルでは、アインザッツは頻繁に交わされることであるため、初めて合奏をする人にとってはとまどうもののようである。コンサートマスターになる人も、アインザッツを極めなければ役割は務まらない。
アインザッツは、例えば「せーの」と言いながら曲を弾き始める時の掛け声を、無音で行うものである。運動会のかけっこで例えるなら「よーい、ドン」にあたるものである。演奏者同士でアインザッツを交わしてタイミングを合わせるためには、同じタイミングで同じような速さと強さで息を吸うことが重要である。息を吸うときの音が聞こえるようであれば、それでアインザッツは成立する。息を吸うのに体が全く動かないことはないので、体を動かそうとしなくても、しっかりと息を見せようとすれば、自然とアインザッツの動きもできる。バイオリンソロとピアノ伴奏というような組み合わせの場合は、この息の音だけでも合図ができる。大勢で演奏する場合は、息の音が聞こえないので、楽器、弓、体を少しオーバーに動かして示すことになる。息を吸うタイミングで、楽器を少し上げて合図することが多い。その応用として、楽器本体ではなく弓を少し動かして合図をすることもできる。座って演奏する際はあまりできないが、楽器や弓を動かすのではなく上体を一瞬引き起こすという方法でもかまわない。どの方法にしても、動くスピードが重要である。動くスピードによって曲のテンポが決まるからである。また、動き方を調節することによって、音の大きさや硬さなども表現する。指揮棒の動きと同じような感覚で考えればわかると思う。アーフタクトや裏拍から入る場合は、息を吐いて止めるという方法のアインザッツも存在する。その場合、楽器は上げるのではなく一瞬下げる動きをする。アインザッツに慣れていないと、その動きをすることにより自身が最初の音を出せなくなってしまう。動きを少しオーバーにして見せたとしても、楽器と弓の構え方はアインザッツの終了と供に元の形に戻るようにするのがコツである。例えば、アインザッツで楽器を上げるとき、いつもの構えの位置から上げただけでアインザッツを終了してしまうと、音を出せなくなってしまう。その場合の解消方法は2通りあり、楽器を上げてまた戻すという方法と、アインザッツを出す前に一度楽器を下げて置き、アインザッツでいつもの構えの位置くらいまで上げるという方法である。
アインザッツは音の出だしでは必ず使われ、曲の途中でも頻繁に使用する。長い伸ばしの音が終わるタイミング、長い伸ばしの音から次の音に変わるタイミング、トレモロから次の音に変わるタイミング、休み明けの音を出すタイミング、などでも使用される。曲の途中でのアインザッツは、冒頭でのアインザッツよりも難易度は高い。
コンサートマスターが奏者に伝えるのはアインザッツを通してだけではない。普段弾いている姿勢全てが伝える内容である。弓のどの辺を使用しているのか、弾く強さはどのくらいなのか、弓の動くスピードはどのくらいか、なども伝達される内容である。合図として示すのではなく、普段の演奏状態がそのまま見られ、他の奏者はその演奏状態を真似することになる。アッチェルランドやリタルランドなどのテンポ変化、クレッシェンドやディミニエンドなどの音量の変化についても、コンサートマスター中心に変化させるのが基本である。これらの曲中の変化にはアインザッツほどの強い合図を使うわけではないが、目くばせにより行ったり、コンサートマスターの弾き方の変化を見たりして周りが合わせるのである。なので、コンサートマスターは単に自分が弾きやすい奏法で弾くのではなく、周りが合わせやすい奏法で弾く必要もある。また、伝わりにくい情報に関しては少しオーバーに動いて伝えるという手段を取らなければならないこともある。
曲の途中に長い休みがある場合の楽器の上げ下げに関して、コンサートマスターは弦の奏者に上げ下げの動きを見せて指示をだす。各パートの休みが1stバイオリンとは違う場合は各パートのパートリーダーの動きに合わせる。コンサートマスターは単に自分の弾きやすいタイミングで楽器の上げ下げを行うのではなく、みんなが動きを真似しやすいタイミングで動いて見せる必要がある。特に、休みの後の楽器を構えるタイミングが遅くなってはいけない。楽器を構えて、音程を確認して、弓を弾き始めの位置にもっていって、という動作を初心者が十分にできるタイミングで行わなければならない。通常は、楽器を構える時に弓も一緒に構えるが、初心者で楽器を構えるのに時間がかかる人がいるようなら、楽器だけ十分に早いタイミングで構えておき、弓はアインザッツの少し前に構えるという二段構成とするといい。特に高いポジションの音から始まるような場合はそのような配慮が必要である。左手だけ構えて、人に聞こえないように左手の小指でピチカートをして音程を確かめる時間が必要である。初心者の心配をしなくても問題ないなら、アインザッツの2呼吸前くらいに皆が構えられるようなタイミングで楽器を構えれば問題ない。楽器を下げるタイミングも皆の動きの基準となるのでいつも同じ休みの時に下げるようにしなければならない。楽器を下げるのは2種類の方法がある。肩の上に楽器を置いたまま顎を浮かし肘を下げる方法と、肩から楽器を外し、膝の上に楽器を立てる方法である。短い休みの時は前者の姿勢とし、長い休みの時は後者とする。楽器の上げ下げはダラダラとするのではなく、サッとすべきである。
団員の意見をまとめて指揮者に伝えるのもコンサートマスターの仕事である。これは、口頭で伝えるのもそうであるし、演奏として伝えるのもそうである。オーケストラ全体が曲を前に推し進めようとしているのか、盛り上げようとしているのか、引いているのか、などの弾き方をコンサートマスターが機敏に感じ取り、演奏として表現するのである。「コンサートマスターには、背中に目がついている」とよく言われるように、後ろを振り向いて見なくても背中でオーケストラの演奏を感じ取る能力が必要である。そのため、指揮者はコンサートマスターの弾き方を見て音楽的に対話をし、その結果から棒の振り方を調整することになるのである。
コンサートマスターの役割は、以上のように指揮者と奏者の間の意思伝達を潤滑にするのが主な仕事である。おまけの仕事は、チューニングである。オーボエの音に自分の楽器の音程を合わせ、それを弦楽器奏者に伝達する。音程を合わせる感覚とチューニングの技術が完璧でなければならない。また、チューニング音を出すのは一見簡単そうに見えるが、下手なコンサートマスターが出したチューニング音は合わせにくい。適切な音量、弓の使い方、立つ方向を変えるタイミング、目線の向き、などちょっとした違いで合わせやすさが雲泥の差になる。出すチューニング音の音量は小さすぎても大きすぎてもいけない。弓はゆっくりと長く使う。弓は長く使うが一番弓の根元は使わないようにする。奏者としては、自分の方向に向いてくれている時に合わせた方が合わせやすいが、コンサートマスターがさっさと次の方向に立つ方向を変えてしまうと置いてけぼりになる。コンサートマスターは、奏者を見ながらチューニングができたかを判断し次の方向に向くかその方向に留まるかを適切に判断しなければならない。チューニング時の目線も重要である。目が死んでいる、上の空のようなコンサートマスターのチューニング音に合わせるより、微笑みかけてくれるコンサートマスターに合わせる方がいい。時々、「早く合わせてくれ」との心の声が駄々洩れなコンサートマスターをみかけるが、それは初心者にとってはチューニングが嫌いになる原因の一つである。
スクールオーケストラでは、団全体あるいはバイオリンパートの中からの投票や話し合いによりコンサートマスターを選出しているはずである。コンサートマスターに立候補する人が一人であり団員からも満場一致で信任されるのなら幸せなことであるが、そうはいかない状況の方が多いと思われる。コンサートマスターを決めるために団が分裂状態となってしまった、ということもよく耳にする。コンサートマスターの役割がしっかりと理解されていなく、人気投票的に人選が進んでしまうのが一因である。また、候補になっている人の力量の差を判断できないというのも原因である。私にとってコンサートマスターは気疲ればかりする役員的なイメージがあるのだが、そんな風に考えているバイオリン奏者は少ないだろう。オーケストラの主役、花形だと思っている人がほとんどだと思われる。
やはり、初心者がコンサートマスターの役割を担うには難がある。だからといって、コンサートマスターになってはいけないというわけでもない。たった一年間の練習だけでも、10年弾いていた経験者より弾けるようになる初心者はたくさんいる。それなら、その団の中ではコンサートマスターも務まるかもしれない。
バイオリンに限らず、オーケストラ奏者の人は、是非コンサートマスターの位置に置かれた椅子に座るということを体験してもらいたいと思っている。あの指揮者に一番近い椅子から見える景色は、他の座席では味わえないものである。そして、そこで音を出してみてほしい。人によって感じ方は異なるが、私は、自分の音の広がりを感じられると同時に孤独さや不安感も感じてしまう。信頼している仲間が背中にいるのは心強いものであるが、責任感も感じてしまう非常に複雑な座席である。それと同時に、普段コンサートマスターから自分がどのように見られているのかを確認してほしい。その確認によってアイコンタクトが取りやすくなるはずである。逆にコンサートマスターに就任した人は、オーケストラの全部の座席に座ってみるといい。これもまた、それぞれの席でコンサートマスターへの見え方が違い、いい勉強になるはずである。